君子神社

[きみこ神社]

栃木県鹿沼市栃窪770

祭神:大山咋命 配神:軻遇突智命・大日孁貴命・市杵島姫命
境内社:櫛磐窓神社・豊磐窓神社・大国主神社・祓殿神社・豊年神社・今勢神社
万里小路藤房卿が菊沢村北門守護として栃窪の地に建立したという。
古そうな「君子神社」社号標は文久二年1862壬戌五月吉日。
元禄十三年1700の堂々たる石製鳥居に「山王権現」と刻まれている。『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃と『下野掌覧』1860刊に「山王大権現」で記録されており、維新6年前に社号変更が行なわれたことになる。県内では早い時期の権現から神社への改称である。
天保九年1838御神燈。文化九年1812手水石。
昭和三年村社君子神社神饌幣帛料供進指定記念石碑。昭和二年狛犬。
社殿左右に石祠二基ずつ計四基、左手の「豊年神社」だけ確定できた。
神輿庫の前に一社。
道路を隔てた北側に薬師堂。嘉永四辛亥年1851。文政三庚辰天1820十九夜。
例祭:11月第一日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 山王大権現 栃久保 上野市之進
*『下野掌覧』万延元年1860都賀郡之部
三王大明神 杤久保村鎮座 祭主上野氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 3巻19丁
上都賀郡菊澤村大字栃窪鎭座 村社君子神社 祭神大山咋命 本社間口一間一尺奥行一間一尺 末社四社 氏子四十五戸
本社は字宮内に在りて社域七百六十八坪を有す

二の鳥居 元禄十三年1700 山王権現の文字
文久二年1862には君子神社 天保九年1838 文化九年1812
石燈籠6基 手水舎
拝殿右手 拝殿左手
右神輿庫 神輿
社務所 薬師堂側から見た君子神社
薬師堂入口 県指定文化財解説
厳島神社

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県鹿沼市栃窪378

祭神:市杵嶋姫命
君子神社のすぐ東に鎮座。脇に用水が流れている。詳しいことは分からない。鮮やかな朱色の鳥居に朱塗の石宮。神札の厳島神社息灾所の「灾」字は[さい]。北に古賀志山が見える。
鳥居額 山王権現の文字
神明神社

神明神社

[しんめい神社]

栃木県鹿沼市高谷975

君子神社北西の森に鎮座。入口に旗杭が見え、奥に大正九年1920石製鳥居。石祠と自然石が祀られている。石燈籠一対。より古い石燈籠一基。
文政四年辛巳1821十一月x待供養塔。宝暦四年1754奉供養xx。玉付金精さま。
高谷は[こうや]
  恐ろしげな…
 
金精さまも   旗杭
金刀比羅神社

金刀比羅神社・金勢神社

[ことひら・こんせい神社]

栃木県鹿沼市栃窪41-2

多氣山の南,飯田の高龗神社の北,営業を止めた栃窪ゴルフアリーナの西隣りの小道を入り,道なき道を道なりに進むと焼却場跡の広場に出る。そこから夏草をかき分けながら北の方に雑木林を行くと,大谷石の神庫が見えてくる。東脇に石宮が一基。幸いなことに「金刀比羅宮奉▢祈講中安全守護攸」神札が外に出ていた。年号は読めない。
神庫は崖の上に建っていて,裏手は3mほどの深さの沢になっている。右手下に注連縄の張られた金精様が三基。昭和六十二年1987奉納の一本に「金勢神社」と彫られている。古い方は文字が見えない。子宝・五穀豊穰・商売繁盛祈願である。
周辺に民家はないが,注連縄が張られているので奉祭されている。
ここはどの資料にも記載がなく,上三川にお住いのsanibohさにぼーさんに教えていただきました。感謝。
金刀比羅神社 神庫
金刀比羅宮 石宮から 注連縄
金勢神社
沢になっている
神庫 かすかに見える 電柱の所から林に入る
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県鹿沼市武子959

旧地名:鹿沼市武子字小林959 武子は[たけし]
主祭神:軻遇突智命 境内社:稲荷神社・天神神社・神風神社
長禄年間1457-60村内大火の災いにあったため川田氏が火伏せの神として山城国愛宕山よりカグツチの神を勧請して創建。
昭和七年1932鳥居左手に「勝善神」,昭和十年1935「拝殿改築記念碑」,右手に昭和十年1935社号標。
狛犬も昭和十年1935。
本殿右手に石段があり,石祠が一基,「下野国上都賀郡鎮座・国之常立尊御璽」左右に「少彦名命・大己貴命」と筆書きされた明治十三年1880の板が納められている。拝殿右手に四基。左から大正六年1917「奉斎神風大神」明治十四年1881「奉斎雷電XX」,文久2歳年1862「奉斎天満天神」「奉斎稲荷XX」
例祭:11月9日の前の日曜日
江戸期に東宮大権現と称した可能性があるが検証できない。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 東宮大権現 小林 光林寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 3巻19丁
上都賀郡菊澤村大字武子鎭座 村社愛宕神社 祭神火產靈命 本社間口二間半奥行三間 末社四社 氏子八十三戸 本社創立不詳 社域二百九十二坪字小林に在り
二荒神社

二荒神社

[ふたあら神社]

栃木県鹿沼市下武子町287

旧地名:鹿沼市武子字小林959 武子は[たけし]
主祭神:大己貴命
詳細不詳。たどりつくのはたいへんだった。東から山に入ろうとしたが薮が繁茂してはばまれる。東側の自治会集会所で小学生に登り方を聞いたがタケノコがいっぱい取れるぞとのお答え。しかたなくうろうろして集会所を見下ろせる高さまで回り込むと墓地に出る。どうやら右手に草を刈り取ったあとが見える。しばらく進むと山頂への道らしき隙間が左手にあり,すぐに鳥居が見えてくる。クモの巣と大量のヤブ蚊に悩まされる。
鳥居から本殿まで膝の高さの緑草に覆われ,なかなかの雰囲気。
昭和24年1949石鳥居。昭和十三年1938狛犬。
黒川左岸の丘陵にあたるだろうか。周辺は開発され,神社南部下方に住宅が密集する。西方に鹿沼の中心部が見下ろせる。
松尾神社

松尾神社

[まつお神社]

栃木県鹿沼市武子町1382

主祭神:大山咋命
京都西京区の松尾大社の御分霊を勧請して創建。詳細不詳。
大正十年1921石鳥居。弘化三年1846石燈籠。棟札に紀元二千五百三拾四年1874
「昭和三十九年・松尾神社屋根建造及びXX」「平成十二年・本殿新築,上屋修繕」「平成二十五年・松尾神社末社の改修」「松尾大神石華表建築寄附録」「八坂XXX祠再建」など板書多数。
境内社は大震災で倒壊したため石宮を新築し,まとめてお祀りすることになった。社殿右手奥の二基の石宮に「三峯大神・大山祇大神・稲荷大神・白山大神・古峯大神」「風穴大神・雷電大神・別雷大神・風ノ神・青龍大神」。左手の石宮に「八坂大神・疱瘡大神」
左手
左手
旧鳥居跡
入口のお堂 お堂内 お堂脇
松尾神社

松尾神社

[まつお神社]

栃木県鹿沼市武子町750

主祭神:大山咋命
京都西京区の松尾大社の御分霊を勧請して創建。詳細不詳。
黒川の東を走る日光線のすぐ東脇に鎮座。入口は分かりにくいので写真をご覧いただきたい。駐車場もないので仕方なく道路に。草を踏み分けて進むと廃屋が右手に二軒。正面に社殿が見える。
享保元年1716石燈籠。
享保元年1716石燈籠
小ぶりの石祠
賛同 入口
八坂神社

八坂神社

[やさか神社]

栃木県鹿沼市武子町598

主祭神:素盞嗚命
上記松尾神社のすぐ東の田園地帯に鎮座。詳細不詳。天保七年1836石燈籠。玉垣は大正五年1916造営。昭和59年1984石鳥居。
天保七年1836 神輿庫内
琴平神社

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県鹿沼市仁神堂町51-17

主祭神:大物主命
詳細不詳。登り口は西側の住宅地にある。旗杭先の草地に駐車できる。鳥居はなく,一直線の参道の上方に石祠が見えてくる。
石祠台座に「下毛都賀郡武子村鎮座」とと刻まれた明治二十五年1892の琴平社神璽が立てかけてある。仁神堂町はもと武子の一部であったためである。
となりの杉の木に「糠塚山・標高186m」の標識。
自然光で撮影
旗杭
稲荷神社

狐ヶ森稲荷神社

[いなり神社]

栃木県鹿沼市府所町220-2

主祭神:倉稲魂神 配神:市杵嶋姫神 境内社:八坂神社
武子川の支流が黒川に合流するすぐ手前。武子川に架かっている稲荷橋は朱色でいかにも神社ふう。2014年9月現在,神輿子を建造中で,できあがれば八坂神社神輿,子ども神輿を収蔵するという。ちょうど境内でくつろいでおられた3人のご婦人のお話しでは,黒川に繰り出す八坂神社の神輿の祭りは宇都宮の天王祭より盛大だという。
大正七年1918石鳥居。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 稲荷大明神 (空白)
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 3巻15丁
上都賀鹿沼町大字下府所鎭座 村社 稲荷神社 祭神倉稲魂命 本社間口二間奥行二間半 末社一社 氏子四十五戸
本社創立不詳 社域四百十二坪を有し字南城下に在り

見事なレリーフ
八坂神社神輿庫
厳島神社
武子川

水神宮[すいじんぐう]栃木県鹿沼市府所本町206
府中橋近くの黒川左岸。帝国繊維の工場敷地内に鎮座。工場創業時に帝繊によって創建された。そのため管理部人事課の事前予約が必要。したがって参拝できないので紹介しても意味がないが記録だけ残しておく。
郵便局の裏手に府所本町の神輿庫があり,そのすぐ北に鎮座するが,こちらからは入れない。

 

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