磐裂神社

[いわさく神社]

栃木県壬生町上田1350

121号線栃木街道淀橋南交差点を西に入って上田の交差点を直進してすぐ右手に見える。大正四年1915の社号標。鳥居左手に「徴馬記念」,右手の石碑は読めない。
神楽殿を備えた立派な神社。
拝殿軒に「参道並大旗新調寄付連名・昭和三年」板書。
大谷石礎石の神楽殿が右手に。左手に昭和12年の神域譲与記念碑と昭和12年の軍馬徴用記念碑。その奥に上田公民館。
大正四年1915石燈籠。昭和9年石燈籠。
昭和16年境内隣接地山林四畝貳拾九歩大柿タイさん寄附の記念碑。
ここから121号線を1.5キロ北上すると鹿沼市上石川の磐裂神社。さらに1キロ北上すると根裂神社。淀橋南には安塚の磐裂根裂神社。西に行くと中泉の磐裂根裂神社。磐裂神・根裂神が集まっている。
鹿沼聞書記載の不動院は西500mに現存する。維新までは星宮大明神と称した。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 星宮大明神 上田 不動院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 4巻25丁
下都賀郡南犬飼村大字上田鎭座 村社 磐裂神社 祭神 磐裂命・根裂命 建物本社三間四方 氏子八十五戸
本社創立不詳社域四百五十八坪にして字北反川に在り

鳥居右手
拝殿額 落ち着いた境内
大正四年1915狛犬 神楽殿
神楽殿 裏手の石祠 上田公民館
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磐裂根裂神社

[いわさくねさく神社]

栃木県壬生町中泉861

主祭神:磐裂命・根裂命
上田から西に進み3号線を北に入る。中泉地区消防センター,中泉公民館,中泉寺が集まっている。
社殿右裏手に石積み境内社地があり「櫻大刀自神・小御嶽磐長姫神・読めない神」の明治二十二年1889自然石塔ほか7-8社がまとめて祀られている。磐長姫にはじめてお会いできた。富士山五合目に磐長媛命を祀る小御嶽komitake社がある。となりの石祠は明治四辛未年1871。左手裏にも石祠。とても光の美しいところ。
社殿と寺の間の覆屋に「正一位星宮大権現」の額が納められている。かろうじて智積僧正尭?範書と読める。額の下の板に「?與虚空蔵堂一宇右為 ?久住利益?/天下泰平国土安穏 殊者助成…不明・天中天 迦陵頻伽?下野国都賀郡中…不明・不明…生者 我等今敬礼 同国同郡仝村 不明…総代」
西側の消防センター横に木曽義仲の妻巴御前の墓と目される五輪塔が保存されている。
消防センター前に「男體山・嘉永六癸丑年1853四月吉日村中」,左の「妙見天童」は嘉永まで読める。
星宮大権現額と妙見天童石塔がそろっているところから,維新までは星宮大明神と称した。江戸期の記録にも残っている。『下野神社沿革誌』には根裂はなく「磐裂神社」で記録されている。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 星宮大明神 中泉 中泉寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 4巻25丁
下都賀郡南犬飼村大字中泉鎭座 村社 磐裂神社 祭神 磐裂命・根裂命 建物本社四間半四方 拜殿間口四間半奥行二間 末社二社 氏子八十一戸
本社創建年月詳ならす社域百五十二坪字大宮に鎭す
平成十一年鳥居 正式参道から
右神庫 拝殿額  
昭和十八年狛犬 本殿裏の石祠
本殿裏 右:磐長媛神 北東裏手から
北裏手から 本殿左手
西裏手から 虚空蔵堂 堂宇左手の十九夜と地蔵
堂内の星宮大明神額 星宮額の下 左:巴御前供養塔
五輪塔解説 中泉寺 妙見と男体山
上田

上田の神社

[?神社]

栃木県壬生町上田177

121号線,上田の磐裂神社の東400m,上田駐在所のすぐ南の田園地帯に鎮座。
社号を示すものは何もない。個人の崇敬社だろう。
詳細不詳。
左手に石祠3基
 

 

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