鹿島神社

[かしま神社]

栃木県芳賀郡益子町益子1685

主祭神:武甕槌命・熯速日命・甕速日命 境内社:八坂神社・龍女神・陶芸神社
益子駅の南に鎮座。明治四十年1907鳥居。益子らしく「陶藝之神」石祠が祀られている。
左手に「八坂神社」。益子の祇園祭はこの境内社の例祭で7月23-25日に5地区の屋台が繰り出される。24日には12人で三升六合五勺を飲み干す「御神酒頂戴式」神事が行われる。詳細はこちらの「年間行事」を。 令和三年三月に「益子世間遺産」に登録された。
承和十二年845創建の古社(『下野神社沿革誌』は十が抜けて二年)。文治三年1187源頼朝の崇敬を受け,社殿再建。大永七年1527にも社殿を再建している。天明四年1784に消失し,文化十四年1817に再建。明治六年1873にまた社殿を造営するも大正四年1915に消失し,昭和二年1927に再建した。原稿の社殿は昭和57年1982に改築したもの。
例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位 鹿島大明神 益子村 木村若狭
*『下野掌覧』万延元年1860 芳賀郡之部
正一位鹿嶋大明神 益子村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 6巻15丁
芳賀郡益子町大字益子 村社 鹿島神社 祭神武甕槌命 甕速日命 熯速日命 配祀三座 祭神建速須佐之男命 龍女神 稻田姫命 祭日陰暦九月廿八日廿九日 配祀八坂神社 祭日陰暦六月従十五日至廿四日
建物本社間口一間奥行仝萱葺 拜殿間口三間半奥行二間班萱葺 幣殿間口一間半奥行二間杉皮葺 末社五社 木華表一基 瑞籬内延長十七間外仝卅三間 氏子四百餘戸惣代四員 社掌木村祝努仝町仝大字九十三番地住
本社本社創立年月詳かならすと雖も 仁明天皇の御宇承和二年*835九月二十八日を以て常陸國鹿島神宮の奉幣を請し大祭を行へ本社恒例の神事と定むと 後永觀十八年(永観は三年985までなので貞観十八年876か?)六月十五日に本社に八坂神社を配祀す 永久二年1114紀貫之三代の孫行宗當城の主となり本社を崇敬して領内の惣社と仰き代々崇敬せり 文治三年1187源頼朝崇敬を加え神殿を再建し大永七年1527十二月十四日紀宗行十四代の孫益子宮内大輔家宗本社建替造營す 及ひ大永永録年間には宇都宮盛網及ひ廣網等本社をして武運守護神と稱し代々崇敬淺からす 慶長九年1604六月一日徳川將軍家康より祭祀料として社領七石の黑印を附せられ慶安元年1648九月十七日家光より社領七石の朱印を賜はられ仝府軍世々崇敬あり 寛文十一年八月領主より高一石の除地を附せらる 享保十八年1733四月五日宜旨を以て正一位を授けらる 文化十四年1817二月社殿悉く建替す 明治六年第五大區一小區の郷社に列せらる 仝十年八月區劃改正のため村社に列せらる 仝十二年八月拜殿幣殿建替造營す
配祀八坂神社の祭典は最も嚴かにして往時は益子城主及ひ黑羽城主より代々神饌を献納せられ毎年陰曆六月十五日日仮屋に渡御し仝月二十三日大祭を執行し氏子一同へ神酒を賜ふ 其式神主社家は正服長年寄村吏及ひ戸主たるもの各禮服を着し席順定りて三ッ組の杯を銘々に配り且當番引繼には三升六合入(一ヶ年の日數を表したるもの)の大杯を以て祭頭より次年祭頭に引繼の例あり 翌二十四日神輿入御には行列式あり往時は先駆として警衛士六名次に大旗一流次に鎧武者三名(各騎馬)次神主衣冠正しく馬上に騎し兩若黨沓取及ひ伊逹道具を持し長年寄村吏及ひ重立たる有司供奉し花神馬祭屋臺等各町より出し以て列を備ひて本社に還御す 翌二十五日領主大關氏へ神主より御祓献上の儀式あり 今は大同小異にして古式を守れり
社域三百六十坪平坦の地にして槻の大木及ひ老杉亭々として高く聳ひ新町の西側に鎭して山水の美には乏しけれと紅塵萬丈の間に自ら閑雅幽邃にして古雅に富むるの境なり
町中の立派な神社   陶藝之神
左手の八坂神社
天地石 社務所
太平神社

太平神社

[おおひら神社]

栃木県栃木県芳賀郡益子町益子962

主祭神:天都瓊瓊杵命
通称[たいへい神社]。鹿島神社の道路反対側,足利銀行と伊勢谷の間を入ると正面に石段があり,上ると太平神社。右手に曹洞宗太平山鶏足寺。大正二年1913鳥居。
鳥居手前左手の階段を上ると愛宕神社。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 6巻17丁
芳賀郡益子町大字益子 無格社太平神社 祭神天津瓊々杵命 建物本社間口三尺四方 拜殿間口三間奥行二間萱葺 末社五社 石燈籠二基 華表一基 信徒二百六十五戸惣代飯塚駒三郎松原竹治高鹽儀平外二名 社掌平山昌武仝住所
本社は大永二年1522三月仝郡山本城主高鹽伊勢守の創立にして若干の神田を附せられ崇敬淺からさりしか落城后は本社も共に衰頽せしも衆庶崇信の社にして往時は遠近の三百六十町村へ毎年神輿を巡行し五穀成就嵐除を祈願せしも維新に際し中止せり 往古より禪家鶏足寺にて別當たりしか明治三年1870平山昌武神祇官より神主職に仰付られ奉努せしも日光二荒山神社に轉し三十一年一月本社々掌に復す 社域三百六十坪高燥の地に位し境内には古杉森々として聳ひ本社の裏に池あり神水と稱し東南に山岳翠巒神池を繞りて其影水面に映し宛も一大圓鏡に對するか如く風色頗る佳なり
文政十一年1828
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県栃木県芳賀郡益子町益子4698

主祭神:火産霊神
上記太平神社の参道左手の山に鎮座。階段を上ると石祠が一基あり,上の方に社殿が見えてくる。木鳥居をくぐって入ることはできない。拝殿内はなにもなさそう。額に「愛宕神社・田町神議員一同」。本殿は拝殿うしろに離れて建っている。こぶりながら美しい造形。右手に「大山住大神」
さらにうしろに古風な社殿が見える。痛みが激しいがきちんと石垣が組まれている。元の本殿なのか別の社なのか不明。左手の石碑の書は乃木希典大将。
例祭:9月24日
見ずらいが鳥居がある 拜殿
愛宕神社 本殿
大山住大神
本殿裏手の社殿
乃木大将書の石碑 太平神社を見下ろす 奥:太平神社 左手の階段を上る
八雲神社

八雲神社〔←八坂神社〕

[やくも神社]

栃木県栃木県芳賀郡益子町益子3796

主祭神:建速須佐之男命
『栃木県神社誌』昭和39年版325頁に「八雲神社」で載っている。拝殿の額文字は消えかかっているが「八坂」のようだ。
『栃木県神社誌』平成18年版697頁に「八雲神社」で載っている。そして通称に「やさかさま」とある。栃木県では八雲・八坂とも素盞嗚命を祀るので,ここでは二つの社号が通っているのだろう。正式名称は「八雲神社」。
寛永三年1626創立。古そうな草葺の本殿が見物。正面の龍の彫刻には力がみなぎっている。側面に神紋が彫られている。幹様のものが下から伸びていて葉が五枚ついている。木瓜には見えないが何だろう。この本殿は覆屋で保護されているが,少し後ろに傾いている。なんとか持ちこたえて欲しい。
例祭:7月25日に近い土曜日から3日間
拝殿
すでに読めない 拝殿内  
本殿  
神紋 傾いている
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県栃木県芳賀郡益子町益子1061

主祭神:倉稲魂命
益子駅から南に41号線を生田目方面に進むと左手に石鳥居二基を供えた小社がある。最初はここが稲荷神社かと思ったが,この山の上にあるというのでレストランつみきの脇を上る。入口に「花山稲荷」の標識を見つける。途中分岐があり「稲荷様・山の神」標識。
額に「正一位稲荷大明神」。社殿背後に益子の街を見下ろす。周囲を見渡すと,このあたりでいちばん高い頂上にあたるようだ。
少し離れて山の神,つまり山神社。
花山稲荷 分岐 稲荷神社鳥居
益子の中心部を見下ろす
山神社
入口
稲荷神社真下の41号線沿い
一の鳥居下 二の鳥居下
稲荷神社

益子稲荷神社

[ましこいなり神社]

栃木県栃木県芳賀郡益子町益子4334-3

主祭神:倉稲魂命
窯元共販センターの東に鎮座。2024年3月に道の駅に寄ったところ「ましこ世間遺産」の展示があり,ましこ世間遺産14のパネルに掲載されていた。
【ましこ世間遺産14】
12社

北益子十二社権現様

[きたましこじゅうにしゃごんげんさま]

栃木県栃木県芳賀郡益子町益子2554

主祭神:倉稲魂命
ましこ世間遺産No.33 北益子公民館に駐車する。
【ましこ世間遺産33】

 

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