さくら市・上河戸の神社
寛永三年1626に河戸村が「上河戸kamikouto」「下河戸simokouto」に分かれ,明治二十二年1889に「那須郡上江川村」の大字となり,昭和30年から「塩谷郡喜連川町」の大字となった。現在は「さくら市上河戸」「さくら市下河戸」。[こうと]と清音で言う。
2016年3月現在,つぎの4社を確認しました。
加茂神社・上河戸818 湯殿神社・上河戸512 湯泉神社・上河戸512 咳ノ宮・上河戸897

加茂神社

加茂神社

[かも神社]

栃木県さくら市上河戸818

旧地名:塩谷郡喜連川町大字上河戸1001
祭神:別雷神
25号烏山矢板線の矢板との境,道路沿い山腹に鎮座。道路から見えるのが旧鳥居で,この左右いずれからも入れる。
右手から入ると新しい一の鳥居。右手に社号標「村社加茂神社」。石段を上ると震災によって昭和32年建立の白河石鳥居の柱が無残にも折れてしまい,残骸が積み重ねられている。
推定文政九年1826の石燈籠が2基。昭和29年の「加茂神社新築記念碑」,右隣りの昭和55年の庚申塔には「高月坪」の文字。
ここには旧社殿も残されており,古雅な佇まいを見せている。新拝殿は昭和32年の建築で,大社造亜鉛板葺,石宮であった本殿は神明造銅版板葺に新調された。境内地も広がり262坪。
*『下野神社沿革誌』巻八-13丁 明治三十五年1902
那須郡上江川村大字上河戸鎭座 村社加茂神社 祭神別雷命 祭日三月十八日 建物本社間口一尺奥行一尺石宮 鳥居一基 氏子三十五戸 社掌斎藤最仝郡湯津上村仝大字蛭田住
本社勸請年月不詳 社域九十六坪

新一の鳥居震災被害
鳥居柱が折れてしまった新しい社殿
拝殿額昭和15年狛犬彫刻師野田平業作
文政九年1826石燈籠昭和29年新築記念碑
道路沿いの旧鳥居旧社殿,右新社殿
旧社殿内旧社殿背後から旧社殿から
湯殿神社

湯殿神社

[ゆどの神社]

栃木県さくら市上河戸512

祭神:大山祇命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字上河戸512
上記加茂神社の南東800m,西江川西の山麓に鎮座。左隣りに湯泉神社が並んで鎮座している。
本殿右手に「湯殿山・月山・羽黒山」石塔と石祠2基。左手に三峯神社石祠と石像。
湯殿神社いい雰囲気の本殿本殿
本殿右手本殿左手左の祠内の石像
右が湯殿神社庚申供養塔
湯泉神社

湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県さくら市・上河戸512

祭神:大己貴命・少彦名命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字上河戸512
上記湯殿神社の左隣に鎮座。こちらは朱塗りの鳥居。
格子の社殿内に大正九年奉納の板絵が掛けられている。右に旗台二基が昭和46年寄贈板書とともに。
脇の流れは2.5キロ先で江川に合流する。
湯泉神社こちらも神妙な本殿
本殿板絵
見下ろした先に水田左が湯泉神社橋の向うに鎮座
咳ノ宮

咳ノ宮

[さびきのみや]

栃木県さくら市・上河戸897

旧地名:塩谷郡喜連川町大字上河戸897
龍崖城址に鎭座。山の南部から登ると途中に「生貫観世音菩薩」堂が左手にあり,さらに進むと木製鳥居が見える。左手に朱塗の木製祠。鳥居をくぐって上方に社殿。社殿の右手を登って行くと龍崖城址に至る。
社殿内に「喜連川町有形文化財指定書・聖観音(懸仏)」額が納められ,右上部の壁に「咳ノ宮」の文字が見える。文化財指定を記念して氏子一同で板書を奉納した。さて,どう読むか。龍崖城主のご子孫にあたる氏子の方にお聞きすると,ふだんは「さじきのみや」で,ほんとうは「さびきのみや」とのこと。村落の七戸で奉祭している。[しわぶき]から読みが変化していったか,音の宛字として咳をとったかは今となっては分からない。龍崖城の「崖」には[げ]の音読みがあるので,氏子さんのおっしゃるとおり[りゅうげじょう]。
龍のしわぶきが咳ノ宮の由来ならロマンがあるのだが,詳細不詳。
社殿左手の「献木」碑は大鳥居用の木材を奉納したことを記念したようだ。
途中の「生貫観世音菩薩堂」の「生貫」は[はえぬき],お堂内に「奉納・身体健全・生貫如意輪観世音菩薩」の幟が多数奉納されている。
龍崖城址について詳しくは「余湖くんのホームページ」をご覧ください。
ここを上る
有形文化財指定書咳ノ宮の文字
田園地帯を見下ろす
文政九年1826石燈籠昭和29年新築記念碑
ここを入る左手にお堂はえぬき観音堂
御本尊石像多数正面に鳥居・中央に見える
鳥居左手
南から鎮座の山

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