八龍神社

[はちりゅう神社]

鹿沼市北赤塚町20

主祭神:海津見命
思川の東800m,北赤塚十字路にある龍光寺の200m西の田んぼに鎮座。
社域72坪の素朴な神社だが,きちんとお祀りされている。
昭和58年11月13日改築記念の拝殿額に「八龍神社」
拝殿内左手に「八龍神社社殿改築寄付芳名簿」,右手に「八龍神社社殿鳥居石灯篭修理寄付芳名簿」「八龍神社祭典旗寄付者名簿」
「昭和三年十一月吉日建之」1928年の旗杭
「奉納八龍神・文政十辛亥年十一月七日・當所落合XX」1827年の石灯籠二基。
一条天皇の御代986-1011頃の創建。
本殿:流造木羽葺 例祭:11月第1日曜 4月3日祈念祭
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県鹿沼市北赤塚町940

主祭神:迦具土神 境内社:八坂神社(須佐之男命)・大国魂神社(大国主命)・大日神社(大日孁貴命)
352号線日光西街道沿いにあり,鳥居は街道側に朱塗り一基,南の田に向かって石製一基。小高い古墳様の丘に鎮座。真新しい社殿が建てられている。社殿右手の石祠は右から三峯神社,疱瘡神。木製祠は八坂神社,石像が納められた大日様。大国魂神社は不明。社殿手前の石燈籠は昭和六年。左手に寛政七年1795,萬延元年1860などの石塔が並べられている。街道入口の一里塚榎木脇には文久四年1864などの石塔11基。
『下野神社沿革誌』と祭神が異なる。いずれも火の神だが。 真南に北赤塚の大倉神社の鎮座する判官塚古墳が見える。左手には磐裂根裂神社が見える。南西に亀和田の神明宮が見える。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻三-38丁
上都賀郡南押原村大字北赤塚鎭座 村社 愛宕神社 祭神 火產靈命 建物本社間口一間四尺奥行同 拜殿間口三間奥行二間 末社一社 氏子戸九十三戸 社掌金子善四郎
本社は元和元年1615正月廿四日の勸請にして社域一千百六十八坪字愛宕前に在り

東の参道を上ると正面に 大日様の座像 正式参道
東側鳥居 大エノキと石塔群
石垣の上に本殿  
左手の石碑 石塔群 車の向こうに判官塚古墳が見える
磐裂神社

磐裂根裂神社

[いわさくねさく神社]

栃木県鹿沼市北赤塚町1053

主祭神:磐裂神・根裂神
愛宕神社の400m南,日光西街道の東沿いに鎮座。ここの鳥居から西の方角に判官塚古墳がすぐ目の前に見える。
ダイナミックな彫りの本殿。社殿正面扉の上に「二荒山神社登拜祭諸願成就祈所」の木札が無数に打ちつけられている。8月1日から一週間解禁になる男体山夜間登山を「登拜祭」と呼ぶ。氏子の方が登拜するのだろう。
   
   
 
右は293号線 鳥居の先に判官塚古墳が
大倉神社

大倉神社

[おおくら神社]

栃木県鹿沼市北赤塚町329

九郎判官源義経の冠を埋めた伝説が残るところから判官塚古墳と名付けられた。冠塚ともいわれる。古墳の概略は下の案内看板を。
大倉神社は上の写真の右側の大きな桜の木の根元に鎮座。東西に横たわる古墳の西側頂上。北に愛宕神社,東に磐裂根裂神社が見える。北側に巨石が置かれている。
大己貴神の御子・大倉比賣=下照比賣に関係があるか。栃木県には益子の綱神社となりにある大倉神社以外には見つからない珍しい神社。益子の祭神は大国主命=大己貴命。
磐裂根裂神社方向から 西の端に鳥居が見える
右後方愛宕神社  
ユニクロと比較 森は磐裂根裂神社
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県鹿沼市北赤塚町210

主祭神:倉稲魂命
宝暦四年1754社殿造営の文字が本殿扉に残っている。
地図に載っている金刀比羅さんは氏神様。この脇の細い道を入っていくと稲荷神社。
寛政六年1794申の石燈籠
平成十六年の鳥居。
正一位稲荷大明神
レリーフが3面
大杉神社神輿倉
鳥居 入口の金刀比羅 中央に鎮座
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県鹿沼市北赤塚町723

色鮮やかな鳥居を見つける。石段を上ってみるとおきつね様が一対,稲荷神社である。詳細は不明。かたわらに葺替えたらしい旧瓦が積んである。詳細は不明。
きつねですね

 

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