日枝神社

[ひえ神社]

栃木県鹿沼市板荷3033

主祭神:大山咋命・大物主命 境内社:
石鳥居脇の社号標は「昭和五年1930」久保田堰普通水利組合の奉納。明治四十四年1911狛犬。
玉垣内左手に「寛政十二年1800」石燈籠。「文久二年1862」石燈籠に「正一位山王大権現」の文字。
本殿左手の朱色の境内社は「八坂神社」と「稲荷神社」,ここに300年以上前の「宝永七庚寅歳1710」石燈籠。さらに奥に「聖徳太子」 拜殿右手前に「万延元庚申1860」の稲荷神社石祠。
社殿右手に境内社の「大杉神社」,三月第一土日の「あんば様」に繰り出される美麗な神輿が収められている。左隣りに天満宮と毘沙門天石祠。左手前に300年前の「享保元丙申1716」石燈籠。
例祭:2月16日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)
都賀郡 正一位山王大権現 板荷 竜泉寺
*『下野神社沿革誌』巻3-19丁(明治三十五年1902)
上都賀郡板荷村宮内鎭座 村社 日枝神社 祭神 大山咋命・大物主命 祭日一月七日/四月六日・六月十五日
建物本社間口八尺奥行八尺 拜殿間口三間半奥行二間栃葺 祭典屋宇間口六間奥行二間半杉皮葺 石/木華表二基 鐡燈籠一基 石燈籠一基 石洗手盤一基 寳物 雷槌大長さ三尺四寸/小長さ二尺 これわ天保五年1834改築の際土中より發見す 此品は日本紀神武の巻にある意志都々とは異なるべし 鏡一面 膳一個久安四年1148の奉納なり 社有財産郡村宅地三畆十五歩 氏子三百三十戸總代三員 社掌福田光雄同村百六十七番地住
社傳に曰く本社は桓武天皇延暦二十年801田村将軍東征之時諸神の擁護を以て終に東國を平定せしめたるにより東國に山王権現七社を勧請せりと云ふ 本社はその一社なり 后後冷泉天皇永承六年1051奥州の夷酋賴時亂を起こす 鎮守府將軍陸奥守賴義に命して賊を討たしむるの際本社に戰勝を祈願し遂に其亂を鎭せしを以て神代製造の雷槌と稱する物を奉納し其品今に寳物として本社に藏す
往古は社記録も完備在りし由なるか久安四年1148四月野火の爲に民屋敷十家を延焼し遂に社殿も類焼に罹り寳物記録等悉皆烏有に屬す 依て同年十月宮殿再築して遷座す 其後幾星霜を徑るに従ひ破砕に及ひ改築すること四回に至る 其年間は寛正三年1462十月 正徳三年1713三月 寛政十二年1800十二月 天保五年1834十二月にして壯麗なる本社今尚存せり 正徳三年1713十二月祠官上京神祇官領長上吉田殿に謁し神位宣旨を乞ふ故に正一位を贈らる
殊に武將崇敬の社にして地頭より三反二畆歩の餘地を附しありしも維新の際上地せらる
本社の寳物には天下に珍らしき雷槌叉久安四年1148に調進したる祭膳の久しきもの他社に稀にして見るべからさるものと云ふべし
社域一千四百二十二坪平垣の地にして杉檜森然として社殿を囲繞し南に黑川の清流滾々として清冽なり 叉本社の前に池あり其水瀟洒にして近傍の酒釀家の酛水に乞求るを以て醸造家の信仰ますゝをひたゝし
寛政十二年 正一位山王大権現
八坂/稲荷 寛永七年
聖徳太子 大杉神社 大杉神社
大杉神社神輿 享保元丙申 庚申金剛赤面供養
稲荷神社
社務所
道路沿いの解説板
厳島

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県鹿沼市板荷2382

主祭神:田心姫神・湍津姫神・市杵嶋姫神 境内社:
文明六年1474勸請の板荷畑鎮守。代官山前孫次郎が社殿を建立し,文亀二年1502に再建,慶長十五年1610,元禄九年1696に造営がなされ,嘉永六年1853に改築されている。「日光山神領板荷郷厳島大明神」と称したが維新に際して厳島神社と改称した。
拜殿右手に「厳島神社棟札(三札)」の写真付き解説板が立ててある。「文明三年1471」の記録が実際に残っているのは奇跡に近い。なぜか『下野神社沿革誌』には記録されなかった。
「宝暦三癸酉1753」石燈籠。「安政五年1858」石燈籠。
社殿右手の石祠に「野田源五郎」の神札。左手の朱色の木製祠は「白杭稲荷大明神」,「祭神受持姫命」,「奉造替御白稲荷大神社頭・明治十年1877」神札。4つ並ぶ左端は水神様。
昭和十五年1940旗杭,同年狛犬。「明治六年1873巳待塔」
境内左手の池の中の島に石祠。
小代行川庵の北,長畑川の右岸に鎭座。ほとんど日光市との北の境界辺り。長畑川は600メートル下流で行川に合流し,行川は富岡で黒川に合流する。
たこり姫,たぎつ姫,いちきしま姫の三柱の女神は天照大神が素盞嗚尊の十握剣を三つに折って天真名井にすすいで噛み砕き吹き棄てる息の狭霧で生んだ神々。板荷を流れる黒川は壬生で思川に合流する。「思川」は田心姫の田と心を足して名付けたという。田心姫は『日本書紀』では「霧=こり」から[たこり姫]と清音だが下野までくると[たごり姫]とにごって呼ぶ。
例祭:旧暦6月7日
高さがある 拜殿左手 右手
貴重品 厳嶋の文字
昭和十五年1940狛犬
 
野田源五郎霊 宝暦三年1753石燈籠
水神様 巳待塔
浮島に石祠
社号標
長畑川
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県鹿沼市板荷3313

主祭神:菅原道真公 境内社:
本社創立不詳。大正八年1919の大火により古記録を消失。その後再建。堀内郷の総鎮守。
板荷郵便局の先を右手,北に入る。道が狭いので運転注意。車幅ぎりぎりのコンクリート道を進むと山裾が少し開けた感じの広場になり,鳥居が見えてくる。西に黄色で柚子が豊作。獣除けに囲いがしてあり,ヒモをほどいて鳥居をくぐると頑丈な石段がずっと上まで続いている。鳥居脇に「文久二戌年1862九月吉日」庚申塔。元文三戊午歳1738石燈籠。「寛政八丙辰1796」手水石。
黒川方面に町を見下ろす山腹に鎭座。南に板荷六区公民館。
例祭:旧暦1月13日
鳥居右手前
寛政八丙辰1796
元文三戊午歳1738
右側面
こちふかば板絵 左側面
旧鳥居? 正面中腹に鎭座 付近のお宮
付近の弘化二年1845像 付近のお宮 付近のお宮
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県鹿沼市板荷5138

主祭神:菅原道真公 境内社:
本社創立不詳。文政年間1818-30の野火で消失。天保三年1832再建。
享保九年1724十一月奉納の石鳥居。
板荷の町の西部,日陰橋の北の山腹に鎭座。道路から朱色の鳥居が見えるが,それは個人の神社で,その西隣り。旗杭脇に本殿の解説板。石段の先に鳥居。獣除けに囲いがしてあり,ヒモをほどいて鳥居をくぐる。左手に「明治十六年未1883十一月吉日・大原坪中」手水石。獣除けが施してある本殿両脇に「寶暦九己卯年1759」石燈籠(『栃木県神社誌』では宝暦五年だが己卯が読めるので九年)。
本殿の彫刻は必見。よくぞここまで彫ったという傑作。土台から天井まで彫り込まれている。
例祭:旧暦1月15日
入り口の看板 享保九年1724鳥居
 
右側面
背面
左側面
土台にも彫刻
宝暦九石燈籠
くっきりと宝暦九己卯 入り口
旗杭と看板 東となり
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県鹿沼市板荷4540

主祭神:菅原道真公 境内社:
本社創立不詳。宝暦年間1704-11に修復の言い伝えが残っている。文久元年1861の火災で岩行組陵房は廃房になったが社殿は再建された。岩行は[いわなめ]
本殿は赤と白で着色されている。
文化二年1805石燈籠に「岩行惣組氏子」と刻まれている。「文政二年己卯1819」石燈籠。「文政三庚辰1820四月十日」の石燈籠。「文化十二乙亥1815九月」石燈籠。
文化二年1805と伝わる狛犬。大正九年1920石鳥居。
黒川が大きく半円にカーブする内側にある農家の西隣りに鎭座。道路から見える目印はなにもないので,見つけるのはむずかしい。農作業中の方が親切に教えてくださった。感謝。
例祭:旧暦1月13日
参道左手 参道右手
木製祠内
参道左手 参道右手
  文化二年1805
200歳を越えたわさ 着色された本殿
 
覆屋内右手 覆屋内左手 文化二年1805
岩行惣組氏子  
文政三年1820
 
  見過ごしてしまう
大神宮

大神宮

[だいじんぐう]

栃木県鹿沼市板荷214(215-2)

主祭神:天照皇大神
本社創立不詳。「御焚神宮」と称した。御林Ohayashi郷の総鎮守。
黒川と東武日光線の間の林の中に玉垣の土台のような石囲いがあって小振りの石宮が隠れている。黒川の向こう側の岩山山頂にも石宮がある。山の上なので石祠を運ぶために牛に引かせたところ,途中でまいってしまい,そのまま石になってしまった。それを牛岩といい,粗末にしてはいけないと言い伝えられている。
御林の由来は,徳川将軍か,または江戸の上席が鷹狩りに来て,いまとは違い,植林をするようになる前の,雑木の森林に感動して褒めたことから「御」をつけて[おはやし]と呼ぶようになったことによる。
以前は秋の祭りに梵天を繰り出したりして奉斎したが,近年は行われていないという。
ここは探すのに苦労した。最初「214番地」をたよりにしたが,欠番なので200番台の付近を探したが見つからず。つぎに『栃木県神社誌』平成18年版には「JR板荷駅より北へ2.1キロ」とあるのだが,JRには板荷駅はないので東武日光線板荷駅の北を探したが,白沢地区に入ってしまう。おかげで記録にのっていない社を2社みつけることができたが。戻って板荷駅のすぐ西を探していると,石製旗杭らしきものを発見。しかし付近になにもなし。近所でたずねると親切に案内してくださった。感謝。「東部日光線板荷駅から真西へ200メートル」が正しい。標高203メートル。
例祭:4月9日
見落としそう
境内境界
巨木の切り株 紅葉の杜に鎭座
黒川右岸の山並 西側に黒川 板荷駅
蓑笠稲荷神社

蓑笠稲荷神社

[みのかさいなり神社]

栃木県鹿沼市板荷214

主祭神:蓑笠之助大明神
天明の大飢饉1782-88の後に創建。米を施して村民を救おうとした代官蓑笠之助を祀る。
このあたりにあるはずの小さな石宮「大神宮」を探しているときに,付近の方に「大神宮は聞いたことないが村の神社があるぞ」ということでたどりつきました。感謝。どこにも記録されていない神社で,初公開。さいわい解説看板が立っていた。
山裾に旗杭らしき2本の棒が立てられていて,それを目印に分け入っていくと杉木立の中に石鳥居が溶け込んでいる。山を登るのかと不安になったが,ほどなく社殿が見えた。石燈籠が二基奉納されている。いい具合に古びた木製祠が収められている。背後はかなり急峻な山。東の黒川まで100mほどか。
例祭:2月19日
旗杭 解説板があった 鳥居が隠れている
石鳥居    
本殿 着色されている
背後に山
付近の樹霊碑 鎭座の山
付近の黒川脇 東に東武日光線
鹿島神社

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県鹿沼市板荷362-1

主祭神:天津兒屋根神
本社創立不詳。大鹿島[おおかしま]郷の総鎮守。板荷駅を越し,柿沢橋で黒川を渡って左手の杜に鎭座。農家のお宅に入る私道の右手に石宮があり,その反対側の少し下がった湿地にひっそりと鎭座。鳥居下に清流があったが,平成27年の災害で上流が決壊してから水がこなくなった,残念。板荷二区生活向上センターの西。
例祭:2月15日
水が流れていた跡
入口のお宮
日枝神社

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県鹿沼市板荷627

主祭神:大山咋命 境内社:
本社創建不詳。江戸までは山王大権現と称したが,維新に際し日枝神社と改称。覆屋内に「日枝神社/山王様」と二行に書かれた板が残っていた。
文化十三年1816石燈籠。天保六年1835社殿を改築した。入柿沢郷総鎮守。
寛政十二庚申1800庚申供養塔。
東武日光線板荷駅の北ほどなく柿沢橋を渡って直進すると右手の開けた地に鳥居が見える。以前は杉木立に囲まれていた。
例祭:旧暦1月七日
少し前まで杉林があった
覆屋内
千年の巨杉があった
寛政十二1800
カーブする参道
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県鹿沼市板荷708-1

鹿島神社の前を直進すると627番地の日枝神社に至るが,すぐ右折して黒川沿いの細い山道を北上すると左手山腹に鳥居と鮮やかな朱色の木製祠が見える。八幡宇佐大神を勸請。詳細不詳。
幸運にも扉が開いていた
高いところに 付近の勝善神と馬力神
権現

金山様・権現様

[かなやまさま・ごんげんさま]

栃木県鹿沼市板荷725-1

主祭神:金山大神・磐裂神・根裂神
上記不明社からさらに北上するとカーブのところに石鳥居と案内板。朱色の木製祠。詳細不詳。
すぐ右手にも石祠。
本殿
右手先に石祠 正面奥に鳥居が見えた
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県鹿沼市板荷4308

詳細不詳。高藤神社入り口の案内板を見て黒川の方に入ると堂坂橋の手前右手に鳥居が見える。すぐ隣りにも鳥居と石宮。
社号標はないが,慶応三丁卯1867石燈籠に「奉納稲荷大明神」
奥の石燈籠は「慶応元乙丑1865」
奉納稲荷大明神
慶応三 右手にもう一社 慶応元年石燈籠
堂坂橋
不明

?神社

[?神社]

栃木県鹿沼市板荷4791

詳細不詳。高藤神社入り口の案内板を見て黒川の方に入り堂坂橋を渡って右に進むとほどなく右手奥の農家の左隣りに石製鳥居が見える。ここは国土地理院地図に神社マークがついている社だが,情報はない。お隣りを訪ねるもご不在で何も分からない。つぎの機会に。
本殿裏手に黒川
黒川右岸に鳥居
高藤神社

高藤神社

[たかふじ神社]

栃木県鹿沼市板荷5755-4

主祭神:天之御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・天照皇大神・伊耶那岐神・伊耶那美神
神道大教は栃木県には五社社殿を構えている。平成8年1996頃の創建か。詳細不詳。道路沿いに高藤神社入り口の案内板が2か所に出ている。いずれの看板でも黒川を渡って北進すれば辿り着く。門扉が閉まっていたが,獣除けに閉めてあるので開けて自由に参拝してよろしい,と書いてあるので入っていくと石鳥居と社務所。本殿は山の上の方にあるらしく,階段を上って行くと石燈籠が二か所に奉納されており,さらに上って行くと上方に社殿が見えてくる。
社務所 門柱?
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県鹿沼市板荷1558

見野の喜久澤神社の北,鶏神社の先の右手山裾に鎭座。個人の崇敬社か。詳細不詳。
ここから南下すると喜久澤神社。
164号線沿い 造営稲荷大神
背後は山

 

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