星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県宇都宮市砥上町741

主祭神:磐裂命・根裂命
延長二年924平安時代創建の古社。 鹿沼インター通りの南を走る楡木niregi街道T字路に鎮座。北に砥上町南部公民館,しらゆり幼児園。
街道南向かいに広大な森が残っており,往古の風景を想像できる。
『栃木県神社誌』昭和39年版に多数の境内社が記録されている。
境内社:雷電神社・稲荷神社・大杉神社・八坂神社・水神社・鶏神社・琴平神社・神明宮・生駒神社・疱瘡神
例祭:11月19日
*『下野神社沿革誌』5巻38丁 明治三十五年1902
河内郡姿川村大字上砥上鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命 根裂命 建物本社間口三尺奥行三尺 拜殿間口二間半奥行一間四尺 華表一基 氏子五十四戸 本社創立詳ならす 社域八百四十三坪あり境内には末社五社を有す

明治二年1869二の鳥居
拝殿額 本殿
境内敷地無償拂下記念碑・昭和25年
左手に多数の石祠
拝殿裏手
拝殿右手
天保十二年1841男體山 支那事変出征馬之碑
雑置庫か 太鼓橋
二の鳥居下の用水 旧鳥居
砥上神社

砥上神社

[とかみ神社]

宇都宮市・下砥上町478

主祭神[高龗神]

主祭神:高龗大神[たかおかみのおおかみ],火具土神=軻遇突智,磐裂神,根裂神
姿川中央小学校のすぐ北,愛宕山に鎮座。山といっても実は古墳である。
拝殿は平地に建っているが,本殿は背後の小高い丘の上に祀られている。拝殿右の桜の根元に「御鏡献納・嘉永四年1851二月吉日」石碑。右手に石段が2か所あり石祠のある方には土俵も。
拝殿と本殿の間に,背面を見ることができないために年代不詳の庚申塚があり,その真下が石窟になっている。
宇都宮大学の某教授によると約1200年前の豪族の墓で,福島石で築かれているとのこと。
小さい入口をくぐって,下に下りる姿勢で中に入ると,約四畳ほどの圧倒的な石の空間が現れる。
極めて頑丈な石室である。
どのようにしてこれだけの巨石を運んできて構築したのか,謎である。
土地の古老の話では,拝殿を造営するために古墳の南斜面を削ったところ,土に埋もれていた石窟が発見されたという。その時はすでに盗掘されていたらしい。
戦時中には防空壕の役割も果たした。
本殿額は「砥上山神社」本殿前に
「男體山 天明四甲辰1784十一月吉日」その右の石祠は安政七年1860
「奉納大杉大明神・愛宕大権現 文化六己巳年1809六月二十四日」石燈籠
「植櫻碑 明治參拾九年拾月」「・・・山櫻かな」何か和歌が刻まれているようだが,判読できない。
本殿右手に屋根の壊れた石祠があるが,蜂が湧き出していて近づけない。
拝殿内に「十神神社乃由来」額が掛かっている。
星宮神社=磐裂乃命 根裂乃命 經津主乃命
熊野神社=伊邪那岐命 伊邪那美命
神明宮=天照皇大神
読乃社=月読命
住吉神社=中筒男命
八雲神社=素戔男命
八幡神社=誉田別命
以上十神を勧請したので「とおかみ」>>十神>>「とかみ」の名となったとある。
ここに高龗神は出てこない。この由来書の署名に「高龗神社宮司」とあるのだが。
また,上の7社にはない「大杉神社」が祀られ,昭和31年に修理した神輿が保存されている。他の境内社に「稲荷神社」「八坂神社」「愛宕神社」「二荒神社」
旧『栃木県神社誌』には「祭神火具土神高龗大神,石析神根析神を奉斎延長二年924九月二十九日に勧請古来より星宮神社と称し来りしところ明治二年四月二十九日砥上神社と改称す。明治四十四年十二月八日・・・字主内無格社愛宕神社に合併砥上神社と称号す」(神名・句読点ママ)
つまり,創立のときの4祭神の1が高龗神なのである。
いずれにしても高龗神と深い関係がある。もともとの鎮座地はここより西の姿川沿いにあった。
神明造石鳥居のわきにも燈籠や石碑が立っている。
本殿:流造亜鉛葺 拝殿:流造亜鉛葺 例祭4月13日
この日たまたま神社を管理なさっている米寿を迎える方が清掃にいらしていて,石室と拝殿内を見せていただくことができた。感謝。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五-37丁
河内郡姿川村村大字下砥上銀座 村社 砥上神社 祭神磐裂命根裂命 建物本社間口四尺奥行二尺八寸 末一社 華表一基 氏子三十九戸 社掌佐藤高吉同村同大字住
本社創建年月遼遠にして詳ならす神職は往古より佐藤氏代々奉仕せり 社域二百二十九坪瀟洒の地に在り 境内には古樹亭々として高く聳ひ風致頗る幽逮なり
社務所
嘉永四年1851
古墳の概要 石室入口 巨岩
蜂がいて近づけず 拝殿内右手・ボケてます
拝殿内の狛犬 大杉神社 十神神社由来

 

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