樫木稲荷神社

[いなり神社]

栃木県宇都宮市川向町3-29

主祭神:倉稲魂命
宇都宮駅の東にでる通路の階段を左手に降りると,バス停やぎょうざの「みんみん」がある。道なりに進んで最初のコインパーキングを左折して歩くと左に斜めに行く道路があり,左手に鳥居が見える。
駅にあるパセオの建築に伴い,この地に遷座した。
特徴のある社殿で,現代風の流造といったらいいだろうか。
[かしのき]なのか[かしき]なのか土地の人も混乱していた。稲荷神社の前に土地名や特徴をつけて「元古久稲荷神社」とか「安産稲荷神社」とか呼び名がついていても,ほとんどの土地で単に「おいなりさん」と呼んでいるので,漢字の読みが分からない場合がある。栃木県では,さくら市の「於麻武稲荷神社」など,まだ読みが分かっていない。
本殿
流麗な屋根
富士山神社

富士山神社

[ふじさん神社]

栃木県宇都宮市元今泉3-21-24

主祭神:木花咲耶姫命
配神:高龗神[たかおかみのかみ],菊理姫命,大海津見豊玉姫命,市杵島姫命,大日孁貴命
境内の由緒書きでは高龗神3文字のルビが「たかおがみ」になっているので,高龗は[たかおかみ]ではなく[たかお]と読んでいることになる。文字は口つき正字。
明治四十三年2月(『栃木県神社誌』昭和39年による。『宇都宮市地誌』昭和9年では明治四十年)に字高尾神の高龗神社,厳島神社,瀧神社,白山神社,東雲神社を合祀している。「字高尾神」という地名があったのだ。
石祠が6基並んでいるので中央が富士山神社で,残りのつのひとつが高龗神社なのだろう。
旱魃の際に村人集って遥か遠くの富士浅間神社を拝し,濠を掘り,土を盛って檀を築き,斎戒沐浴雨を祈ること七日七夜。すると大雨沛然として降り来り,草木悉く蘇生した。感謝して壇上に社を建て祈雨祈祷の場とした。まさに高龗神の御神徳そのままである。
当時は宇都宮の町からも富士が見えた。「富士浅間の社」とは富士山そのものであった。
この社の起源にはもう一説あり,合祀した厳島神社の口伝としている。「いずこよりか見目麗しき女人あらわれ,この泉を掘って流水,水田を開墾すべし,さらば財宝を生ずべし,と土人に告げて去った。この言のとおりにすると五穀豊饒したことにより,泉の中央に社を築いて厳島神社とした。明治に富士山神社に合祀された」というもの。
本殿:石祠 例祭:11月29日 474坪
白楊高校の北側を目指して進むと,右手に森が見える。東隣りの小さな森にも鳥居が見える。周囲は整地されて,なにか大きな建物がつくられるようだ。残念ながら社名は分からない。
*『宇都宮市地誌』宇都宮市敎育会発行 昭和九年1934
富士山神社 今泉字辨財天にある無格社。祭神は木花佐久夜昆賣命 市杵島姫命・菊理姫命・大日靈貴命・大海洋美豊主姫命・高龗神を合祀す。境内は六百三十七评あり。
當社地は元一圓泉にて水湧出る濕地なりしが、時に同地より容貌嬌嫣たる一婦人突如として來り、此の泉を堀分け流水し水田を開墾すべし。幾くば財產を生殖すべしと土人に吿げ何れにか去り給ふ。是を聞き水田を開き好種を植るに吿の如く豊饒し故に其の地を祝房と稱す。後泉の中央に社を築きさきの婦人を祭り辨財天と唱へ其の邊の地名を祝房又は辨財天と今に唱へり。古來より言傳につきこゝに移記す。
合祀
高龗神社 今泉字高尾神 明治四十年二月七日今泉字富士山神社へ合祀。
東雲神社 今泉權現前 明治四十年二月七日仝町富士山神社へ合祀。
白山神社 今泉白山 明治四十年二月七日仝町富士山神社へ合祀。
厳島神社 今泉辨財天 仝上。
瀧神社 今泉字砂子堀 仝上。
右手森は富士山神社 左手森にも鳥居
社号は分からない
稲荷神社

藤八稲荷神社

[とうはちいなり神社]

栃木県宇都宮市中今泉4-1-7

主祭神:倉稲魂命
白楊高校のすぐ西隣りを奈坪川が流れている。高校角の橋が「福禄寿橋」,すぐ北の橋が「藤八塚橋」。ここを東に進むとすぐ右手に鳥居。
石鳥居は二基だが,鳥居が立っていた跡がいくつか残っている。
新興住宅地で,近所の方で藤八塚をご存じの方はいなかった。藤八という義人がいたのかもしれない。詳細不明。
朱色鳥居脇に旧鳥居
鳥居跡 旧鳥居 鳥居跡
正一位藤八稲荷神社
左端:「大明神」の奉納額 左手奥:「神社」の奉納額 藤八塚橋

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