神舟神社

[かぶね神社]

栃木県鹿沼市上大久保338

旧地名:上都賀郡・西大芦村大字下大久保
主祭神:磐裂神・根裂神 境内社:稲荷神社・八幡神社・山神社
治承元年1177明星天子=虚空蔵菩薩を祀って創建。「星宮大明神」と称した。寶永二年1705の再建以降,修復,造営を重ねてきた。維新に際し,字神舟の地名をとって「神舟神社」と改称した。読みは『栃木県神社誌』旧版では[かみぶね]のルビだったが新版では[かぶね]に変わった。
文化九年1812石鳥居脇に寛政十二年1800石燈籠。
本殿左手に石祠が並び,左端に石鳥居が立ち大山祇命が祀られている。石祠で読めるものに「嘉永五子年1852」「明治四十四年1911」
社殿右手に石祠二基。 昭和四十九年1974「大欅伐採社務所新築」記念碑。周囲8.5メートル,樹高45メートル,樹齢千年を超す巨木があったが,社殿修理,山林購入に充てたことが沿革とともに記録されている。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃)
都賀郡 星宮大明神 上大久保 求馬
*『下野掌覧』万延元年1860
星宮大明神 大久保村鎮座 祭主並木氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻三-24丁
上都賀郡西大芦村大字上大久保字神舟鎭座 村社神舟神社 祭神 磐裂神・根裂神 建物本社間口一間奥行一間二尺 拜殿間口九尺奥行二間 饌殿間口三間奥行二間 末社二社
本社創立は治承元年1177にして后寶永二年1705の再建なり 往時は星宮大明神と稱せしか維新に際し神舟神社と改號し村社に列せらる 社域五百五十一坪清洒の地に在り
村社神舟神社 猿田彦大神
古そうな狛犬
寛政十二年1800 文化九年1812
石祠多数
社務所
大欅伐採記念碑 前を流れる大芦川 道路から
大芦神社

大芦神社

[おおあし神社]

栃木県鹿沼市下大久保44

旧地名:上都賀郡・西大芦村大字下大久保
主祭神:天之御中主命・磐裂命・根裂命 境内社18社:二荒山神社・大前神社・大前神社・荒橿神社・村檜社・阿房神社・大神神社・胸形神社・建武神社・温泉神社・三和神社・高椅神社(なんとここまで下野式内社十一+一全社)大神神社・大前神社・八雲神社・神明宮・山神社・二宮神社・稲荷神社・八幡宮
伊門社から大芦神社に改称。古峰原街道沿い,大芦川左岸に鎮座。こじんまりとしているが大神社の風格がある。古風な石燈籠が多数奉納されており,境内社の石宮が多いことによるだろう。
古峯神社に向かう途中の左手に鎮座するので,ぜひ一度参拝をおすすめする。伊門社舊石碑はほんの少し先右手にある。
情報過多の神社なので撮影中にも整理が混乱するかと危ぶまれました。歩いた順に掲載します。
●一の鳥居に「再興文政七歳次甲申1824九月吉辰」,手前の「文化九年1812八月廿日・猿田彦大神」に「艹久一り余り(草久一里余)」と刻まれている。
杉植栽記念碑「字日向道於神山栽杉五十本而後為料杙」は残念ながら年代が読めない。七月だけなんとか。
明和戊子(五年1768)に始まる石碑は石嶋元鷹記。掲額なんとか碑だが読めない。
●二の鳥居内の神門左右に多数の石燈籠が密集している。鳥居右手に「莫不浄輩入天門」,右隣りが「二宮神社」。その右手の巨杉が御神木。「天保十五年1844」石燈籠。「慶応二丙寅年1866・二宮金次郎尊徳」石燈籠。拝殿前に「寛政十年1798三月」石燈籠。「文化二歳1805(左が戌なら文化十一年1814,三入が不明)十一月」石燈籠。 拝殿内の額は何と読むのだろう?「太元殿」?
例祭:9月最終日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 大芦大明神 下大久保 樫淵左門,元虚空蔵菩薩後に明神とす
*『下野掌覧』万延元年1860
大芦大明神 下大久保村鎮座 祭主樫渕氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻三-22丁
上都賀郡西大芦村大字下大久保字宮内鎭座 村社 大芦神社 祭神 天御中主神・磐裂神・根裂神 建物本社間口一間半 拜殿間口三間半奥行二間 饌殿間口三間半奥行二間 末社十六社 氏子六十二戸 社掌橿淵繼三同村同大字住
本社は往古伊門神社と稱號し字大芦沼と/今字芦沼と云/称する地に鎭座せしか濫觴にて今尚碑石あり
 表面ニ伊門社舊跡
 裏面ニ此地謂星芦門清水而神明垂迹也
治承年間1177~1181本社を今の地に移遷し後天正年間1573-92大芦郷の惣鎭守とし社號を大芦大明神と改め橿淵氏にて代々奉仕せり 后寛政十一年1799十一月廿八日勅宣正一位を授けらる 神祇管領長上従二位卜部良倶卿より奉納せる惣社正一位大芦大明神の扁額今尚存せり 社域八百廿七坪平坦の地に在りて本社拜殿に廻らすに石の瑞籬を以てし境内には古杉老檜繁茂し石燈籠左右に並列し後ろに街道あり前の側には大芦川の清流滾々と共に神威高く神寂ひて雅致在り
右:古峰原街道 一の鳥居 再興文政七歳次甲申
天下泰平産子長久… 猿田彦大神 艹久一り余り
杉植栽記念碑 石嶋元鷹記す碑
魚?をくわえている 年号不明
二の鳥居 大葦神社 額裏に文字
大芦川護岸が見える
二宮神社 巨木だ
なかなかの面構え 天保十五年1844
慶応二年1866 寛政十年1798
文化十一年1814か
?太元殿
北東方角 一の鳥居方向

 

●本殿左手の鳥居に「享和三歳次癸亥1803八月」次に天保九年1838石祠。次に弘化三丙午1846石燈籠。次に手前から,稲荷社・山神社・八幡宮・建武神社・神明宮石宮が並ぶ。
●本殿裏手には境内社がずらりと並んでいる。それぞれ社号標が付いているのはありがたい。「奉納十一社」と刻まれた明治三庚午年1870十月吉日の石燈籠があり,左から阿房神社・大前神社・八雲神社・温泉神社・二荒山神社・大杉神社・胸形神社・高崎神社・村桧神社・三和神社・荒橿神社。要は明治三年という時代に社格を上げる目的で下野式内社をまとめて奉納したのだろう。
●本殿右手の巨杉脇の境内社鳥居は明治二十七年1894か?もっと古いか。脇に慶応三年1867石燈籠。その奥に少し大きめの八坂神社石宮。
社号が判明する境内社石宮は全部で18社。
本殿左手 左手の境内社鳥居
享和三歳次癸亥1803鳥居 読めない 天保九年1838
弘化三丙午1846 五社
稲荷社 山神社・八幡宮・建武神社・神明宮 十一社
明治三庚午年1870 奉納十一社
本殿方向 本殿裏手 本殿北から
本殿右手 こちらも巨杉 立派だ
神輿庫 八坂神社鳥居 八坂神社
大芦川方向
二の鳥居から 大芦川の清流 滾々と大芦川

 

●伊門社旧跡●[いとしゃ]
大芦神社の先右手に真新しい石柱が見えてくる。『下野神社沿革誌』記載の石碑が背後に保存されていて「此地謂星葦門清水而神明垂迹也」の「清水/也」の3文字が読める。2行に刻まれていた。
『日本三代實録』卷二十七貞觀十七年875十二月廿七日丙子 下野國從五位下伊門神從五位上
延喜式外社で三代実録に「伊門神」と記録された下野の古社の現在社は,ここ鹿沼の大芦神社,益子町小宅の亀岡八幡宮の境内社,茂木の荒橿神社が挙げられる。
嘉永元年1848脱稿嘉永三年1850刊行の『下野国誌』「神名帳に載たる當國十一座・荒樫神社」の項に井戸と伊門は同音なので茂木小井戸の荒橿神社は式内社でなく三代実録の伊門神社であるとの真岡大前神社神主の説が紹介されている。つまり荒樫神社はこちらの大前神社相殿に祀られているので茂木の方はあきらめなさいということが主眼で,少し乱暴かもしれない。亀岡八幡宮の項では伊門社は何も触れられていない。大芦神社は記録なし。
『下野神社沿革誌』は荒橿神社と亀岡八幡宮の項で伊門社との関係は何も記述していない。
『下野国誌』の下野新聞社刊活字版編者が「伊門ノ社」の注に亀岡八幡宮の境内社を付け加えている。まぎらわしいのだが,原文にはないので河野守弘の意見ではない。
『栃木県神社誌』平成18年版の亀岡八幡宮の項に「境内社 伊門神社(国史現在社)」とだけ書かれている。
鹿沼の伊門社旧跡石塔の地下に多量の建材が埋れているという記事をどこかで読んだがボケが進んでいて出典を覚えていない。小生にはいまのところこれ以上は分からない。
知らないと通過してしまう
旧石碑 右手に見える 右の森に神社

 

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