八坂神社

[やさか神社]

栃木県宇都宮市新町2丁目1-34

祭神:素盞嗚命
2013年9月16日の台風で倒された大ケヤキの下敷きになって崩壊してしまった。
新町の大ケヤキは稀に見る巨木で,栃木県の天然記念物に指定されていた。
25年前の記録によれば,樹齢800年,樹高43m,根回り20m,目通周囲7.9m,枝張り東西34m,南北31mだった。14階建てのビルに相当する。かえすがえすも惜しい。撮影は翌日の9月17日,ここに記録しておきます。
倒れたのは縦に割られた半分だけ。残りの半分は青々と葉を繁らせて残っているが,たぶん切り倒されるのだろう。
石製鳥居の笠木のかけらがお隣の家まで飛んでいた。鳥居に刻まれていた年号は「天保十己亥年1839四月吉日」
大谷石製の土台の上に本殿石祠があったのだが,まさにその真上に幹が倒れた。土台礎石が倒木を支えているように見える。
ほんとうに残念だ。
直撃を受け止めた 昭和63年教育委員会看板
白山神社

白山神社

[はくさん神社]

栃木県宇都宮市下河原1丁目2-2

主祭神:白山比咩[しらやまひめ]神
住宅地に鎮座しており,鳥居の背後に家が建っていて,ゆとりがなく,うまく撮影できない。
大谷石製の土台に3基の石祠。中央が白山神社,左右いずれかが稲荷神社,残りは不明。
狛犬
北から
須賀神社

須賀神社

[すが神社]

栃木県宇都宮市御蔵町1-11

主祭神:素盞嗚命
御蔵町[おくらまち]。昭和49年まではなかった町名で中河原町と西原町の一部が住居表示実施でまとめられて成立。宇都宮城趾のすぐ南東なのだが,旭,天神と地名が入り組んでいて見つけにくかった。中河原局の道路反対側に栃木銀行があり,向かいが柳屋造花本店で,その東裏手の駐車場一角に鎮座。本殿覆屋のみ。天王祭に繰り出す神輿が納められている。内部も見えないので文字は額の「須賀神社」のみ。
北隣のエネスタに細い用水越しに鳥居が見えるので,お尋ねすると稲荷神社。さらに20mほど東の石垣の中に,それらしい木造が見えるので行ってみるとアパートの駐車場のはずれに鉄製鳥居と覆屋。社号不明。田川右岸から100mほどである。用水は地図で見ると中心街を抜けている「釜川」のようだ。すぐ200mほど上流で田川に合流し,その残りが細々と御蔵町に通っている。
釜川の末流 エネオス内の稲荷神社 付近の不明社
神明宮

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県宇都宮市下河原町1056

宇都宮城趾の真南,常念寺の前にある「亀井の水」の東となりに鎮座。あやうく見過ごすところでした。
拝殿内に「誌」と題した板書が掲げられており,撮影して読んでみると,
「下河原町神明宮は元五畝貳拾参歩を神域とし官有地なり。御祭神は天照皇大神にして末神に春日大神・八幡宮・猿田彦神社及稲荷神社を合祀す。鎮座の世代は不明なるも往昔より宇都宮城鎮護の四方固め神明宮の一社南の神明として城主の尊崇極めて厚く明治維新前まで神殿の修復は総て城主の命により行われ居りたり。域内老松の蔚蒼たる繁りも明治参拾五年1902八月の大暴風雨に殆んどを折損爾後其の盤根に依り僅かに往時を忍ふのみとなりたり。
金井田道建設當時四坪を寄附し昭和拾九年1964四月其の改修に際し神明宮用地拾四坪買収さるゝに當り四囲環境の将来を考慮し氏子全員の奉仕労力に依り境内全域を参尺余り盛土し拝殿を南方に六尺移転し新築せり。経費八萬六阡五百圓也を以て間口拾弐尺奥行九尺桂土台に桧材を用い他材質は杉材とし屋根は入母屋造り破風に懸魚を附し亜鉛引鉄板葺とせり。
大正弐年1913五月拾日無格神の故を以て御霊代を二荒山神社に奉遷合併さるゝに及ひ大正参年1914九月弐拾九日神域を氏子会共有地として拂下げ宅地として在りしを今月今日氏子会に於いて遷座祭を行い旧に復し奉斎す。昭和参拾九年1964拾X月拾四日」

境内地は500坪以上あった。1年3か月ほど御神体が二荒山神社に遷されていた。
鳥居の先に常念寺 木祠3社
由緒書き 亀井の水
不動前1丁目の不動堂
  右奥州街道及日光街道

 

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