さくら市・下河戸の神社
寛永三年1626に河戸村が「上河戸kamikouto」「下河戸simokouto」に分かれ,明治二十二年1889に「那須郡上江川村」の大字となり,昭和30年から「塩谷郡喜連川町」の大字となった。現在は「さくら市上河戸」「さくら市下河戸」。[こうと]と清音で言う。
2012年11月現在,つぎの5社を確認しました。
  温泉神社 下河戸560     北之内神社 下河戸945
  温泉神社 下河戸1146     浅間神社 下河戸87
  温泉神社 下河戸1293

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県さくら市・下河戸1293

祭神:大己貴命・少彦名命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字下河戸1293
J25号線を北上して48号線と交差する上河戸交差点を南に左折,次の下河戸交差点を右折して最初の田圃道に駐車して探す。木立を透かして見えているのだが入り方が分からず,結局,農家の方のご好意で脇から入らせていただく。感謝。
鳥の声しか聞こえない本当に静かな森。昔は下河戸新田といった。詳細は不明。
温泉神社の額新町と読める
湯泉大明神写真中央森に鎮座
温泉神社

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県さくら市・下河戸1146

祭神:大己貴命・少彦名命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字下河戸1146
本田技研さくら研究所の西800m。25号線から西に100mほどの山腹に鎮座。立ち入り禁止の看板はホンダのもの。
石段一直線真上に。
*『下野神社沿革誌』巻八-13丁 明治三十五年1902
那須郡上江川村大字下河戸鎭座 村社溫泉神社 祭神大己貴命・少彦名命 祭日九月十五日 建物本社間口一間半奥行二間栃葺 拜殿間口三間奥行二間萱葺 末社六社 鳥居一基 氏子二十五戸 社掌斎藤最仝郡湯津上村仝大字蛭田住
本社は字御神山に鎭して社域四百四十坪 老杉若樹蔚々として風致佳なり
右端の看板にHONDA
拝殿右手
温泉神社

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県さくら市・下河戸560

祭神:大己貴命・少彦名命
旧地名:塩谷郡喜連川町大字下河戸560
喜連川の町から25号線を矢板に向かう。上江川局を越え,114号との分岐を25号線そのまま直進すると右手奥の小高い山に鳥居が見える。田圃道を入って江川土手に車を停めて歩く。
間口の広い拝殿である。由緒沿革は不明。『下野神社沿革誌』の北ノ内を当てたが定かではない。この600m北西に北之内神社がある。
*『下野神社沿革誌』巻八-13丁 明治三十五年1902
那須郡上江川村大字下河戸北ノ内鎭座 村社溫泉神社 祭神大己貴命・少彦名命 祭日十月十五日 建物本社間口三尺四方板葺 拜殿間口三間奥行二間萱葺 末社五社 鳥居一基 氏子二十五戸 社掌斎藤最仝郡湯津上村仝大字蛭田住
本社創建年月不詳 社域百八十二坪 古杉亭々として聳ひ社寳には古鏡一面を藏す
昭和11年改築記念と平成8年改修記念碑左:丑権現神社,右:稲荷神社
田園が広がる右手に江川が見える鳥居が見える
北之内神社

北之内神社

[きたのうち神社]

栃木県さくら市・下河戸945

祭神:?
旧地名:塩谷郡喜連川町大字下河戸554
25号線から西に江川を渡り300mほど入った山腹に鎮座。
急な石段を上る。詳細は不明。
裏手
判読不可宝暦四年1754と刻まれている
浅間神社

浅間神社

[せんげん神社]

栃木県さくら市・下河戸87

祭神:
旧地名:塩谷郡喜連川町大字下河戸87
喜連川の町から25号線を矢板に向かう。上江川局の500m手前,左手の山頂に鎮座。注意しないと入り口を見落とす。石段と石柱が目印。
路上駐車できるので車幅分の場所を見つけて停める。急な石段を上るとすぐに土の斜面になる。かなり急なので転げ落ちないように注意深く登ると,途中で息が切れる。がまんして這い登ると山頂が開けて小ぶりな石祠が見える。
石祠一基のみで詳細は不明。
浅間神社参道入口の石柱ぽつんと石祠本宮が鎮座
水田地帯が見下ろせる写真右下が入り口

 

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