高龗神社

[たかお神社]

益子町・芦沼209

使用文字[龗・罒]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
旧地名:芳賀郡益子町大字芦沼209
123号線,亀岡八幡宮の1キロ西,手打ちそば藤人toujinの手前を入ってさがす。
杉林の中に神明鳥居(昭和10年)が見える。大正九年の社柱には「村社高龗神社」口3つが罒型。花崗岩に刻字するのに口3つより彫りやすいという事情があるのだろう。
拝殿額はなく,内部に消えかけているが「高龗大神」の額があり,はっきりと口3つが確認できる。右手に鶏と白衣で踊る女性を描いた着色板絵。
このあたりでは始めて対の燈籠。石下,芦沼703同様狛犬はなし。
本当に靜かな杉山の中に鎮座。いいところである。
大正3年の手水石。
康平年間1058-65源義家の創建。弘化四年1847九月に正一位高龗神社を許可。
明治19年に焼失し大正2年8月に再建している。
境内社に籠守神社(籠守神),稲荷神社(宇賀魂神=倉稲魂命),神明宮,馬王大神社
後の2社は『栃木県神社誌』新版で加わっている。
本殿:神名造銅葺 幣殿・拝殿:入母屋造トタン葺 例祭:11月第3日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 高尾大明神 芦沼村 養泉院
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻22丁
芳賀郡七井村大字蘆沼字中鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 建物本社一間四方 拜殿間口三間奥行二間 末社二社 華表一基 私有財產田二反八畝二十七歩 氏子五十九戸・総代員 社掌小林利平住所仝上
本社創立不詳社域六百九十三坪平坦の地にして杉樹森然と繁茂して頗る幽邃なり
芦沼

高龗神社

[たかお神社]

益子町・芦沼703

使用文字[靇]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
旧地名:芳賀郡益子町大字芦沼703
石下から南下して123号線に出てすぐ左手に見える。
石段を上って鳥居をくぐる。拝殿内は真っ暗で何も見えない。引き戸の把っ手穴にレンズを入れてフラッシュを焚いて画面で確認すると「高雨+龍神社」
拜殿右手に「延命地蔵・子安地蔵」。
左手にも大きなお堂があるが文字がない。
「xx夜供養・延享二丑?1745十二月九日」薬師如来か。
年代不明があと二体並ぶ。その左に「文政十一1828・権大僧都法印宥観之塔」
年代の分からない古い石塔,崩れた石像,合掌像が右手に並ぶ。
創立は新しく,由緒沿革には明治23年,青田坪鎮座の本社より勧請とある。青田坪未調査不明。
境内社:生駒神社
昭和35年に倉田坪(芦沼1191)にあった愛宕神社(火産霊神)を合祀している。
本殿:流造銅葺 幣殿・拜殿:入母屋造トタン葺 例祭:10月第3日曜日
 
下大羽

高龗神社

[たかお神社]

益子町・下大羽685 しもおおば

使用文字[靇・雄]

主祭神:高龗神

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
旧地名:芳賀郡益子町大字下大羽685
七井から茂木に抜ける途中右手に木製の鳥居が見える。右手に「二十三夜供養・安永九1780」「聖徳太子塔・天保十一1840」「十九夜塔」が並ぶ。左手にも5塔。
鳥居をくぐると右手の下大羽公民館に「高龗神社社務所」の看板。雨+龍。
参道が途切れて舗装道路を渡ると石の鳥居。広場があり,石段を登ると拜殿。拜殿内部は見えない構造になっていて残念。
拝殿額は「高雄神社」
社務所の文字と食い違っている。
下大羽では「龗」字と「雄」は関係があるどころか同一であることになる。
*聞書によれば江戸期には[タカオカミ大明神]と呼んでいた。 維新の神仏分離で高龗神社に改号した。
ここの北西1.5km大沢に「御霊神社」があり,そこにも「高龗神社」があるという情報があったが,確認できなかった。下大羽と混同しているか?
明和五年1768九月二十九日創立。下大羽惣社.天保六年1835と大正三年に本殿と拜殿を改築している。
境内社に八坂神社(須佐之男命)
飛地境内社に愛宕神社(軻遇槌命,享保四己亥1719四月創立),天満宮(菅原道真公,享保四年1719創立)
本殿:神明造瓦葺 幣殿・拜殿:瓦葺 例祭:11月9日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 高於加美大明神 下大羽村 宝蔵院
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻17丁
芳賀郡益子町大字下大羽字西の根鎭座 村社 高龗神社
祭神 高龗神 祭日陰曆九月二十九日 建物本社間口五尺奥行一間 拜殿間口三間半奥行二間 木鳥居一基 氏子四十六戸・総代員 社掌
本社創立詳かならす 社域一千六百五十七坪高燥の地に位し境内には古樹森々として晝尚暗く神寂て雅致あり

生田目

高龗神社

[たかお神社]

益子町・生田目1214

使用文字[なし]

主祭神:軻遇突智命
旧地名:芳賀郡益子町大字生田目1214
益子駅の南2キロ,つくば益子線の東側の山の上。
駅のとなりの益子観光協会で調べてもらうと,地図では雨+龍。
神社には名前を示すものは何も見つからない。拜殿もカーテンできちんと隠されていて,中は覗けない。
対の石燈籠に「大正十二年」,手水石に「明治十三歳・奉納・当邨加藤某氏」が読み取れるだけ。
800m西に小貝川が流れる。
大同二年807創立。生田目総社。
*聞書によれば江戸期には[タカオカミ大明神]と称していた。神仏分離で高龗神社に改号。
本殿:神明造板葺 幣殿:杉板葺 拜殿:萱葺 例祭:11月5日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位高於加美大明神 生田目村 小林求馬
*『下野掌覧』万延元年1860刊
芳賀郡之部 正一位高龗大明神 生田目村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)6巻16丁
芳賀郡益子町大字生田目字和合神鎭座 村社 高龗神社
祭神 軻遇突智命 祭日陰曆九月二十九日 建物本社間口四尺八寸奥行五尺板葺 拜殿間口三間奥行二間萱葺 幣殿間口七尺奥行一丈杉皮葺 雨覆間口二間奥行仝 末社二十八社 石華表一基 ガス燈籠二基 氏子五十六戸・総代五員 社掌小林淸記仝村仝大字四七番地住
本社創立は大同二年807にして往時は南組の領主津田八郎右衛門北組の領主金丸杢之助兩氏崇敬の社にして若干の神田を附せられ生田目鄕の惣社と崇む 後大關伊豫守の領地となるも本社を崇敬して祭典料として米四俵宛毎年奉納せらる 享保七年1722十一月十九日宣旨を以て正一位を授けらる 社寶には神祇管料長卜部朝臣の揮毫せる神號の扇額 且什器には安永三年1774氏子中より奉納せる大旗及ひ氏子十一名より奉納の旗 嘉永六年1853正月加藤甚平の奉納せる錦の戸張 加藤弥平太外八名より奉納せる大鼓 加藤常三郎より奉納の錦の戸張其他二十余名より奉納の神鏡及ひ數品を蔵す 明治二十七年1894氏子中にて花崗石の大華表を建立す
社域五百七十七坪高燥の地にして老杉古樹高久聳ひ幽靜にして雅致あり
益子

高龗神社

[たかお神社]

益子町・益子1310 ましこ

使用文字[靇・尾]

主祭神:天照大神
旧地名:芳賀郡益子町大字益子1310
益子駅の南1キロ,つくば益子線の最初のカーブを曲がったところの平地にある。
小貝川まで500m。朱色の小型の鳥居と質素な拜殿。
拝殿内の中央額は「雨+龍」その左の小ぶりの大正九年奉納額は「高尾神社」
石並鎭守である。
左手に石並自治会による「花馬発祥の地」の平成十七年石碑。拝殿左の建物を覗くと原寸大の白馬の彫刻が納められている。
花馬は7月23-25日に行われる益子祇園祭の屋台山車運行に欠かせない飾り馬。アルミ製で380kg,高さ2.3m。
益子祇園祭は関東三大奇祭のひとつ「御神酒頂戴式(おみきちょうだいしき)」で有名。
花馬は鹿島・八坂神社ではなく,ここ高龗神社に保存されている。
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本殿:流造 拜殿:トタン葺 例祭:11月15日
高龗=高尾を証明する神社。

 

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