羽黒神社

[はぐろ神社]

栃木県宇都宮市鶴田町1743

祭神:稲倉魂命(旧版表記:宇迦之御魂)
鹿沼街道入口の赤い案内板は山なし「羽黒神社」
鹿沼街道入口の昭和33年観光協会設立記念社柱には山つきの「羽黒山神社」
南参道入口の昭和3年3月即位設立記念社柱には山つきの「羽黒山神社」
西参道入口の平成4年石柱には山つきの「羽黒山神社西参道」
参詣者駐車場看板は山つきの「羽黒山神社」
「ごみはお持ち帰り下さい」の看板3枚は山なし「羽黒神社」
社務所は山なし「羽黒神社」
境内の大正8年石碑には「羽黒神社乃碑」「羽黒神社玉垣鳥居建築…」と山なし。
『栃木県神社誌』旧版では「羽黒神社」,例祭旧10月7日,境内地643坪3合6尺,境外地2丁7反9畝26歩,氏子135戸,崇敬社1000人と記録されている。
地元では親称の「さん」づけで「おはぐろさん」と呼ぶ。市内の「二荒山=ふたあらやま」を「ふたあらさん」と呼ぶのと同じく「さん」に「山」の意識はない。
昔の地名は姿川村大字鶴田字長峰。鹿沼街道入り口は神社裏手で,南に表参道。標高153mの羽黒山頂に鎮座。 ここから東方の県庁や市役所,足利銀行など市内が遠望できる。
かつて境内下には防空壕が掘られ戦後の引き揚げ者が住み着いていたこともあったが,現在は山を削って宅地造成するという暴挙のために,広大だった森林とともに跡形もなく消えうせ,羽黒山東部の一ノ沢,二ノ沢も埋め立てられて神社周辺は無残な景観に変わってしまった。
上河内の大きい方の羽黒山で行われる梵天祭りが鶴田でも秋行われている。
山腹に孟宗竹の梵天が立ち並び祭りばやしが遠くまで届く。
昔は孟宗竹を横たえ,節々に縄を結わえ,ムカデの足のようにして,それぞれが縄を持ち上げては一斉に竹の胴体を地面に打ちつけながら練り歩いて各集落から羽黒山に向かった。
半世紀ほど前のことになるが,十五夜には子供が銅鐸を1mくらい細長く伸ばした形の藁鉄砲を地面に叩きつけながら,家々の軒先で寄進をもらって回った。
60代の3人の記憶によれば,そのときの囃子詞は三の沢あたりでは「十五夜の藁鉄砲 三角畑に蕎麦あたれ 大麦小麦よくあたれ」
梵天も藁でっぽうも,豊作の切なる願いを,土そのものに届けようとして地面を叩いたのであった。
ああ,遠い日のことだ。
羽黒山の南麓に「ひょうたん沼」と呼ぶ鶴田沼。ガマが多数棲息していた。宇都宮市指定天然記念物はハッチョウトンボ。
羽黒山の西側は競争馬の育成牧場。
『鹿沼聞書・下野神名帳』『下野神社沿革誌』ともに記載なし。鶴田鎭守は羽黒山から東南に見下ろせる「高龗神社」なので,そちらが記録されている。羽黒山は周辺の寒村住人の守護神である。ちなみに維新で喜連川から移住してきた小生の祖先も氏子になっていた。小額寄付者として石碑に刻まれている。
昭和42年狛犬 昭和9年鳥居
明治二十X?
昭和9年御神燈 大正8年石碑 羽黒神社乃碑
 
  野口雨情歌碑 三角点
 
 
社務所 南参道入り口社柱 大正7年11月5日鳥居 鹿沼街道入り口社柱
鹿沼街道沿い 野口雨情旧宅 ひょうたん沼
 
三澤神社

三澤神社

[みさわ神社]

栃木県宇都宮市・鶴田町2110

祭神:?倉稲魂命?
宇都宮市の西部,鹿沼街道と宇都宮環状線が交差する雨情陸橋北東の鶴田川沿いに鎮座。
三澤神社付近は大きな農家二軒に守られて往古の面影を保存している。個人の崇敬社のようである。ここから見える羽黒神社までは600mほど,高龗神社までは1200mほど。
石祠背面に「大正八年旧九月十九日建之」1919年
石鳥居は「大正八年九月十五日建之」1919年

鶴田には三本の川が流れ,三つの沢があった。東から,一の沢,二の沢,三の沢と呼んだが二の沢だけは口の端から消えてしまった。
「二の沢」「三の沢」という町名はなく,番地は河内郡姿川村大字鶴田であった。通称の三の沢は二の沢あたりを呼ぶようになり,現在の三の沢郵便局付近をさす。
現在の睦町と西一の沢町あたりと,作新学院南部の鹿沼街道沿い二の沢あたりは半世紀ほど前までは実際に沢にふさわしい景観が広がっていたが,羽黒山を削った土で埋め立てられて宅地となったために沢の面影はない。それでも流れはいまだに細々と続いている。
駒生の中丸溜から南下する鶴田川と合わせて三本の用水が三つの沢を形成し,肥沃な田園地帯を支えていた。
三本の川は楡木街道(鹿沼インター通り北)で合流し,下砥上町と西川田町の境を南下してさつきロード入り口付近で姿川に合流する。
JR日光線の鶴田駅まで鶴田町である。
鶴田鎭守は字鶴ケ岡の「高龗神社」で,祈雨祈晴の高龗神と闇龗神を祀り,豊作を願う「羽黒神社」に倉稲魂命を祀っている。なおWebの地図に「高龍」とあるのは誤記。雨+口三つ+龍字が正しい。
  鶴田川 中央社殿・右手に羽黒山

 

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