仁良塚大杉大明神

[にらつか・おおすぎ大明神]

栃木県宇都宮市宝木本町1711

主祭神:倭大物主櫛甕玉命大神[やまとおおものぬし・くしみかたたまのおおかみ]
明治末に村を襲った伝染病で死者多数が出たため,明治四十年1907に茨城県稲敷郡阿波の大杉神社分霊を勧請して創建。「アンバ様」と呼び奉った。秋の収穫後に「甘酒祭り」を行なっていたが,現在は勤労感謝の日に「仁良塚まつり」を開催している。
平成五年に新築した仁良塚公民館敷地に鎮座。額に「仁良塚大杉大明神」
となりに「仁良塚屋台収納庫」があり,壁に神社と屋台の詳しい由来が書かれている。
天祭に引き出されて組み立てられる車輪のない屋台で,祭壇の役割を果たした。
天棚は天明元年1781にはすでにあったことが解体収納箱に記録されている。その後,嘉永七年1854に彫刻が施され,安政二年1855に完成,彫刻天棚として天祭に組み立てられ祭壇の役割を果たしてきた。大正十三年1924に車輪が取り付けられ「仁良塚彫刻屋台」として宝国神社祭礼などに仁良塚地域を巡航した。引き回しは戦争で中断していたが,平成3年1991に公民館完成を祝って久々に組み立てられた。組み立てたまま保存できるよう平成6年に収蔵庫に保存した。痛みが激しくなっていたため平成24年に大改修を行なっている。
屋台の歴史は大杉大明神より古く,収穫にかかわる神を祀っていた。『下野神社沿革史』には二良塚に「六所神社」があったことが記録されており,明治四十三年1910に宝国神社に合祀されている。三年前に大杉大明神が創建されているので,六所神社はまた別の場所にあったのだろうか。
すぐ東のお宅の入口に石祠三基,男体山二基,一基は文化十四丁丑年1817,石像一基。
本殿か 左:仁良塚屋台収納庫
右の左端:大杉大明神 東隣りのお宅の石祠 男體山
文化十四1817男體山 大杉大明神由来 仁良塚の屋台
大日様

大日様

[おおひさま]

栃木県宇都宮市宝木本町1785

主祭神:大日如来
安政五年午1858二月吉日の石鳥居をくぐって大谷石の参道,石段を上がると右手に薬師堂,正面にゆがんだ覆屋。中に石祠が六基。土台は大谷石の自然石。堂宇改築記念碑
近所の方にお聞きすると,このあたりは遠い昔,現栃木市藤岡町(群馬県邑楽郡に隣接)から移住してきた集団が住み着いたが,それ以前から大日如来が祀られていたという。
小さな山の上にあり,裏手が崩れる危険があるので,3013年10月現在,覆屋裏に立ち入り禁止の黄色テープが張られている。
かなりの雰囲気
屋根の上に宝珠
薬師堂 堂宇改築記念額 小高くなっている
湯殿山神社

湯殿山神社

[ゆどのさん神社]

栃木県宇都宮市宝木本町2350

主祭神:大山祇命 境内社:八坂神社
宝木本町の北の端,徳次郎に近い田園で,昔の字は「足次」にあたる。少し西に「国本村公民館・足次分館」の木札を掲げた公民館がある。
社殿は残念ながら平成15年の4号台風で倒壊し,屋根が残されている。
通りかかったお年寄りのお話では,昔はもう少し東の巨木の森に鎮座したが,樹が大きくなりすぎて現在地に遷座した,元の社殿はもっとずっと大きかったとおっしゃっておられた。樹木がすでに無いのでどういう意味だったか。台風でやられて,まだ直していない。足次の63戸でお祀りしていたとのこと。
読めるものでは天明八申年1788,文化十三年1816,明治二十二年1889の石燈籠の残骸や,庚申供養塔三基など多数の石塔が残されている。
天明八申年1788 文化十三年1816 明治二十二年1889
白雲山
庚申供養塔 庚申供養塔 鎮座の杜

 

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