熊野神社

[くまの神社]

栃木県壬生町七ツ石262

主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命 配神:素盞嗚命
北赤塚十字路を南下して思川に向かう細道を入った田園地帯に鎮座。
トタン葺き屋根付き一の鳥居。二の鳥居は石製。鳥居左手に浅間神社石祠。鳥居手前に熊野地蔵尊改め氏子子育て地蔵尊。
社殿手前右手に神楽殿。大正七年1918手水石。明治三十九年1906石燈籠。大正十一年1922石鳥居。
社殿左手に石垣土台の石祠、「神明神社、八幡宮、雷電神社、水神社」を祀った石祠。
社殿右手に石祠4基。右手の石垣土台の石祠は大正九年1920の招魂社。
昭和十年1935の「熊野神社拝殿造修百年記念碑」に天保五年1834に早乙女清兵衛が寄贈して改築した旨の文字が刻まれている。名前のつづきが読めないので推定。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 4巻24丁
下都賀郡稻葉村大字七ッ石鎭座 村社 熊野神社 祭神 伊耶那岐命 祭日陰暦九月二十九日 建物本社間口七尺奥行二間栃葺 拜殿間口三間奥行二間 木鳥居一基 末社四社 氏子百餘戸 社掌外山貢仝村大字仝二十二番地住
本社は中納言長俊紀州熊野より遷座せしか濫觴にして維新前は外山家の氏神なりしも明治五年1872社格改定の際村社に列せらる 因に云ふ本村は往古羽生田村なりしも承応(<承慶)三年1654分裂して七ツ石村と稱す 此の村號を附するは則ち本社の右の側に高さ三尺の丸き石あり 此石は往昔七度鳴動して一夜に現出せしより七ツ石と稱せしなり 故に分村の際此明石をなそらへ村名とはなりぬ 外山氏中祖中納言長俊より世々該社の別當職にして七石山戒浄院と號す 維新まては十町余歩の除地を附せられ代々奉仕せしか明治の新天に際し速に復飾外山將監と改め本社に仕奉る 社域六百五十八坪にして本福巽位に向ひ小倉川の清流滾々として本社の後を流れ前は宇都宮栃木間の里道を控ひ境内平地にして老杉蓊欝し神々たる風景なり

一の鳥居額 社殿 二の鳥居
氏子子育て地蔵尊 大正七年1918手水石
本殿左手 4社が祀られている 不明の石塔
右手に4基 拝殿造修百年記念碑 神楽殿
彫刻が見事 実在しそう
一の鳥居をくぐって
神徳大神宮

神徳大神宮

[しんとく]

栃木県壬生町七ツ石929

富士山古墳西斜面に鎮座。古墳斜面に新築の豪邸が建ち並んでいる。このあたりではめったにお目にかかれない高級住宅街の雰囲気。しかも人里離れているのに。その中に鳥居三基。立派な社務所もある。左手に鳥居付きで寿永大神宮。寿永は通常なら[ひさか]。その手前に不明社。近くに茶臼山古墳。壬生町清掃センターの向かい側。詳細は不明。
一の鳥居 二、三の鳥居
神庫? 左手 寿永と読んでいいだろう
不明社 大神宮標識手前右手に標識と石碑 富士山古墳。左端の白い柱が大神宮標識

 

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