浅間神社
[せんげん神社]
栃木県鹿沼市西沢町1709
旧地名:上都賀郡・南摩村大字西沢
祭神:木花開耶姫命 配神:大日孁貴命・倉稲魂命・磐裂神・根裂神・田心姫命・猿田彦命・保倉姫命
文明年間1469~87駿河国浅間神社より御分霊を勧請し西沢村富士山麓に創建。
2015年11月16日の時点で鳥居左手の崖が10月の大雨で崩落し,付近は黄色いテープで囲まれて立ち入り禁止になっていた。神社には右手の坂から回り込んで参拝できる。鳥居手前に川が流れており,徒歩では渡れないので無理やり車で渡ってしまった。付近の方のお話しでは通常はほとんど水はないらしい。前日の雨で水位が上がったのだという。例祭時には臨時に橋が架けられる。
坂を登って行くと杉林に入り,奥に二の鳥居が見える。額束に「安永三年1774西沢村總氏子甲午十一月吉日」と刻まれている。鳥居足許には明治四十一年1908石燈籠,つぎに昭和十七年1942狛犬。手水舎の脇に元治元甲子1864狛犬。なかなかの面構え。一基は台座が一度覆われて修復されたらしい。
本殿手前に文久二壬戌年1862正月十三日と天保十三?年の石燈籠。
本殿裏手に杉が聳えている。こちらが御神木だろう。二の鳥居手前の杉二本も巨杉だが。 川の側の一の鳥居脇に昭和26年1951社号標。大きな石碑は平成19年9月に建立され「浅間神社合併経緯」が刻まれている。
「南摩町最奥の字,笹之越路・西之入・梶町の里,通称富士山山頂に木花咲夜姫命を主祭神として斎き奉る浅間神社は,五十六世帯が氏子を成して世々を経て産土信仰の主柱と頼み,護持運営に努め神徳のご加護を賜りしも,思川開発事業南摩ダム建設に氏子全世帯移転に至る。拠って宗教法人規則第五章補則,神社移転・合併または解散かの方途を勘案するも,移転は氏子世帯の離散により不可,解散は先祖先達の深い敬神の念と現氏子自らも忍び難く,旧南摩村西沢町通称富士山山腹に木花開耶姫命を主祭神と斎き奉る「浅間神社」に合併を希求,西沢町の御氏子も産土神尊崇の念を同じくする事から快く受諾し合併に至る。」
例祭:9月最終日曜日
*『下野神社沿革誌』巻三-30丁(明治三十五年1902)
南摩村大字西澤鎭座 村社 淺間神社 祭神 木花咲耶姫命
建物本社間口二尺五寸奥行二尺五寸 末社一社 氏子百三十七戸
本社は文明年間1469~87の創立にして駿河國富士山本宮より分靈を請ふて本社に鎭座せしむと 社域六百三十六坪にて字富士山の丘陵に在り
*[配神磐裂根裂神から推定]『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 星宮大権現 西沢 明星院
合併した浅間神社は上南摩町2636に鎮座した。御祭神表記が「開耶」でなく「咲夜」で木花咲夜姫命。合併碑でも区別して刻んである。元亀元年1570の創建。文政元年1818本殿再建。境内地150坪であった。南摩ダム建設で440年の歴史を閉じた。
橋のない川を渡る
杉の参道
二の鳥居と巨杉
かなりの巨木
安永三年1774鳥居
安永三年が読める
明治四十一年1908
昭和十七年1942狛犬
元治元甲子1864狛犬
元治元甲子1864狛犬
元治元甲子
台座修復の跡
明治四十一年1908石燈籠
無償譲與記念?
天保十まで読める
天保十三年?寅?
拝殿
杉の御神木
浅間神社額
本殿と浅間神社額
昭和六十二年1987屋根改修祈念
昭和十年1935参道改修祈念
本殿
文久二壬戌年1862
イチョウの落ち葉
鳥居方向
拝殿
合併碑
川から見た一の鳥居
境内社
川の手前の旗杭
道路沿いの社号標
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