厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県壬生町藤井2835

主祭神:市杵嶋姫命 境内社:稲荷神社・水神社(罔象女神)
日光西街道から北に入ると「星の宮公民館」があり,左右は深い堀になっている。広場の奥の杜の入口に鳥居が見える。社殿背後の森は広大で北の星の宮カントリー倶楽部のコースに直接つながっており,間に民家もなく,静謐な境内は何の音も聞こえない。
公民館手前に旗杭とかつては鳥居手前に並んでいた四基の石塔が保存されている。萬延二辛酉年1861二月吉日の馬頭観世音・星野宮坪中,大正九年1920庚申供養塔,年代不明の庚申塔,もう一基はまったく読めない。
平成十八年2006新築の鳥居の脇に明治十二年1879の旧鳥居柱が保存されている。
鳥居そばの石燈籠二基は「奉納」の文字が読めるだけ。
拝殿はガラス戸なので内部がよく見える。右下に神輿。中央に「嚴島神社」額。「嶋」字の額が4枚,「島」字が1枚掛かっている。
社殿左手の石祠には「星ノ宮氏子中・明治二十六年1893四月吉日」の文字が刻まれている。
その左の十九夜念佛供養塔には「明和二酉1765十一月十九日」の文字が読める。その左の十九夜は「天保五甲年1834十一月吉日・女人講中」,左端「○養塔」,右端は不明。
さらにここから左の奥に入ると「宝暦二壬申年1752・奉供養庚申塔・星宮講中敬白」「延享三丙寅1746十月吉祥日・光明真言供養・星宮新田同行廿五人」と刻んである石塔二基と文字が読めない石像が並ぶ。
公民館前と裏に池または沼の遺構。御祭神の市杵嶋姫命といえば水神なので弁財天とも結びつき厳島神社は多くは水辺に鎮座する。かつてはこのあたりにも広い池があったことは「子供の頃は道路から神社まで駐車場などなくて池に挟まれた草道でした」との自治会長さんの証言によって裏付けされる。  [2026年1月21日撮影]
*石祠・石塔の「星野宮坪中」「星ノ宮氏子中」「星宮講中」「星宮新田」
壬生町藤井2836に「星ノ宮転作促進集落センター」があるとの情報があるが,2026年1/21撮影の写真のように,この住所の建物には「星の宮公民館」の看板が掲げてある。名称変更か。藤井のこのあたりを星宮地区といい,隣接地に「星の宮カントリー倶楽部」さらに旧日光街道をはさんだ当社の南,藤井字南浦2234に旭町「星の宮地区農業集落排水処理施設」がある。
江戸期から明治二十二年まで「藤井村」の枝郷として「星宮新田・原宿新田」が「元禄郷帳」「天保郷帳」に記録されている。
このことから「星宮」を冠する名称が使われている。壬生町には「星宮神社」は鎮座しないが,「磐裂神社」「磐裂根裂神社」が多数鎮座することと関係するだろうか。
(他地域では益子北部の「星の宮地区」に隣接する望星高校校庭で見つかった「星の宮浅間塚古墳」や「星の宮ケカチ遺跡」に星の宮が使われている。「星の宮自治公民館」「ましこの里星の宮」等も。)
厳島神社額 鳥居脇の石燈籠
旧鳥居明治十二年1879
拝殿 厳島神社額
多数の奉納額 右に神輿
本殿左手
明治三十六年1903 星ノ宮氏子中
中央明和二酉1765 天保五甲年1834
左端如意輪観音か 本殿左奥
三基 右端奉供養庚申 星宮講中敬白
宝暦二壬申年1752 中央光明真言供養 星宮新田同行廿五人
延享三丙1746十月吉祥日 左端如意輪観音か
星の宮公民館 入口の旗杭と石塔4基
萬延二1861・星野宮坪中 公民館前に池
公民館裏に池 三角点 鎮座の杜
秩父三峯

秩父三峯神社

[ちちぶみつみね神社]

栃木県壬生町藤井2722

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命
2013年頃には日光西街道沿いに石製鳥居が立ち,参道に立ち並んでいた杉の切り株が残っていたが,2026年現在広々と整地され,広大な駐車場に変貌していた。
令和元年に新築された石鳥居が社殿のすぐ前に。 地図には「王峯」で載っているが誤。「三峯」が正しい。額文字は写真のとおり三峯。
かつての額には「秩父三峯神社」と書かれていた。  [2026年1月21日撮影]
以下は2013年1月撮影
三峯神社額 昔と同じ社殿
令和元年石鳥居 一番奥に鎮座
昔の石鳥居 「秩父三峯神社」額 本殿
日光連山が見える 参道にあった切り株。 2013年頃に道路から
天満

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県壬生町藤井2054

主祭神:菅原道真公
日光西街道から南に入った田園地帯に鎮座。
昭和55年の寄付者名が社殿左軒に掲げてある。おそらく社殿新築の寄附だろう。本殿に「天満宮神璽」
詳細は不明。
二連の本殿・右が天満宮
田園地帯の森に鎮座

渡神社

[わたり神社]

栃木県栃木県壬生町藤井1309

主祭神:大日鷲貴命・海津見命 境内社:稲荷神社・雷電神社・大杉神社
藤井小学校北東。大正七年1918「村社渡神社」社号標。参道右手に藤井中央公民館兼渡神社社務所。
大正七年1918九月の記念碑に「明治三十五年1902九月大暴風雨之際輿社殿共倒潰大破」したため石鳥居と社格標も併せて造営した旨が刻まれている。
平成三年末社改築。大杉神社,雷電神社,稲荷神社が祀られている。
1500年頃藤井出羽守が藤井城に出城を築いて産土神として創建。
『栃木県神社誌』昭和39年のルビは[わたす]だが,地元の方が[わたる]とおっしゃっていた。どちらでもいいようなものだが,下記の『鹿沼聞書』に江戸時代の社号が載っていて「渡利宮大権現」とある。維新に際して渡神社と改称した。渡利宮は[わたりノみや]と読むのが自然なので音は[わたり]がいちばん近いのではないか。荷渡神社との関係はいまのところ不明。
手入れの行き届いた神社。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 渡利宮大権現 藤井 円照寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 4巻22丁
下都賀郡壬生町大字藤井鎭座 村社 渡神社 祭神 海津見神 建物本社間口二間奥行一間半 拜殿間口三間奥行二間 末社三社 氏子百三十戸
本社創立年月詳ならす 社域九百五坪字渡宮に鎭す 因に曰ふ往古藤井戸郷と稱せし頃橋本鷲宮の分霊にして渡神社と稱せしと傳說あれと祭神海神津見神なれは未た信なるや否を知らす姑く祿して好古の士に質す
橋本鷲宮は姿村大字橋本小字宮山鎮座の鷲宮神社。
奉納相撲額 土俵
左から稲荷,雷電,大杉神社
背後から
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県栃木県壬生町藤井2309

道路沿いの田畑の一角に鎮座。平成13年の鳥居。詳細は不明。
畑の向こうに日光連山が見える。
鳥居の奥に男体山が見える

風神社

[ふう神社]

栃木県栃木県壬生町藤井602

主祭神:級長戸辺命[しなとべ] 境内社:愛宕神社
正面いちばん大きい社殿の額は「神社」の2文字がかろうじて読める。「神」字が額の中央に書かれているので,3文字の「風神社」でいいだろう。
その右手の社殿の昭和二十三年の額は「社」しか残っていない。拝殿内に3枚の額が掛けられており,右端に「風神社・愛宕神社/昭和五年」,その左に左右に社名が書かれているがかすんでいる。左側は「愛宕神社」と読める。右側は推定「風宮神社」。左端の額は「謝恩」か。
いちばん右端は「延命観世音菩薩堂」
さらに右手に庚申塔など11基。宝永八卯年1711・奉造立庚申供養,明和元甲申1764十九夜念佛供養・為女人二世安楽・原宿講中(宿が宕に見えるが愛宕ではない),寛政六甲寅1794光明眞言供養,文政十三庚寅1830十九夜,原宿新田村などの文字が読める。
風神社
神社だけ読める 愛宕神社 読めない
愛宕神社本殿 風神社と愛宕神社額 延命観世音菩薩堂
右手の石塔群
社務所兼原宿公民館 風神社標識 道路を隔てた向かいに旗杭
稲荷

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県壬生町藤井121

主祭神:倉稲魂命
馬場稲荷神社。壬生町最南端の神社である。
社殿右手に平成五年の「稲荷神社社殿新築趣意」板書。
左右に石祠。
社殿新築趣意 平成の棟板 左手の石祠

藤井村は黒川左岸,現在の東武線東の肥沃な台地に集まった集落。明治二十二年1889に壬生町の大字になった。元禄郷帳,天保郷帳に枝郷として原宿新田,星宮新田が記録されている。

 

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