亀岡八幡宮

[かめおかはちまんぐう]

栃木県益子町小宅1369

主祭神:譽田別命 配神:息長足姫命・玉依姫神
境内社:皇大神宮・伊門神社・藤森稲荷神社・古峯神社・招魂社
宇都宮市中心部から123号線で1本。七井駅を過ぎて茂木に近づくと左手に朱色の大きな鳥居が見える。大震災までは巨大な石鳥居があった。バスの駐車場も完備する有名社なので特に付け加えることはない。
鳥居脇に大正六年1917の「郷社亀岡八幡宮」社号標。大正九年1920一の鳥居建立碑。鳥居左手には「史跡小宅古墳群」石標。解説板はかすれて読めない。
昭和六年1931木製二の鳥居手前で参道は舗装道で分断される。ここを左に行くと八幡宮第二駐車場標識奥に「招魂社」
石段手前に石亀と八幡宮由来・神亀由来御影石。康平二年1059創建とある。小宅に遷宮したのは建久八年1197。
21段の石階を3つ上ると大震災で倒壊した昭和三十四年1959三の鳥居の右の柱だけが立っている。一の鳥居からはかなり登ってきている。
真新しい石鳥居が社殿直前の石段前に建てられた。
境内には多数の亀が奉納されている。金色に輝く本殿は明治十四年1881造営。本殿背後に「皇大神宮」と「伊門神社」
例祭:9月15日 境内地:8160坪
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位 亀岡八幡宮 小宅村 東宮壱岐
*『下野掌覧』万延元年1860 芳賀郡之部
正一位 亀岡八幡宮 小宅村鎮座 祭主東宮氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・18丁
芳賀郡七井村大字小宅字亀岡鎭座 郷社 亀岡八幡宮 祭神 譽田別命 玉依姫命 息長足姫命 天鈿女命 祭日八月十五日 建物本社間口二間奥行三間栃葺 華表二基 末社一社 社務所間口六間奥行三間 神門一棟 盥漱盤一棟 氏子六十戸 社司欠社掌小林利平仝郡市羽村大字赤羽 仝永井萬吉宇都宮市住
社傳に曰く後冷泉天皇の御宇康平年間1062-65源義家勅を奉して奥賊安倍貞任等を征する途次下野國芳賀の古家郷(今の小宅付近の地)に館し(今御館山)遥に男山の霊廟を拜し戦捷を祈願せしに芦○沼上に靈龜出現し瑞を示しかは義家大に喜ひ進みて夷賊を討滅し凱旋の後神殿を古家郷字鴿峯に建立し康平七年1064勅令により龜岡八幡宮と斎き祀りて巨多の神領を寄附せられ後源頼朝伊達泰衡を征する時先古の吉縦を追ひ武運を祈て効ありしにより建久三年1192社殿を改造し今の地に移遷し報賽の禮幣を奉り爾後部門武將の崇敬する所たりしか文禄四年1595蒲生飛騨守宇都宮城に居住せし時大に社寺の領地を没収し當社も其○に遭遇せしか慶長五年1600徳川家康小山在陣の時數多の神領を寄附せられ爾後仝將軍累代崇敬を加へ郷内に於て高十四石の朱印地を賜はり隣村多田羅村に於て高七石の除地を附せられたり…以下長文省略
小宅古墳群石標 郷社の文字 大正9年1920の鳥居柱
鳥居建立記念碑 長い参道
欅の巨木 両部鳥居が見えてくる
昭和6年1931鳥居
神社由来
神亀由来 昭和34年1959鳥居柱 鳥居跡
新調なった三の鳥居
由来は写真を参照
多数の亀
まだ増えそうだ 豪華な本殿
皇大神宮と伊門神社
伊門神社と読める
震災被害
招魂社

招魂社

[しょうこんしゃ]

栃木県益子町小宅1313

上記亀岡八幡宮の境内社になっている。境外社といってもよさそうな,離れた位置に鎮座している。なにしろ八幡宮は8160坪もある。
ここを右に入る
古峰原神社

古峰原神社

[こぶがはら神社]

栃木県益子町小宅1192

主祭神:日本武尊(推定)
たどり着くのは少したいへん。道が狭いので八幡宮に駐車して歩く方がいいかもしれない。詳細不詳。
旧鳥居跡がある
本殿 棟札:昭和六年1931
背後の山林

 

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