宇都宮市中心部の稲荷神社
宇都宮駅西部の繁華街・東武駅・県庁・市役所近辺の稲荷神社を訪ねてみました。宇都宮市ではほとんど例外なく祭神は倉稲魂命[うかのみたまノみこと],古事記風には宇迦之御魂。五穀豊穰の神。転じて殖産・商業の神。例祭は2月か3月初午の日と決まっていた。宇都宮市では高龗神社についで二番目に数の多い神社。2017年7月現在,市街地には18社を確認しました。
大寛町の稲荷神社由緒によると,宇都宮藩主戸田家の祖先が肥前島原から転封された際に,藩士を10数組に分けて市内に住まわせた。各組ごとに稲荷神社を建立し,「御組稲荷」と名付けたとある。そのために,明治43年の神社合併合祀の後も,その名残が市内にいくつか残ることになる。
元古久稲荷神社 二番町1 豊川稲荷神社 馬場通り2 六番地稲荷 池上町1
紋三郎稲荷神社 二荒町5 福守稲荷神社 伝馬町2 稲荷神社2社 伝馬町3
豊川稲荷神社 松ケ峰2 稲荷神社 江野町11 稲荷神社 駅前通り1
稲荷神社4社 大寛1丁目 稲荷神社 西原1 稲荷神社 桜
稲荷神社 操町1 妙法稲荷神社 桜3 塩釜稲荷神社 南一の沢町
稲荷神社 睦町5-5 城守稲荷神社 大曽2 藤森稲荷 大曽2

元古久稲荷神社

[もとこくいなり神社]

栃木県宇都宮市二番町1-24

祭神:倉稲魂命
このあたりには寛政(1789〜)頃に穀物問屋が21あった記録が残っており,それ以前から穀問屋が集中していた。米の計量単位「石」から「石町=こくちょう」と呼んだ。
その東部が江戸初期にはすでに「東石町」と呼ばれていた。1619年に米穀商3軒が西の方角の伝馬町に移転し,そちらは東に対して「西石町」と名付けられ,のちに改称して「新石町」となった。
東石町の方は問屋が消えたので「元石町」に改称した。昭和49年に「二番町」と「三番町」に改称されて訳が分からなくなった。道路名に「元石町通り」として残っている。
社号を「元石」でなく「元古久」にしたひねりは不明。縁起をかついだのだろう。穀物商の町にぴったりの稲荷神社。ちなみに神様はキツネと思われているが倉稲魂神と人の間に入って願を届ける使者。
写真は2012菊水祭の日。
 
豊川稲荷

豊川稲荷神社

[とよかわいなり神社]

栃木県宇都宮市馬場通り2-1-1

旧地名:中河原町987
豊川稲荷は神社ではなく寺院であるが,ここの奉納鳥居には「豊川稲荷神社」とあるので収録。
本庁交差点の東南,「行こか池上Ikegami戻ろか馬場Banbaここが思案の都橋」と酔っ払いに唄われた「みやこ橋」の釜川沿いすぐ南。昭和49年に中河原から馬場通りに町名変更。
 
六番地

六番地稲荷

[ろくばんちいなり]

栃木県宇都宮市池上町1-6

祭神:倉稲魂命
上記の豊川稲荷のすぐ南,釜川対岸に鎮座。こちらは京都伏見稲荷の分霊を勧請。
 
紋三郎

紋三郎稲荷神社

[もんざぶろういなり神社]

栃木県宇都宮市二荒町5-12

祭神:倉稲魂命
JR宇都宮駅から大通りを西に,PARCOの手前の信号を左折して150m右手に。茨城の笠間稲荷を勧請。1200年代後半の創建と言われる古社。
胡桃下[くるみした]/紋三郎/門三郎については笠間稲荷のHPを。
由緒
黒色の額に「胡桃下紋三郎」   「今小路近隣」の文字
  今小路町解説看板
福守

福守稲荷神社

[ふくもりいなり神社]

栃木県宇都宮市伝馬町2-12

祭神:倉稲魂命
京都伏見稲荷の分霊を勧請。大通り池上町交差点を南に70m,東京街道のすぐ西に鎮座。ユニオン通り松本写真館脇から入れる。拝殿額は「福守稲荷神社」,鳥居額と奉納提灯は「福守稲荷大明神」,由緒看板は「福守神社」
維新の神仏分離で大明神から神社に変更されたが,戦後,自由になって大明神号も復活して混在している。
大谷石の神倉,木製鳥居,9つの朱色鳥居と配色の美しい社。
 
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県宇都宮市伝馬町3-14

祭神:倉稲魂命
旧日光街道近くの大通り沿いにあるKILALA美術学院とユニオン通り宇都宮ケーブルテレビのビルの間に社が2つある。大通りに近い方の境内に「傳馬町屋台収蔵庫」があるので,こちらがいわゆる伝馬町[てんまちょう]のお稲荷さんである。
石祠社殿台座に平成17年伝馬町稲荷神社薬師如来堂再建立趣意書が刻まれている。以前は大谷石製であったため損傷著しく伝馬町自治会総意と努力で再建立し後世に残すという意味の趣意書で,薬師瑠璃光如来は左側の石祠である。以前の写真が残っているので,比べてみるとほぼ元の祠を再現している。北隣の駐車場に積んであるのは元の祠か。
路地の名を「ねずみ穴通り」といい,L字になっている。いまは南北の短い区間の呼び名だが,江戸期に同心屋敷があったころは東西にL字があみだくじのように続いて広小路に至る近道の通り名だった。もちろん元の名は漢字で鼠穴。
このL字の奥に鳥居が見える。耳の赤い狐狛犬が奉納されているので,こちらも稲荷神社。詳細不明。
再建立趣意書
以前の祠? 左:屋台収蔵庫 屋台解説
2つ目の稲荷神社 本殿 狐狛犬
ブルーはケーブルテレビ社 さらに先にも稲荷神社
豊川稲荷

豊川稲荷神社

[とよかわいなり神社]

栃木県宇都宮市松ケ峰2-3-2

祭神:倉稲魂命 配神:八幡大菩薩・菅原太神
市役所前通りを上って東武鉄道の高架の手前を右に入ってすぐ。
中央に菅原太神,左に八幡大菩薩。右端の赤い布に稲荷神社大明神。近所の方がお稲荷さんとおっしゃっていたので稲荷の項に入れておきます。
 
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県宇都宮市江野町11-8

祭神:倉稲魂命
大いちょうの北東の駐車場内に鎭座。「昭和七年1932二月初午」奉納の狛犬台座に複数の奉納者名が刻んであるので町内の神社だろう。
江戸時代には宇都宮城の大手門があったところで,北から門をくぐると右手に修道館があり,その東対面あたりに相当する。しかし江戸期には神社はなかったので明治二十年頃から昭和七年の間に創建されたと思われる。ちなみに刑務所跡地に東武鉄道宇都宮駅が設置されたのは昭和六年1931八月であった。
分かりにくい 鍵がかけられてる きつね狛犬
狛犬台座
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県宇都宮市駅前通り1丁目2−2

祭神:倉稲魂命・笠間稲荷大神
駅前の田川にかかる宮の橋から北方に朱鳥居が見える。コインパーキングの中に鎮座。個人の崇敬社だろう。石燈籠一対。文字はどこにも見つからない。
笠間稲荷より御分霊を勧請して創建。詳細不明。
キツネ狛犬
田川を見下ろす 宮の橋北から 赤矢印に鳥居
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県宇都宮市西原1-5

報恩寺西の路地に鎮座。
天保十三年1842石燈籠一対。狐狛犬が奉納されている。詳細は不明。
このあたりは江戸期に伊賀町といった。解説に「この付近は,宇都宮城下の西橋に位置した武家屋敷町で,宇都宮氏の時代に芳賀伊賀守ゆかりの地であったことから,伊賀町の名が付けられたといわれます。江戸時代には,楡木・栃木へ通じる六道口を警備する役人の屋敷が置かれました」
明治元年旧四月二十三日に激しい戦闘が繰り広げられたところで,官軍の死者は報恩寺に手厚く葬られたが,幕府軍の戦死者は地元民によって仮埋葬されただけであった。明治七年1874になって宇都宮藩士戸田三男ら士族と付近住民によってやっと墓碑が建立され法要が行なわれるようになった。西隣の六道口の鳥居付き「戊辰之墓」がそれである。
社号ではなく「奉納」の字 本殿 本殿の窓から「大明神」が読める
手水石 狐狛犬
石燈籠2基 すぐ右手
報恩寺前バス停 伊賀町解説 六道口・戊辰之墓
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県宇都宮市桜1-4-5

桜小学校のすぐ東。社殿は道から見えるが,フェンスに邪魔されているので南側に回り込んでから路地を入る。
拝殿額に「奉納稲荷大明神・西大寛町氏子・大正五年初午」
西大寛町の北部は昭和40年に桜1丁目と3丁目に住居表示が変更されている。桜1丁目は東を材木町に,南を西大寛に接している。上記の操町も元は西大寛だったが,こちらが御組稲荷の一。
安永年間1772-80の創建。
明治四十三年1910二月に西大寛町246にあった稲荷神社を合祀している。
例祭:旧暦2月1日 67坪
妙法稲荷

妙法稲荷神社

[みょうほういなり神社]

栃木県宇都宮市桜3-3-12

桜小学校のすぐ南,鹿沼街道から入る。
詳細は不明。大寛1丁目には明法天王稲荷がある。
このすぐ南西に個人の崇敬社らしい稲荷神社がある。
鳥居二基 奥に桜小学校 すぐ南西の稲荷神社
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県宇都宮市大寛1丁目

材木町通りを南進すると,まず清水歯科医院さんの駐車場に木製社がある。小さな手水石,古そうな石燈籠も2基。
お隣の小林染物店さんの奥に朱色の鳥居。
その南のお宅に石製鳥居に石祠。鳥居額は読めない。かわいい狐狛犬が本殿前に置いてある。
さらに信号の角のお宅の鳥居額に「明法天王稲荷」。石燈籠2基。
不明社 左の社には石塔も 狐狛犬がいる
朱塗りの本殿 明法天王稲荷神社 明法天王稲荷神社
稲荷神社

不明社

[推定:稲荷神社]

栃木県宇都宮市二荒町9-15

PARCOの南側,琴平神社の斜め前。個人の崇敬社か。狐の陶器が飾ってある。
塩釜稲荷神社

塩釜稲荷神社

[しおがまいなり神社]

栃木県宇都宮市南一の沢町1-40

祭神:塩土老翁しおつちのおじ神 配神:倉稲魂命
一の沢町38にも塩釜稲荷があるという記録がある。現在の一の沢付近をさがし歩いても発見できず,10軒ほどお訪ねしたが誰も知らず。護国神社でお聞きしたところ,お調べのうえ「南一の沢」の方であると御教示下さいました。感謝。
明治二十八年1895齋藤源太郎が塩釜協会を創設して神社を創建する。この協会の石柱が残っている。大正十年1921に西大寛町258の稲荷神社を合祀している。『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行記載の住所が「一の沢町38番地」で,旧住所は「河内郡城山村駒生一の沢38-2」,昭和14年の区画変更を経て,さらに平成に「南一の沢」になって訳が分からなくなったが該当社にまちがいなし。
文星芸大付属高校の正門北,鹿沼街道から梅林に入ったところに鎮座。拝殿額は「塩釜稲荷神社」,鳥居額は「塩竃稲荷神社」
覆屋に多数の石祠。
「塩釜稲荷神社」拝殿額 「塩竃稲荷神社」鳥居額
左手が境内社覆屋 多数の石祠 右手にもう一社稲荷神社
入り口付近にある 稲荷神社らしい
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県宇都宮市睦町5-5

祭神:倉稲魂命
塩釜稲荷の向かい側にある大型ショッピングセンターTRIAL屋上に鎮座。
笠間稲荷神社の御分霊を勸請。詳細不詳。個人の崇敬社だろう。
 
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県宇都宮市操町1-22

祭神:倉稲魂命
旧地名:推定西大寛
東武宇都宮駅の西900m。新しく開通した水戸へ通じる道路沿い,バス停宇都宮女子高入り口のそばに鎮座。操町と西大寛の境目にある。元の住所は「西大寛2515」だろう。元は西大寛だった桜1丁目の稲荷神社が明治四十三年1910に西大寛町2469の稲荷神社を合祀している。合祀された社が復活したのかもしれない。
 
藤森稲荷

藤森稲荷神社

[ふじもりいなり]

栃木県宇都宮市大曽2-9-32

祭神:倉稲魂命
星宮神社の北隣りに鎮座。詳細は不明。星宮神社の境内社だろう。
益子町小宅の亀岡八幡宮の境内社として倉稲魂命を祭神とする藤森稲荷神社が祀られている。2011年11月現在藤森稲荷は県内では他に見当たらない。京都伏見の稲荷神社が「伏見」を冠して「伏見稲荷大社」を名乗るようになったのは昭和21年からである。江戸時代には藤森Fujinomori稲荷,藤森の稲荷などともと呼ばれた。その藤森に関係があるのだろう。
 
石祠と木製社が見える
城守稲荷

城守稲荷神社

[しろもりいなり神社]

栃木県宇都宮市大曽2-9-58

祭神:倉稲魂命
八幡山の東斜面くぼ地の「ひょうたん池」となりに鎮座。地名が塙田から大曽になる。詳細は不明。
平出雷電神社に,御本丸にあった「城守稲荷」が昭和44年に遷座して祀られている。そこの案内板に「宇都宮城の守護神で東西南北にお祀りされていた一社」とあるので,ここは城の真北なので東と西にまだあるかもしれない。城守護の天満宮は2社残っている。
坂を降りて左に行くと星宮神社。

 

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