大山阿夫利神社

[おおやまあふり神社]

栃木県宇都宮市大谷町1211

主祭神:大山祇命
大谷観音のすぐ北隣りに鎮座。
阿夫利神社の祭神は通常,大山祇神・高龗神[たかおかみのかみ]・大雷神であるが山の神として大山祇命が祀られている。
大谷石採掘場の中心なので,すべて良質の大谷石で造られている。
昭和十二年1937石燈籠。
例祭:10月25日 山神祭
入口 すべて大谷石造り
大山阿夫利神社 最上級の大谷石で
花が欠けてしまったが
左手にもう一社 社号不明
力石(?神) 不動明王
稲荷神社

岩尾稲荷神社

[いわおいなり神社]

栃木県宇都宮市大谷町1235

主祭神:倉稲魂命
明治二十二年1889の創建。
大山阿夫利神社から西に150m行くと盤石荘があ。その脇を右に上ると狛犬が見える。大震災で倒壊した鳥居は朱色も鮮やかに再建された。
大谷石の石段を上ると小ぶりの祠が見えてくる。
例祭は伏見稲荷神社恒例の旧暦の初午に合わせ,新暦3月に初午詣。
本殿 開運岩尾稲荷神社 本殿前の狛犬
入口の狛犬
入口 鳥居があった
石段 大谷観音方面を望む
立岩神社

立岩神社

[たていわ神社]

栃木県宇都宮市大谷町395

主祭神:磐裂命・根裂命ほか三柱 境内社:八坂神社・琴平神社・稲荷神社
大正元年1912十一月の「立岩神社之碑」に「立岩ノ鎮守ヲ古来星宮ト稱シ石拆根拆ノ神ヲ祀ル…明治四十一年1908六月八坂神社ヲ合祀ス…大正元年(1912)10月立岩神社ト改ム…」
社殿玉垣外の右手奥に「星宮」と彫られた石が残されている。星宮神社から磐裂根裂神社への称号変更は県内ではいくつか例がある。また,その逆も見受けられる。ここでは地名をとって称号を変更した。
例祭:11月第一日曜日 295坪
本殿
立岩神社之碑 本殿左手 本殿裏手
安政二歳1855 右手奥の石祠群
星宮の文字 右手奥の石祠群のための鳥居 西から
子安神社

子安神社

[こやす神社]

栃木県宇都宮市大谷町1446

主祭神:子安神
大谷の町に入る分岐信号の南,戸室山の北麓に鎮座。
子授け・安産・子育ての神を祀る。入口は住宅の庭になっている。鳥居の足下にはプランターが並ぶ。大谷石積みの階段,石敷の参道を進むと右手奥に石祠が見えてくる。
大谷石採掘場の中なので,すべて大谷石で造られている。表面が風化しやすいために読み取れる文字はなかった。かわりに年月を経た風情ある石燈籠になる。笠に苔など生えるとさらによくなる見本。
戸室山の南側山腹に戸室神社。
例祭:11月15日に近い日曜日
本殿 本殿背後に石祠
苔むした燈籠 入口
石段 参道
北を望む 姿川越しに鎮座地方面
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県宇都宮市大谷町524

主祭神:倉稲魂命
大谷資料館の東500mに鎮座。立ち入り禁止の黄色テープが張られている。奥のお宅の方のお話しでは,先の大地震によるものではなく,はるか以前から崩落していたという。神主さんを呼んでいまの状態に積み直したそうだ。黄色テープは震災後に張ったもの。
詳細は不明。
本殿 南に大谷石採掘場
戸室神社

戸室神社

宇都宮市・大谷町1797

[とむろ神社]

配神:高龗神

主祭神:鳴雷神 配神:高龗神[たかおかみのかみ]
境内社:大国神社(大国主命),橿原神社(神武天皇)
旧住所:城山村大字荒針
一の鳥居右脇の昭和24年の「境内地譲與記念碑」に,奥羽討伐の砌,源義朝が下向させた宗圓座主が,調伏祈祷のため天喜二年甲午八月1054に戸室山に鳴雷神社を鎮祭した旨の記述がある。ここに,明治維新後「社名を戸室神社と改称せり」とあるので,「山」なしで「戸室神社」でいいだろう。『栃木県神社誌』も戸室神社としている。なお『栃木県神社誌』では創立月が天喜二年六月となっている。改称したのは明治10年である。
大正二年11月2日庵ノ下にあった「高龗神社」を合併。
宇都宮環状線の西に大谷街道を行き,城山小中学校を見て左折すると田園地帯が広がる。写真の杉の森の真後ろが戸室山。ほぼ山頂に近い南面に鎮座。
一の鳥居は柱がめずらしい六角形。二の鳥居の額は「戸室山神社」と「山」が付いている。付近に弘化三年丙午1846の石塔や,何かの残骸がごろごろしている。
ここまではいいのだが,見上げると大谷石の階段がはるか上に続いている。二日酔いだったので,息切れがして,三度休んでたどりつく。
上りきったところに昭和12年の狛犬。右手上に赤屋根の拝殿が見える。
ここの境内地盤はたぶん大谷石。山全体がどうも大谷石のようだ。石段も山をそのまま削っている。石段の最初の段の右端を彫り込んで手水石としている。
明治44年の奉納石碑に「戸室山鳴雷神社」
昭和9年の「神楽殿新築記念碑」があるので左手の石の遺構は神楽殿か。
昭和24年5月の「戸室山神社御拝殿新築記念碑」
拝殿内の額文字は山がなく「戸室神社」,さらに上がった奥に本殿。
境内に壊れた境内社が残っている。
神楽殿跡の下に下りていくと,人の手で組み上げたような巨石群を見ることができる。ひとつの岩が,幅5m以上はありそうだ。
本殿:神明造トタン葺 拝殿:流造
例祭:10月第三日曜日 10,282坪
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八竜神 戸室
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902
河内郡城山村大字荒針鋲座 村社 戸室山神社 祭神 鳴雷命 祭日陰暦四月十五日九月十五日 氏子八十四戸総代三員 社掌萱生英尊 建物本社天然の岩窟に鎭す 拜殿間口三間奥行二間 神樂殿二間四方 末社二社
社傳に曰く創建年月は遼遠にして詳かならずと雖ども字都宮宗圓八田城を築き城の鎭護神とす 其后の領主も悉く崇敬の社なり 依て明治六年一月郷社に列せらる 時の氏子は荒針飯田駒生戸祭田下田野福岡古賀志寶木の九ヵ村たり 明治十年郷村社區畫改正につき村社となる 社地は戸室山の中腹に位し社域六千一百八十餘坪高きこと三町餘石磴一百七十五階にして奇巌怪石多く本社の邊り一帯岩石並び立ち突兀として奇々怪々の形を現せり 亦神殿の前に神水あり其水漫々と湧出して如何なる旱天と云へとも水の涸ることなく故に旱魃の時は多く諸人本社に雨乞を祈りて靈験ありと云ふ 叉本社の後頂上には天然石を以て宮室の形ちをなす此れを奥社と稱す 境内には數基の華表壯嚴を極む 常磐木も叉蓊欝として茂生し四顧洞達兩毛信甲の巒峰は悉く雙眸に集り西南に遠く富獄を望み東に向ひは常州の諸山一眸の中に牧め眺矚頗る佳なり
拝殿 鳥居付近・大正十年1921
二の鳥居 弘化三丙午年1846
長い石段 「昭和十二年建之」銘板 「昭和六年乃至九年」銘板
神楽殿跡 戸室山鳴雷神社 神楽殿新築記念碑
拝殿内 手前:本殿
付近の巨岩 鳥居右手の石碑の文字 奥の山頂に鎮座

 

*大谷には他に「坂本鎮守」大谷町963がある。

 

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