愛宕山神社/羽黒山神社

[あたごやま/はぐろさん神社]

栃木県さくら市早乙女312

祭神:火産霊命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字早乙女
293号線葛城の交差点を左折して180号線に入ってほどなく左手に東西に横たわる丘陵が293号線で切られた東の端の山頂に鎮座。
荒川の南の田園を180号が東西に走っている。平行してそのさらに南に山裾沿いに細い道路が通っている。180号で連城橋をくぐり,2本目の農道を左折してこの細い道に入りT字路を山に向かうと左手に墓地があり,車止めで行き止まりになる。この先が「奥州街道古道」。墓地に入る形で左に行くと朱色の鳥居。
壊れかけた長い石段を登ると90度曲がってまた石段が続く。息を切らして登りきる直前に蔦の生えた木が石段を覆うように倒れ掛かっている。
境内には正面に「愛宕山神社」,右手に「羽黒山神社」と2社鎮座している。愛宕山神社前に「山」を抜いた「愛宕神社」の社号標様の石板と,「于時・天保十年1839十月」の石燈籠。
創建年等不詳。
左:愛宕山 右:羽黒山愛宕山神社愛宕山神社扁額
愛宕山神社天保十年1839石燈籠天保十年の文字
「愛宕神社」愛宕山神社本殿羽黒山神社
羽黒山扁額羽黒山神社本殿
この石段を上る
石段が続く右折してまた石段最後の石段
石段にかかる倒木から見た愛宕山神社羽黒山神社鳥居手前に安政三年1856等の石塔
石塔から高原山が見える奥州街道(古道)看板奥州街道(古道)
浅間神社

浅間神社

[あさま神社]

栃木県さくら市早乙女596

祭神:木花咲耶姫命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字早乙女
上記愛宕神社から西に山裾の小川沿いの道を約350m行くと,左手に小さな太鼓橋があり,道から隠れている鳥居が見つかる。ここからが大変。鳥居をくぐって右手を登っていくのだが,道はないと考えた方がいい。急な山の斜面をすべり落ちないように這い登る。少し行くと踊り場がある。この先が長い。なまった脚で増量した身体を押し上げる。かなりきつい。あきらめかけたころ,やっと頂上に社が見えてくる。
「伝説」の石塔が社殿右手に立っている。「一. 浅間神社」小字で「富士山」,「一. 木花咲耶姫命」,「一. 約八百年前」,「一. 中坪守護神」,「祭日七月十五日」と刻んである。裏面に改築寄付者名と昭和五十四年」の文字。
「伝説」の前に自然石が祀られている。
この東の愛宕山下で浅間神社への行き方を地元の方にお訊ねしたとき「富士山神社のことか」とおっしゃっておられた。
眼下荒川越しに喜連川神社の鎮座する御丸山公園の山が見える。
単なる斜面だやっと見えた倒木をくぐる
ありました感動の浅間神社
本殿拝殿右手 お神酒が
「伝説」3つの杉の切り株御丸山公園方面
右奥に男体山目印の太鼓橋
赤城神社

赤城神社

[あかぎ神社]

栃木県さくら市早乙女828

祭神:磐筒男命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字早乙女
荒川と平行して走る180号線沿いの水田の中に鎮座。こじんまりした森が田の中にあるので見つけやすい。ここの南側に東西に山脈が横たわっており,山頂部に浅間神社,愛宕山神社が鎮座している。
手前の石燈籠が昭和40年,鳥居の奥が昭和2年。
明治四十二年1909以下の7社を合祀している。
羽黒神社(上り山)/愛宕神社(愛宕久保)/荒神社(広表)/浅間神社(富士山)/水神社(矢口)/雷神社(阿弥陀坂上*下?)/疱瘡神(前坂上)/
*『下野神社沿革誌』巻八-13丁 明治三十五年1902
鹽谷郡喜連川町大字早乙女臺田鎭座 村社赤城神社 祭神磐筒男命 文治五年1189那須郡上江川村大字南和田鎭座 村社磐裂神社 祭神磐裂命・根裂命 氏子六十五戸 本社創建は文治五年1189上野國赤城大神神社を遷座し一村の鎭守神とす云云 社域三百十九坪平坦の地にして老杉蔚々として天に聳ひ風光頗る佳なり
鮮やかな朱社殿
昭和40年昭和2年本殿
拝殿右手昭和3年狛犬
昭和2年こんもりした杉林が目印
御嶽山

御嶽山神社

[おんたけさん神社]

栃木県さくら市早乙女1914

旧地名:塩谷郡喜連川町大字早乙女
293号線で喜連川に入る連城橋手前,右手の山頂に鎮座。道路から朱塗りの雪洞が坂道に沿って立ち並んでいるのが見える。結婚式場併設。
「御嶽山厄除開運不動尊」として旧喜連川町指定文化財。
2011大震災の被害を被っている。
「日本三大御嶽霊場・修験道場・下野国御嶽山神社」の看板。
詳細不明。
ここを上がる
不明の境内社鳥居木曾御嶽山参拝記念碑3基震災
震災震災震災
町指定文化財石碑も被害に手水舎の龍かろうじて「御嶽山」
御丸山公園が見える
太白神社

太白神社

[たいはく神社]

栃木県さくら市小入268

祭神:経津主命
旧地名:塩谷郡喜連川町小入
於麻武稲荷神社の南1300m小入(おいれ)に鎮座。白色の鳥居がまぶしい。昭和42年「太白神社改築記念」碑。
大正六年1917狛犬に金田渓谷X」
拝殿左手に石祠5基,ひとつは「元禄八乙天1695五月吉祥日」の文字が読み取れる。栃木県で元禄の石祠はそうとう古い貴重品だ。
右手にも石祠2基。「小入村」「明治十二年1879」が読める。庚申供養塔には「文政十一年1828戊子八月・講中」 鳥居右手に1987年あたりの「ほほえみ仏」3基。
鳥居前三叉路に明治四十年1907三月「遂道記念碑」
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 星宮大明神 小入 常光寺
*『下野神社沿革誌』巻七-14丁 明治三十五年1902
鹽谷郡喜連川町大字小入鎭座 村社大白神社 祭神經津主命 祭日陰暦九月十九日
建物本社間口六尺奥行六尺 拝殿間口四間奥行九尺 木鳥居一基 末社三社 氏子二十戸総代三員 社掌建惟正同町大字喜連川百四十番地住
本社は文明二年1470中従五位下鹽谷安房守源惟延の創建にして社域百廿六坪高燥の地に鎭せり明治五年1872村社に列せらる

拝殿本殿石段を上る
着色石祠
拝殿左手元禄の文字拝殿右手
ほほえみ仏隧道記念碑

 

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