八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県壬生町羽生田1711

主祭神:譽田別命 配神:仲哀天皇・神功皇后・天照大神・神大市比売神・白山比咩大神・石析根析神・弥都波能売神
宝亀二年771宇佐八幡から勧請。その他は平成十年「八幡宮の由来と建設の歩み」石碑に刻まれている。
鳥居左手に天幡宮木製祠。右手の石垣土台に明治二十二年1889の石祠。
拝殿右手の石製鳥居の境内社は「招魂社」
その左手が「大杉神社」
そして,招魂社鳥居左手の小型の木製祠が「高麗神社」。最初「高龗神社」かと期待したが,祭神が武内宿禰と木札に書いてあるので武内宿禰が祀られるとおおむね「こま神社」。高麗王若光,猿田彦命とともに三柱で祀られることが多い。
昭和十四年狛犬,となりは享保五庚子天1720石燈籠。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八幡宮 羽生田 歓喜院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 4巻24丁
下都賀郡稻葉村大字羽生田 村社 八幡宮 祭神 譽田別命 建物本社間口三尺奥行五尺 雨覆二間四方 神饌所間口二間奥行三間 末社三社 氏子百三十一戸
本社は源義家奥州征伐の時當地に八陳の軍を備ひて豐前國宇佐八幡宮を勸請し戰勝を祈りし所なりと古老の口碑に傳ふ 社域四百四十九坪平坦の地にして境内には老杉蔚々として繁茂し神寂ひて雅致あり

 
享保五庚子天1720石燈籠 昭和十四年狛犬 鳥居左手の天満宮
参道右手の不明社 境内右手 招魂社鳥居
高麗神社
大杉神社と建立碑 招魂社から
明神宮

明神宮

[みょうじんぐうorみょうじんのみや]

栃木県壬生町羽生田2139

壬生氏の羽生田城は天正十八年1590豊臣秀吉に攻め落とされて廃城となり,長らく放置された後本丸跡地に羽生田小学校が建てられた。明神宮は二の丸北面脇三の郭土塁に鎮座し,東隣りが羽生田小学校である。鳥居の南に体育館とプール。
北東に歓喜院。
鳥居脇の記念碑に「当明神宮は江戸時代中頃以来氏神として落合一家の信仰の中心となり羽生田城址に祀られてきた 昭和五十九年1984羽生田小学校新築に当り移転の止むなきに至った 移転に当っては特に委員長落合渉代表員による町当局及び各方面への交渉の結果現在の立派な社殿及び境内地を得たものである 昭和五十九年1984七月吉日落合一家建之」
江戸中期の創建で現在地の少し東に鎮座したようだ。
小ぶりな社殿ながら千木つきの立派な形式。中に木製祠が大小二基祀られている。 羽生田小学校南面に掲げられている「城址にはばたくはにしの子」の「はにし」は「はにしべ」土師部の「はにし」。このあたりは茶臼山古墳,富士古墳,長塚古墳など古墳が多く,埴輪がよく出土したので,埴輪田と呼んだ。[はにゅうだ]の地名の由来である。埴輪,土器等の発掘物は「壬生町歴史民俗資料館」に保存されている。羽生田小の授業の一環で発掘実習も行われたことがある。
*
「明神宮」は珍しい社号で読み方は[みょうじんぐう]だろうか。宮城県黒川郡大和町鎮座の鶴ケ峯八幡宮の境内社に「鳴上賀茂明神宮」があり,ここでは「みょうじんのみや」と呼ぶらしい。貞和元年(一三四五)に西宮大明神と称し,永和二年(一三七六)に一宮鳴上大明神と改称した。つまり宮城では明治初期の神仏分離の際「大明神」を「明神宮」に改称したと推測する。
webには他にも「明神宮」が散見されるが,ほとんどは天照皇大神を祀る「神明宮」の誤記である。
[参考]
遺構の地図に注目
魅惑のお城
城郭放浪記
余湖くんのホームページ・壬生城 八坂神社と表記されているのが明神宮
記念碑
鳥居額
明神宮額 二社
羽生田小 羽生田小校庭 歓喜院が見える
ここから遺構に入れる 急峻
千木 羽生田小体育館方向
鳥居柱
羽生田小から
左に行くと右の写真 突き当たりに標識
標識 城の略歴
標識から羽生田小方向 羽生田小南面 南面下
明神宮の東方宇都宮亀和田栃木線羽生田1037あたりの道路脇に朱色の鳥居。神永一家の氏神八坂神社が祀られている。
大自在天

大自在天堂

[だいじざいてんどう]

栃木県壬生町羽生田472

ここから北東に歩いて10分のところに上記の八幡宮の別当であった「歓喜院」がある。シヴァ神の子の名が「大聖歓喜自在天」,当然ここに関係がある。地図に「天皇神社」とあるのは「天堂」の聞き違い。拝殿正面の縦長板書はすでに読めないが,その左の横長の消えかけた板書に「大自在天堂 修繕記念」だけははっきり読める。
神社ではなくお堂だが地図に神社で載ってしまったのでここに記録しておく。「羽生田集落農業センター」がとなにり建てられ,公園として整備されている。
明治十三年1880庚辰の手水石。大正八年1919の石燈籠。他に読める文字はなく,鳥居もない。
社殿正面に「耕人の魂ここに成る・羽生田土地改良区沿革」石碑が立つが,そこに社の名は出ていない。
「ようこそはにしの里へ」の看板が入口に。「はにし」とは上記明神宮で述べた土師部[はにしべ]の「はにし」。
明るい広場に建つお堂 読めない額
左手の修繕記念扁額 「大自在天堂」と読める 昭和十五年の石燈籠
明治十三年1880庚辰 公園内の石碑 「ようこそはにしの里へ」
白山

白山神社

[はくさん神社]

栃木県壬生町羽生田530

詳細は不明。平成十四年に基礎石積み・鳥居・旗立台を改修,平成二十二年に大改修を行なった旨の額が2枚。昭和十五年の石燈籠。
拝殿に入れる 見事な額文字
本殿 平成14年改修寄進者名 平成22年改修寄進者名
奉納額 昭和十五年石燈籠 左手
背後から 一段高いところに
芝切

芝切神社

[しばきり神社]

栃木県壬生町福和田1593

東原公民館のとなり。鉄製と石製の2基の鳥居。詳細は不明。社号を示すものはない。鳥居柱に「東原坪三十一人家子中」「大正八年1919十一月吉日」
ガラス越しに本殿,文字はない

 

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