鹿嶋神社

[かしま神社]

栃木県鹿沼市上南摩町246

旧地名:上都賀郡・南摩村大字上南摩
祭神:武甕槌命・譽田別命
配神:大物主神・天水分神・火産霊神・伊邪那岐神・伊邪那美神
鹿沼運動公園付近。
維新の神仏分離で大明神から神社に。明治三十五年1902の『下野神社沿革誌』では山へんなしの「島」で植字されているが,大正五年1916の社柱には「嶋」で刻まれている。拝殿額も「嶋」
天保五年1834手水石。
二の鳥居をくぐると天保十五年1844甲辰九月吉日の石燈籠。
昭和九年狛犬。
明治七年1874第一月建之と刻まれた石燈籠が狛犬の隣に。
平成12年に奉納された一の鳥居の脇に立つ「御大典記念」大正五年1916社柱に,「新築委員寄附」として「八幡神社,大杉神社,熊野神社,高龗神社,愛宕神社」が刻まれている。「おかみ」字は口無し雨龍。
高龗神社と愛宕神社は177号線を西に行って上南摩小学校の先,右手に鎮座している。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 鹿島大明神 上南摩 大森主水
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
鹿島大明神 上南摩村鎮座 祭主大森氏ナリ
*『下野神社沿革誌』巻三-30丁
上都賀郡南摩村大字上南摩鎭座 村社 鹿島神社 祭神武甕槌命 建物本社間口一間二尺奥行一間二尺 末社三社 氏子百四十三戸
本社創立年月詳かならす社域九百八十四坪を有す
*沿革誌には「本村には村社五社ありて」と記述され,鹿島の他に日吉,浅間2社が掲載されている。
一の鳥居 石段の上に二の鳥居 平成19年の直会殿再建記念碑の裏面
大正五年   天保十五年1844
天保五年1834 昭和九年
天保十五年1844石燈籠
旧鳥居
左鳥居,右社柱 高龗神社の文字 右折運動公園,直進高龗神社
浅間神社

浅間神社

[せんげん神社]

栃木県鹿沼市上南摩町92

鹿沼運動公園付近。
おもりっこ「子守をする子供」石の由来石碑が平成六年に建てられている。
ここからすぐのところに上南摩の鹿嶋神社。
 
秋葉神社

秋葉神社

[あきば神社]

栃木県鹿沼市上南摩町2402

主祭神:火産霊命
寛政四年1792六月六月に覚菴了道師が二十年の修業の末に開山。それから135年後の昭和二年1927に栗沢里民によって本殿が造営された。例祭には火難除けと豊作を祈願して,かつては法螺を吹いたが現在は竹を吹くという。
南摩小学校の南の山中にあり,個人のお宅に駐車しないと辿り着けない。お留守でしたので遠くからしか撮影できませんでした。山腹に比較的新しそうな社号標が立てられており,50メートルほど左手に旗杭が見える。その奥に石燈籠と覆屋。また改めて。
例祭:4月29日
社号標 秋葉神社と読める 遠くに旗杭
社殿が見える 中央奥に旗杭
浅間神社

浅間神社

[あさま神社]

栃木県鹿沼市上南摩町2636-2

主祭神:木花開耶姫命 境内社:道祖神社・春日神社・星宮神社・愛宕神社・稲荷神社・滝神神社・二荒神社・東照宮神社
古祠銘に元亀元年1570八月一日とあることから例祭を8月1日に行ってきた。文政元年1818に社殿を再建。
南摩ダム開発の犠牲となり,平成18年に【→西沢町の浅間神社】に合併された。そちらの一の鳥居脇には合併の経緯を刻んだ記念碑が建てられている。
「浅間神社合併経緯」
「南摩町最奥の字,笹之越路・西之入・梶町の里,通称富士山山頂に木花咲夜姫命を主祭神として斎き奉る浅間神社は,五十六世帯が氏子を成して世々を経て産土信仰の主柱と頼み,護持運営に努め神徳のご加護を賜りしも,思川開発事業南摩ダム建設に氏子全世帯移転に至る。拠って宗教法人規則第五章補則,神社移転・合併または解散かの方途を勘案するも,移転は氏子世帯の離散により不可,解散は先祖先達の深い敬神の念と現氏子自らも忍び難く,旧南摩村西沢町通称富士山山腹に木花咲耶姫命を主祭神と斎き奉る「浅間神社」に合併を希求,西沢町の御氏子も産土神尊崇の念を同じくする事から快く受諾し合併に至る。平成十九年九月三十日」
*『下野神社沿革誌』巻三-30丁
上都賀郡南摩村大字西澤鎭座 村社 淺間神社 祭神 木花咲耶姫命 建物本社間口二尺五寸奥行二尺五寸 末社一社 氏子百三十七戸
本社は文明年間1469~87の創立にして駿河國富士山本宮より分靈を請ふて本社に鎭座せしむと 社域六百三十六坪にて字富士山の丘陵に在り

 

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