尾出山神社

[おでやま神社]

栃木県鹿沼市上永野1534・山口

旧地名:上都賀郡・粟野町上永野宮原1534/上都賀郡・永野村大字上永野
祭神:大己貴命・田心姫神・味耜高彦根命
境内社:白山・稲荷・琴平・山神・疱瘡(少彦名命)
尾出山神社は永野川上流に2社。大越路トンネル手前を199号に入る。しばらくいくと「たろっぺ茶屋」さらに進むと山口公民館,キャンプ場があり左手に山口の尾出山神社。『下野神社沿革誌』に記録されたのはこちらの方。
永禄元年1558の創建と伝わる。天正八年1580本殿造営,宝永三年1706再建。拝殿は明治三十四年1901造営。
尾出山山頂の奥社の銅扉に「永喜二年(私年号で1527年)丁亥二月十五日」と刻まれているので,その31年後の創建ということになる。この石宮はそろそろ500年になろうとする貴重品。永喜二年の私年号は今宮神社所蔵の餅板にも記されている。
境内に神楽殿があり,10月10日前後の日曜日の例祭に関白流風流系獅子舞が奉納される。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位尾出山大明神 上永野 亀田伊勢
*『下野神社沿革誌』巻三-46丁 明治三十五年1902
上都賀郡永野村大字上永野鎭座 村社 尾出山神社 祭神 大己貴命・田心姫神・味耜高彦根命 祭日陰暦正月七日/九月七日/ 建物本社間口一間半奥行一間半栃葺 拜殿間口三間奥行二間 神樂殿間口三間奥行二間半杉皮葺 華表一基 石獅子二基天保五年1834植竹七兵衛奉納 征淸記念碑一基 石鳥居二基 寶物古書二通 木椀四個天正八年1580の奉納也 異狀鹿角数本 氏子百八十三戸・総代四員 社掌茅原祐助同村大字同十六番地住
本社創立遼遠にして詳ならすと雖も天正八年1580九月の再築にして今尚儼然として古色輪奐たり殊に神位宗源宣旨正一位を授けらる 社域四百二十坪にして西に高山岭々たり東に永野の川流其音勹+乎訇として雷鳴の如く南一面開濶眺望に佳なり境内には老樹蓊蔚にして幽邃なり

天保五甲午年1834九月の狛犬 右は文政十二年己丑1829霜月吉日
山門をくぐる くぐって右手 寛政七年乙卯年1795九月七日
くぐって左手 左手に神楽殿
左手に1社 右手に1社
くぐり屋 中央に鳥居が見える
尾出山神社

尾出山神社

[おでやま神社]

栃木県鹿沼市上永野1883-2・与州・落合

旧地名:上都賀郡・粟野町上永野落合1883-2
祭神:大己貴命・田心姫神・味耜高彦根命
境内社:八坂神社
こんなところにそば屋があるかという山奥に「百川本そば」があり(2015/12現在・閉まっていたが,そば山水として復活),向かいに薬師堂,200m先にふたつめの尾出山神社鳥居が見える。
天正十年1582の創建と伝わる。弘化四年1847石燈籠。
社殿北東奥にご神体の尾出山933mがある。
与洲のモミと呼ばれるモミの巨木が見事。樹齢400年くらいか。
ちなみに,ここを右に入って少し恐ろしげな道を行き止まりまで行くと,おいしい山水の汲める場所がある。さらに寺沢林道を進んで,尾出山の登山道につながる。
この尾出山神社は山の麓にあり,この山の頂上に天照皇大神宮が鎮座する。長寿院方向に入るとすぐに鳥居が見える。
山口,落合両尾出山神社の三祭神は日光二荒山神社と同一である。日光修験の三峯五禅頂コースの出流山入峯の次が相沢宿で,次が不動嶽金剛堂つまり尾出山である。このコースは横根山,勝道上人が修業した深山巴宿を経て古峰原に到る。
当社から直線で4キロほど山奥の尾出山山頂に「勝道上人修業第二宿堂跡」石碑が建てられており,そのとなりの小さな石宮が奥社で,昭和五十四年1979頃には観音開きの銅扉が付いており,左扉裏に「永喜二年(私年号で1527年)丁亥二月十五日」,右扉裏に「奉施入不動嶽石社願主勝蔵坊秀厳」と刻まれている。修験者の名前も多数刻まれている。不動嶽は5キロ南にあるので謎だが,不動嶽金剛堂すなわち尾出山であるか? 銅扉は麓に保管されているらしい。
日光修験の神仏混交から奉祭された与州の尾出山神社は,もと長寿院境内にあり(松久山長寿院は弘仁十二年821創建の古寺),明治元年1868に佐明地の高田氏の社地寄進を受けて遷宮した。
  左は社務所
右の石燈籠は大正六年1917四月十五日 小型の石燈籠は弘化四未二月吉日1847
 
本殿左手に二社 本殿右手・大物主命
3人で囲めないかも 樹高30mはある 拝殿前の石版
昭和37年の旗柆に八坂神社の文字 薬師堂
天照皇大神宮

天照皇大神宮

[てんしょうこうたい神宮]

栃木県鹿沼市上永野1883

主祭神:天照皇大神
上記の尾出山神社鳥居を正面に見て左に入るとすぐ右手に石鳥居が見える。正面は長寿院。石鳥居足下に「寛政元己天1789」の石塔が横たわっている。鳥居から急な石段が延々と延びているのが見えて気後れする。せっかくここまで来たので登って見た。数えなかったが,数百段上がると少し土の山道に代わり,さらにまた延々と石段が続く。つづら折りの道はなさそうだ。石段を積み上げていく作業はたいへんだったに違いなく,頭が下がる。
社殿は杉に囲まれた頂上に鎮座している。扉の隙間から拝見すると,正面に木製祠があり,左隣りにも小振りの木製祠。両端に木彫に見える神像が祀られている。
明治十年1877四月の「神社取調書」に「無格社・大神宮・天保二年1831八月・敷地4坪・信徒33戸・落合」とある。寛政元年1789の石塔の方が古いが。
長い石段
途中の石段 かすかに見えてきた 最後の石段
頂上に鎭座
扉上部の隙間から かろうじて
社殿下は切り立っている 鳥居左手
長寿院 正面の山に鎭座
植竹

尾出山神社

[おでやま神社]

栃木県鹿沼市上永野1994 上植竹

尾出山神社鳥居を正面に見て右折して細い山道を行くと左手に石鳥居。
植竹は上永野の江戸時代の枝郷のひとつ。社号不明なのでGoogle地図では植竹神社を採用したのだろう。
当社脇を通るのは上永野下永野線で,すぐ北に南から合流する林道の名称が「与州加戸沢線」と,江戸時代の与州の名を使用している。
国土地理院地図の地名植竹の鳥居マークから推測して,明治十年1877の「神社取調書」記載の上植竹の尾出山神社の可能性が高い。
大正十四年1925石鳥居。「二十三夜塔」
本殿
二十三夜塔
今宮神社

今宮神社

[いまみや神社]

栃木県鹿沼市上永野2452 宮ノ入

主祭神:大己貴神・田心姫命・味耜高彦根命
境内社:十二社・山神社・稲荷神社・厳島神社
旧地名:上都賀郡粟野町大字上永野
永野小学校の脇を入ると奥に旗竿,石階,石鳥居が見える。右手に小学校のプール。
戸矢子七郎有綱(足利有綱)が仁平三年1153五月日光三社大権現より御分霊を勧請して創建,今宮大権現と称した。
明治三十二年1899石鳥居。平成17年狛犬。
私年号で「永喜二年1527」と書かれている餅板を社蔵する。同じ私年号は尾出山神社奥社祠堂銅扉にも刻まれている。
ほかにも保存されている懸仏、木製カワラケ及び木製厨子について鹿沼市教育委員会事務局文化課文化財係による解説はつぎの通り:上永野の今宮神社に伝わる懸仏は、千手観音菩薩坐像などを魚々点(ななこ)で表したものです。修験者や熊野比丘尼などの廻国の巡礼者、また地元の信者により奉納され、制作年代は、室町末期から江戸初期にかけてと思われます。‏‏‏/木製厨子は、天文8年(1539)に千蔵坊恵深が、この宮殿一宇を奉納したとの墨書銘があることから恐らく本尊の懸仏1面が収められていたと思われます。‏/中世から近世初期の墨書銘を持つ、宮殿は大変に少なく貴重です。その後、地元の永野3ヵ村の助力により、神社が造営され、3ヵ村の惣氏神にしたとあります。‏/木製カワラケは、制作年代等が不明ですが、懸仏や木製厨子を合わせて考えると貴重なものです。
(『栃木県神社誌』平成18年版の付録の地図ではNo.31八幡神社とNo.5今宮神社の鎭座地があてにならず社号特定できない。社号を示すものは見つからず,土地の方のお話しと,鹿沼市指定文化財標識の立てられていることから,こちらが今宮神社と判断した)
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)
安蘇郡 正一位 大権現 上永野 亀田伊勢
*『下野神社沿革誌』巻3-47丁(明治三十五年1902)
上都賀郡大字上永野鎭座 無格社 今宮神社 祭神大巳貴命 田心姫命 味耜高彦根命 祭日陰暦九月十九日 建物本社間口一間半奥行二間栃葺 雨覆間口三間奥行三間 末社六社 鳥居一基 寶物戸矢子ノ矢ノ根 社有財産田畑反別三反六畆二十八歩 信徒三十九戸總代池澤源五郎▢塚作▢ 社掌同上
社傳に曰く本社は仁平三年1153五月の創建にして藤原秀郷の末裔本郡寺尾不磨山城主戸矢子七郎有綱の勸請にして日光三社大權現を本社に遷座し本城の鎭護神と齋奉て今宮大權現と尊稱し戸矢子七郷の大鎭守と定めたり 七郷とは永野より東南永野川の沿岸千手郷まてを云ふ 后有綱唐澤城に徒り其子孫佐野氏なり 爾后二百二十年を歴て佐野氏社殿を再築して新たに別當を置き本社に奉仕せしむ‏/明月坊寶徳寺と號す是則年號の二字をとりて名くと云ふ 爾来三十四代利貞維新に至り復飾して宮本と改む‏/后永正十年1513佐野越前守秀綱社殿を修理し社領永五貫文を寄附せらる 當時棟札に永正十年癸酉年1513願主佐野越前守秀綱‏/奉行大貫山城守代官杉枝伊賀守百性山際▢六郎藏水九郎須阿久津又太郎戸矢子七郷/と記しあり 后又今村大膳の修繕あり 后天正年間小田原の城主北條氏直襲來し唐澤城を攻むる時佐野修理亮宗網の家臣山上道牛に命して今宮權現に戦捷を祈り靈驗著しきにより御供米を増献せりと 天正十八年四月豐臣大閤小田原征伐の時宗綱の嗣左衛門佐氏忠は小田原に屬し遂に亡ひしかは同年五月今宮權現社領も没収せられき 尋て天徳寺了伯佐野家の遣領を繼き同十九年社領従前の如く寄附せられしも佐野修理太夫信吉の代慶長十八年佐野家國除せられ其領地は徳川將軍の代官支配と爲り 后又元和年間宇都宮本多上野介正純の領知となる 斯く領主地頭の變革するにも掛はらす戸矢子郷の氏子は勸請以来恒例の祭祀怠らさりしも同七年五月四日氏子等祭禮の座席を爭論し遂に訴訟せしより宇都宮本多の老臣武井九耶右衛門の武断にて社領を没収せられしより七郷の氏子祭禮の式典をも絶へて自然地元澤坪の崇祀のみに至れりと云ふ 徃古は公衆崇敬の社にして祭禮も又盛大なり 大門も大道路に通徹して今尚ほ鳥居戸(?跡)馬塲等の古跡存せり 社城民有社地六十坪共有山林九反五畆歩の地接にありて老杉古榊蔚々蒼々として物凄し
*「粟野古記録」昭和五十五年1980粟野町誌収録
今沢 今宮大権現 願主今村大膳/天文十八己酉1549年九月十九日、日光山神領政所糟尾長野両郷大願主佐野越前守藤原秀綱公造立ス‏‏‏‏、今宮権現、報(宝)徳寺永五拾貫文佐野秀綱寄附天正十八年1590五月召上ラレル/日光山神領主ハ宗兼 導師座禅院昌膳阿闍梨棟札勧請崇祭処也
*木製餅板に朱筆で書かれた私年号、永喜二年は大永七年1527にあたる
權少僧都▢▢覚▢‏/長野今宮大明神餅板‏/永喜二年丁亥八月吉日
高さがある
本殿の鈴
右側面
絵があった? 左側面
 
最初の石宮 旧石宮
鹿沼市指定文化財標識 本殿左手 本殿右手
杉が間引されている
正面奥に見える
真新しい旗竿
鳥居から見たプール プール下の石塔
八幡神社

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県鹿沼市上永野2497-4

主祭神:譽田別命 境内社:稲荷神社
旧地名:上都賀郡・粟野町大字上永野字柳沢
正徳元年1711八月の創建。
プールのある長野小学校の東,つまり今宮神社より手前,大宮神社の真北あたりに旗杭。
入口のお宅でお尋ねすると柳沢の「八幡神社」が鎭座するとのこと。2024年8月11日で,軽装で行ったため,薮に入ると大量のヒルにまちがいなくやられるので参拝は止めた方がいいとご指導いただき,寒くなってから行くことにする。イノシシも出る。
旗竿,旗の管理を任されているお宅で,貴重なお話しをお聞きすることができた。感謝。
2024年12月19日再参拝。
明治四十一年1908十一月吉日石鳥居。年号が読みにくいので明治は推定。
覆屋に打ち付けられている銘板に「八幡神社改修事業 一、本宮大扉取付け…一、弁天社上屋新築と内宮修繕…平成二十九年2017九月吉日」
上屋が見つからず弁天社を特定できなかった。鳥居をくぐって右手に稲荷神社の石宮。すると石段右手の比較的新しい石宮が弁天社か。あるいは上永野398の厳島神社をさすか。
本殿右手の石燈籠に「延享元歳1744甲子」と刻まれている。280年前だ。
祭日は九月の十五夜。重い旗を出してきて掲げるのがたいへんだったとのこと。『栃木県神社誌』に(旧暦八月十五日(十五夜))とわざわざ(十五夜)とあるのに合致する。なお2024から上記今宮神社と共同で祭事を行うこととなった。
旗杭は昭和三十二年1957七月二日建立。
旗杭前に文字は読めないがそうとう古い石塔が7基保存されている。
道路脇入口の奉供養十九夜念仏石塔に「享保二十一丙辰歳1736」が読める。
(『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行の神社目次に「与州」,「粟野古記録」に「五羽ノ入」とあるのはいまのところ謎。)
例祭:九月十五夜
石段を上る
  2019交換の扉
八幡神社改修事業銘板 本殿
本殿屋根 石燈籠一基
石燈籠下の石宮
?弁天社 稲荷神社
明治四十一年1908石鳥居
昭和三十二年1957旗杭 旗杭向かいに石塔
享保二十一丙辰歳1736 十九夜念仏石塔
諏訪神社

諏訪神社

[すわ神社]

栃木県鹿沼市上永野770

主祭神:建御名方命・八坂刀売命 境内社:稲荷神社・雷電大神
旧地名:上都賀郡・粟野町大字上永野 諏訪前
現在はコミュニティセンターになっている旧永野中学校1947-2003校庭の北山中腹に鎭座。以前はこんもりとした杉木立に囲まれていたが,写真のように全部伐採されて丸裸の斜面にぽつんと鎮座する。2024に再訪したところ最後の写真のように繁茂していて鳥居は見えなくなっていた。赤矢印が上り口階段。
享保二年1717八月の勧請と伝わる。
左手の木製祠には「雷電大神」,右手には「倉稲魂命」が祀られている。
文化六己巳1809石燈籠。文政八酉歳1825狛犬。天保十五年1844または天保二年1831の石燈籠と手水石。
社号を示すものは見つからず。
付近のお宅を3軒ほどお尋ねするも社号不明,おひとりが「おささま」?とおっしゃっておられた。
24年8月20日に再訪してコミュニティセンターでお尋ねするも分からず。さらに3軒回って1軒の方だけが「おささま,諏訪神社だよ」と教えてくださった!なるほど「おさ=お諏訪」か。「昔は八坂神社の前にも諏訪神社の鳥居があって,子どもの頃,つまり昭和22年以前には校庭のあたりには大きな池があり,浮島もあった」ということです。
個人の崇敬社とおっしゃる方がいらして,当該宅をお尋ねするもお留守。またの機会に。

(『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行の付録の地図でNo.31八幡神社が永野小の北になっていてNo.5今宮神社が八坂神社道路向かいの当地を指していてあてにならない。『栃木県神社誌』にはJR栃木駅からの距離が書かれていて,沢坪の今宮神社が16キロ,八幡神社が17キロとあるので、これが正とすれば永野小学校奥の今宮神社からさらに西に行った永野コミュニティセンター脇のGoogle地図に今宮神社と記録されている当地が「八幡神社」になる。
しかし『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行の上都賀地区神社名鑑には八幡神社住所には「上永野字与州」と枝郷「与州」が書かれている。上永野の枝郷は「与州,植竹,塩沢,山口,中坪,沢坪」の六郷があった。与州は永野川上流の尾出山神社あたりで,尾出山神社手前に「与洲公民館」があり。尾出山神社から400m上流に「与洲みちの休憩所」がある。いずれもGoogleは「洲」の字。六郷のうち江戸期に名主が置かれたのが中坪,沢坪,与州の三郷なので概念的には落合の尾出山神社周辺が与州なのだろう。尾出山神社のJR栃木駅からの距離は24キロと記録されている。したがって予州八幡神社だと17キロの当社と誤差が大きすぎる。植竹の神社は3つめの「尾出山神社」であろう。)
三神
雷電大神
倉稲魂命
杉の切り株
境内を中学校にしたのだろう 校庭に直結していた
中央に見える
2024
八坂神社

八坂神社

[やさか神社]

栃木県鹿沼市上永野735 鳥居戸←跡

主祭神:素盞嗚命
旧地名:上都賀郡粟野町大字上永野字宮原
嘉永五年1852創建。字鳥井跡に鎮座したが,明治元年1868現在地に遷宮。背後の山の麓を永野川が流れる。
大宮神社

大宮大明神

[おおみや神社]

栃木県鹿沼市下永野592

主祭神:大己貴神・田心姫命・味耜高彦根命
本殿額は「大宮大明神」と読める。土地の方は「明神さま」と呼んでいる。 字久分[きゅうぶ]の30数軒が奉祭する。ゼンリンの地図では社殿は上永野になってしまうが,鳥居は下永野になる。氏子の方の概念では明神を境に上下永野に分かれる。久分鎮守なので神社は下永野に属する。拝殿前の石燈籠に久分と下永野の文字が刻んである。
大きな本殿の側面には神獣の彫刻が施されている。
明治四十一年1908石鳥居。昭和十四年1939旗杭。昭和十五年1940石燈籠。
見ることはできないが石を磨いて作製した節の二つある古代の「独鈷石」が保管されている。
参道右手に猨田彦大神。2015年12月に見た時より18年1月には少し傾いた。
例祭:4月15日 10月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)
安蘇郡 大宮大明神 下永野 大宮山城
*「粟野古記録」昭和五十五年1980粟野町誌収録
大宮大明神 稲荷大明神 願主蔵之助‏/天正十壬午年1582九月九日、長野両郷日光神領政所佐野修理大夫藤原宗綱公本願主ニ而造立ス、氏子十八人後ニナル 日光山神領主座禅院昌歆阿闍梨導師棟札勧請創立ス
2015年12月 猿田彦大神
2018年1月 2015年12月 2018年1月
久分の文字の見える石燈籠
下永野と刻まれている 大宮大明神
彫刻で覆われた本殿
大きな本殿
2015年12月 18年1月・注連縄が違う
鎮座の杜 鳥居南に野州麻紙工房 工房脇のパン屋さん
大宮大明神への入口,199号線沿いの永野郵便局前に地蔵尊と庚申塔,馬頭観世音などの石塔六基。看板の野州麻紙工房は大明神のすぐ南にあり,鹿沼麻を使った和紙を漉いている。となりのパンがおいしいらしいがお休みだった。
199号線をほんの少し西に進んで臘梅の里手前に耳神社が祀られている。文化四年1807または弘化四年1847の石像。合わせてサエの神・道禄神。上部の欠けた石塔に「靈」字。中央の石宮が不明。
郵便局前の石塔
耳神社 道禄神
不明社

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県鹿沼市上永野398

主祭神:市杵島姫命
上記大宮神社の北東の田園地帯に鎭座。覆屋内に木製本殿があり,手前に小振りのトタン葺き木製祠が三基祀られている。本殿と木製祠に「魔除け之麻」が奉納されている。このあたりは麻の産地であった。生命力の強い麻は「神宮大麻」に象徴されるように汚れを祓う清浄の植物として信仰された。
「粟野郷土誌」によれば大麻栽培の開始は弘治元年1555頃からである。
***
明治十年1877四月の「神社取調書」には,上永野ではさらに次の二社が記録されているが現在社はまだ発見できない。
  神明宮  石倉
  雷電神社 西裏
本殿の魔除け之麻
右手境内社の魔除け之麻
町の方向 左手に長野川 鎭座の杜
御嶽山

御嶽山神社

[おんたけさん神社]

栃木県鹿沼市下永野82

主祭神:国常立命
弘仁三年812空海上人によって北辰ヶ岳御嶽山が開山されたと伝えられる。関東巡錫はもっと後で,日光とかかわるのが820年頃だが詳細不詳。三峰山大神・御嶽山大神を祀る。藤英悦による板絵が拜殿左右に架けられている。
山中に多数ある神社は「山歩きTREKKING」のページをご覧ください。栃木県の山々を登っておられる方のWebです。
二の鳥居 不明の己巳?
社務所改築記念碑
天保六年1835狛犬
たろっぺ茶屋手前の立派な個人の神社
子育地蔵尊
尾出山神社手前の子育地蔵尊
石燈籠もある
左手
右手
熊野神社

熊野神社

[くまの神社]

栃木県鹿沼市下永野1251

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命 配神:天照皇大神 境内社:稲荷神社・大杉神社
「寛保三癸亥1743九月十五日」石燈籠。「文化六己巳1809」石燈籠。 鳥居右手に昭和43年1968「石段改築記念碑」,その右は昭和24年1949「境内地譲与記念碑」,さらに右手に「大杉神社」社殿左隣りは「鹿島宮」,平成18年の社殿移転,鞘堂改修の「御修理記念」木札が納めてある。
杉の巨木が見事。
例祭:12月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)
安蘇郡 正一位 熊野大権現 永野 吉祥寺
*『下野神社沿革誌』巻三-46丁(明治三十五年1902)
上都賀郡永野村大字下永野鎭座 村社 熊野神社 祭神 伊弉諾命・伊弉冊命・天照皇大神
建物本社間口一間六寸奥行二間 拜殿間口三間奥行二間 末社三社 華表一基 氏子百四戸總代五員 社掌大舘兼道同村大字同住
本社は奈良別王の勸請にして安蘇川原に鎭座しけるを承平二年932七月大洪水の時本村熊野窪と云ふ山中に移遷し熊努宮と改めて宮居造營しける後佐野家莊園たりし時天照皇大神を合祀し熊野神社と改稱す 神主には大舘氏を以て代々奉務せしむ 寛文年中社僧吉詳寺奉仕せり 寶暦二年1752より大舘一家にて奉仕勤續せり 社寶には古鏡二面神代鏡石一個大甕一個矢之根二本を蔵せり 社城一千百三十坪字山根に在りて古杉亭々と高く聳ひ前には田圃を隔てヽ永野の淸流淙々たり 地方頗る山地にして三方に高嶽を繞らし山河の景色實に名狀すへからす水亦淸且冽にして一仙境たり
たいしたことなさそうに見えたが 近づくと ものすごい質量
途中から双幹になっている ご覧のとおりの巨大さ
丈が高い
本殿
左手奥に鹿島宮 鹿島宮
右:大杉神社
  ***
明治十年1877四月の「神社取調書」によると,下永野にはさらに多数の社が記録されている。現行の地図には載っていない。蔵本は御岳山神社付近。
  真麻神社(山根) 天之御中主神・迦具土神・埴山姫神
  嘉島大神(宮ノ上山根) 武甕槌神
  雷大神(宮ノ上山根) 大雷・山雷・別雷神
  大水上神社(東久野柄鉏沢口) 伊弉諾命・伊弉冊命・水波能売神
  二荒神社(下り元坂口) 多紀理姫神・大己貴神・味耜高彦根神
  愛宕大神(字愛宕沢) 迦具土神
  山神(蔵本御沢口) 大山積神
  厳島大神(下蔵本ノ台) 思比売神
  稲荷大神(下蔵本ノ台) 豊受比売命
  八龍神(下蔵本ノ台) 高龗神・火産霊・卓迦之御魂神
  十二社大神(下蔵本ノ台) 天之御中主神・諸冊ニ神外
  三峯‏/御嶽大神(下蔵本ノ台) 三峯三社大神・御嶽大神
  山神宮(上蔵本荒鏨天狗沢) 大山祇大神
  山神宮(上蔵本信濃沢) 大山祇命
  琴平大神(上蔵本山根) 大物主神
  神明大神(上蔵本厚木山根) 天照大御神
  稲荷大神(西新田山根) 宇賀受御魂神・応神天皇
  雷電大神(姥ケ沢下も堰山峯) 大雷神・山雷・別雷
  山神宮(姥ケ沢口上寺坂口) 大山祇神
  神明大神(久分奥ケ沢山根) 
  二荒神社(東久分福沢峯) 多紀理姫神・大己貴神・味耜高彦根神
  三日月大神( ) 月夜見命
  山神宮(山際入根本) 大山祇命
  雷電神社(茗荷沢) 大雷神

下永野1671に愛宕神社があることが分かっている。しかし1671番地が地図からたどれないので見つけられません。小振りの石宮だけの社で『栃木県神社誌』平成18年版に写真が載っています。ご存じでしたらぜひご教示ください。 <連絡先>

 

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