星宮神社

[ほしのみや神社]

宇都宮市・上欠町706

合祀社:[高龗神社]

主祭神:磐裂命,根裂命
境内社:大物主命の琴平神社,大山祇命の湯殿神社,猿田彦神の猿田彦神社ほか
宇都宮環状線の西,聖山公園のすぐ北。天台宗明星山寶林寺に隣接する田園地帯。すぐ北を東武日光線が走る。
拝殿内に祭神名と合祀社が書かれた額が2枚あるが斜めに掛かっていて肉眼では読めない。撮影してきて読んでみると磐裂命のsakuの字は析を使用。明治42年に姿川村大字上欠内の8社を合祀したことが書かれている。浅間,熊野,権現山大山祇,中原大山祇,高山台八坂,打越稲荷,根古谷台八坂,そして字道上からは稲荷神社とともに無格社「高龗神社」合併許可と読める。龗字の口みっつは気持ち書かれているように見える。写真の額のいちばん左の行。神社を廻っていてこうした書き物があるととてもありがたい。
板絵が左右に4枚掛かっているが図柄はすでに判別しない。
明治三年の狛犬。後ろの白い建物は公民館,朱色の屋根は寶林寺。
この神社はここからが面白い。拝殿裏手に回ると石祠がずらりと並んでいる。正面に大きめの2社,その右に藁宝殿が見える。
左手に10社,文字の読めるのは2つで「仲坪稲荷」「正一位稲荷」
その向かいに御神燈5基。
「天保二辛卯年」1832御神燈。
「奉納御寶前 文久二壬戌年1862九月十五日」
「明治十三年二月」御神燈。
さらに寶林寺入口右手に「十九夜女人講 文化十二1815」などの石塔がこれまたずらりと保存されている。
「念佛供養寶塔 享保十五1730」「xx六部供養寶塔 明和四辛亥歳1767」「「天明二年1782」「寛政十二庚申1800」などの年号が読み取れる。
例祭:10月15日 640坪
*『下野神社沿革誌』5巻38丁 明治三十五年1902
河内郡姿川村村大字上欠下鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂命根裂命 建物本社間口三尺八寸奥行一間 拜殿間口二間奥行二間 末社一社 氏子三十五戸
本社創建不詳 社域六百六十一坪を有せり
拝殿内 高龗神社の文字が見える
藁宝殿
上欠沼

上欠沼の神社

[推定:雷電神社/稲荷神社]

栃木県宇都宮市上欠町1287-25 かみかけまち

推定祭神:大雷神・倉稲魂命
インター通り悠久の丘の北,上欠沼のほとりに鎭座。付近の方のお話しでは社号は不明,雷神さまと庚申さま,二月初午を祀り,十数件の氏子が崇敬し,もとは少し北の山中に鎭座した。
平成十二年石鳥居。石宮が二基,その左に自然石が二基。
左の石宮に「昭和三十五年1960二月初午」と刻まれている。こちらが稲荷神社と推測する。右は雷電神社。
右手の自然石下部に「庚申」の文字。庚申供養塔と推測する。
石宮背後に細い竹竿に藁紙垂様の縄加工品が多数下げられている。藁鉄砲のようにも見える。
左端に昭和六十一年1986「改修記念碑」
通称上欠沼の正式名称は「上欠溜池」別名「初網沼」で,東に流れる姿川水系の潅漑用水溜池である。「亀ケ甲沼」と称したこともあった。上欠溜水利組合と上欠溜池愛護会が管理する。沼の北には釣り堀があり,沼の西岸に水田が広がる。「うつのみや百景」の一で,少し東の羽黒山南部に「鶴田沼(ひょうたん沼)」がある。
(2019/6/6)
石宮
 
庚申塔 庚申の文字 後ろから
石燈籠
  消えたか元々ないか 鳥居柱
  上欠沼 水田
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県宇都宮市下欠町55

主祭神:磐裂神・根裂神・経津主神
境内社:大杉神社・琴平神社
羽生田街道を西進し姿川を渡って大きくカーブした先の左手に鎮座。右手の奥の山裾にも,もうひとつの星宮神社が見える。
享保年間1716-36の創建。昔は下欠下[しもかけした]字南坪といった。
社号は旗杭と拝殿内右手の額に読み取れる。
昭和十七年1942の旗杭から東南に子ども総合科学館のロケットが見える。
*『下野神社沿革誌』5巻38丁 明治三十五年1902
河内郡姿川村大字下欠下鎭座 村社星宮神社 祭神磐裂命 根裂命 建物 本社間口四尺三寸奥行七尺 末社二社 氏子四十一戸 本社創建年月詳ならす社域三百六坪平坦の地に在り

手水舎と神輿庫 神輿
右手の境内社 左手の境内社
背後の竹林
明治四十三年1910石製鳥居 科学館のロケットが見える
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県宇都宮市下欠町153

主祭神:磐裂神・根裂神
上記星宮神社のすぐ北西。社号を示す文字は見当たらない。ちょうど草取りに向かうおばあさんにお尋ねすると星宮神社。ずっと昔からここにあるという。詳細は不明。
脇をきれいな用水が流れ,背後に山を抱え,水田が南北に広がる。気持ちのいいところ。
姿川に合流する用水 右手奥にさつきロード

 

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