胸形神社

[むなかた神社]

栃木県鹿沼市村井町1088

旧地名:上都賀郡・北押原村大字村井
祭神:田心姫神 他16神と境内社は看板の写真を。
東武日光線新鹿沼駅の南西800mの山裾に鎮座。
遠い昔,旱魃に苦しみ,六ヶ所の溜り水を作物にそそいでしのごうとしたところ,この溜り水汲めども尽きず,これぞ大神の無尽水と感謝,報恩に六つの祠を建てたのが社の起源と伝わる。地名は六ヶ井から村井となった。
室町末期に社殿民家ことごとく戦火に焼かれ,持ち出しておいた神鏡を小祠に祀って再建したのは江戸期に入ってかららしい。このとき女体大権現と改称し,維新に際して胸形神社と改称した。
かつては式内社の村檜神社にあてる説があったが,いまは言わない。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 女体大権現 村井
*『下野国誌』巻三 嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行
都賀郡村井邑にあり。是も日光山滝尾女体権現のうつしという。また一説にハ神名帳に載せたる,村檜神社なりとも云。里長関口某が云う,当時はもと村檜といいしを,村中に井の六ツある故に,後世村井と改めたるなりといえり。よく考うべし。
*『下野神社沿革誌』巻三-33丁 明治三十五年1902
上都賀郡北押原村大字村井鎭座 村社 胸形神社 祭神田心姫命
建物本社間口一間奥行五尺 末社六社 氏子六十戸
本社創建年月不詳 社域千三十八坪を有し字胸形山の高燥の地に在り
文政八乙酉1825明神鳥居
柚子    
大谷石の石段を登る  
 
読めません
寛政八年1796 境内社8社 竃神社は嘉永七年1854
庚申塔側面
五良神社

五良神社

[ごりょう神社]

栃木県鹿沼市村井町1226

主祭神:?
平成8年1996御影石社号標に「五良神社」。
御霊に由来するのだろうか。詳細不詳。
水田が広がる
生子神社

生子神社

[いきこ神社]

栃木県鹿沼市樅山町1167

主祭神:瓊瓊杵命 境内社:大杉神社・大日神社・愛宕神社・浅間神社
神亀三年726の創建の古社。樅山明神と称した。天文十八年1549氏子の余吾衛門ら子が天然痘で亡くなったとき樅山明神に祈願したところ三日後に蘇生したので,それから生子神社と尊称されることとなった。泣き相撲で有名。
石鳥居額束裏に「寛政二庚戌天1790十一月吉日」の文字。石段途中の石燈籠は寛政六庚寅年1794。「七合目」標識は文久二戌1862。上りきったところに文政九戌年1826石燈籠。安政四年1857狛犬。境内右手に泣き相撲の土俵と神楽殿。
拝殿左手に境内社。正面に浅間神社,左手に愛宕神社。その左の木製祠は大杉神社,八坂神社,日光神社,稲荷神社。となりの石祠は稲荷神社,磯部神社,御門神社。拝殿左隣に石尊神社,食行神社と不明社。拝殿右手の木製祠は大日神社。
本殿に「樅山生子神社」額が見える。 例祭:9月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)
都賀郡 生子大明神 籾山 浄慶院
*『下野神社沿革誌』巻三-32丁(明治三十五年1902)
上都賀郡北押原村大字樅山鎭座 村社 生子神社 祭神 天津瓊々杵命 祭日陰暦正月八日
建物本社間口一間奥行五尺 拜殿間口三間半奥行二間 木鳥居一基 末社七社 氏子八十一戸 社掌島田啓三今宮神社社司同村住
本社は神龜三年726九月十五日の勸請にして安産及ひ痘瘡の守護神にして衆庶崇信の社なり 明治五年村社に列せらる 社傳に曰く本社は徃古樅山明神と稱せしか天文十八年十二月廿日氏子某の一子痘を患ひ醫藥効なく遂に同月晦日の夜逝去す父母大に悲嘆し此上は神に蘇生を祈願せるより術なしと思ひを定め彿暁一子の屍を負ひて境内の淸泉に身を潔き淸めて一子の蘇生を祈り感應あらは毎年四十二種の餅を備ひて大前を齋き祭むと心信を凝らし誓願なしけれは三日を經たるも忽ち蘇生る故に此より生子神社と尊稱し毎年正月八日には氏子一同参集し四十二種の餅を作りて備る古例今尚存せり 殊に本社には取子と唱へ本社より命名し健康を祈る例あるを以て遠近の信者幾萬なるを知らす 社域九百坪高燥の地に在りて古杉老檜蓊蔚として繚繞し頗る幽清なり
寛政二庚戌天1790
2014年ポスター
樅山町集落センター 杉の巨木
手水舎 寛政六庚寅年1794 文久二戌1862
文政九戌年1826 左手 土俵
神楽殿 拝殿額
土俵か 本殿
本殿の額 安政四年1857
境内社入口 右:愛宕神社
浅間神社 拝殿右手の大日神社
本殿右手 日の出祭りと泣き相撲解説
浅間神社

浅間神社

[あさま神社]

栃木県鹿沼市花岡町102

主祭神:木花咲耶姫神 配神:大己貴神・根裂神・田心姫神・磐裂神・味耜高彦根神
境内社:安産神社
建久年間1190-99この付近の山頂に木花開耶姫命を奉祭したのが始まりで,富士山大権現と称した。いつしか社殿も荒廃したが,大正八年1919氏子の後藤義雄氏の尽力で諏訪神社の境内地に社殿を造営し遷宮した。諏訪神社を合祀し,浅間神社と改称。
大正十一年1922石鳥居。石段を上りきった左右に大正八年1919石燈籠。社殿右手の石鳥居つき境内社には「安産大神」の木札が掛けられている。この地に以前から鎮座した愛宕神社である。多数の玉石が奉納されている。脇に聳える杉の巨木はなかなかの見もの。
昭和46年1971記念碑に,境内に聳えていた樹齢350年の杉を売却して浅間会館を建設した旨が刻まれている。
例祭:1月13日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 富士山大権現 花岡村民
*『下野神社沿革誌』巻三-15丁(明治三十五年1902)
上都賀郡大字花岡鎭座 村社淺間神社 祭神 木花咲耶姫命
建物本社間口一間半奥行二間 末社九社 氏子十七戸
本社は字富士山にありて社域七百十四坪高燥の地に在り
社殿右手
安産神社
杉の巨木
大杉伐採記念碑 浅間会館
鶏神社

鶏神社

[にわとり神社]

栃木県鹿沼市三幸町1512

徳蔵寺すぐ北に鎮座。内田家の崇敬社。詳細は史蹟・名所案内板が立っているので,そちらの写真を参照。
社殿前に井戸があり,蓋をあけてみると水が湧いていた。
鹿沼には,少し北の西沢地区に「荷渡神社」,見野に「鶏神社」がある。
県内には徳次郎に「鶏渡神社」[にわたり],旧今市轟に「高男荷渡神社」[にわたり],小百に「高尾荷渡神社」[にわたり],岩舟に荷渡神社[にわたし],野木と大平町に「根渡神社」[ねわたり],氏家に「鶏神社」[にわとり],上金井に「鶏鳥神社」[にわとり],新里に「鶏大権現」,芳志戸に「荷渡権現」がある。
関東以北では[に][ね][み]の音をあてた漢字を用いる社もある。庭渡,御渡,美渡,子渡,根渡,三渡,見渡など。読み方も変化して[にわたし」[みわたり」などとなる。他に二羽渡・仁和多利・新渡・海渡・三輪足・鬼渡などさまざまだ。
昭和八年1933奉納
石宮と鶏 井戸 井戸に水
徳蔵寺入口 白山神社か?

 

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