長沼八幡宮

[ながぬまはちまんぐう]

栃木県真岡市長沼1083

祭神:譽田別尊 配神:天児屋根尊・別雷神
境内社:日光二荒山神社・熊野神社・千勝神社・天満宮
延暦十四年795に坂上田村麿が創建。康平年間1058~65に焼失。康平六年1063源頼義が石清水八幡宮を勧請して再建,永保二年1082源義家が改修。源氏の崇敬を受けた。元暦年間1184~85に小山宗政が鶴ヶ岡八幡を勧請,建久四年1193源頼朝が神夢により加茂社(別雷神)と春日社(天児屋根尊)を勧請。
その後,文明,天正期にも焼失したが江戸時代に入ってからは災いなく今日に至っている。『下野神社沿革誌』や「幣殿拝殿葺替工事記念碑」の略記とは多少異同があるが悠久の時のなせる業である。
例祭:4月15日前日曜日 嘉永二年1849から受け継がれている永代太々神楽が奉納される 9月中旬秋季例祭(旧8月15日)
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡  正八幡大神宮 長沼 野沢神大夫
*『下野国誌』嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行 巻四-p.7
芳賀郡長沼郷太田村にあり,圭田十石別當道樹坊天台宗なり,神主野澤和泉と云…以下略
*『下野掌覧』万延元年1860 芳賀郡之部
正八幡大神宮 長沼村鎮座 祭主野沢氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・6丁
芳賀郡長沼村大字太田字宮之内鎭座 郷社 八幡宮 祭神 譽田別命別雷命天津兒屋根命
祭日陰暦八月十五日 建物本社間口二間半奥行三間二尺 拜殿間口六間半奥行三間半 幣殿三間四方 神饌所間口二間四尺奥行三間 神門間口三間半奥行二間 神樂殿二間半四方 唐銅華表一基 木鳥居一基 末社九社 氏子六百十八戸 社司欠社掌櫻井沖同郡山前村大字西田井住
本社創建年月遼遠にして不詳 往古は加茂春日の雨神を勧請し長沼莊の惣鎭守神なりしか康平年間1058~65祝融の災に罹り宮殿及ひ古記録等灰燼に歸し宮殿の如きも仮宮なりしか建久元年1190小山政光三男五郎左衛門尉宗政本地に築城し長沼と稱し居城せし時相州鶴ヶ岡八幡宮を遷座合祀し本城鎭護神と崇敬し若干の神田を寄附し隆盛なりしより漸次地主加茂春日の神號徴々として世人長沼八幡宮とのみ稱せらるに至れり 後徳川氏に至りても十石の朱印を賜はり崇敬あり 社域四千廿四坪平坦の地にして宮殿宏壯神寂ひて雅致あり 神主には野澤氏代々累代奉仕す 明治 年保存金一百圓内務省より下賜せらる 外に社有財産四百圓を有す
拝殿
彫刻で埋められている 色もいい 拝殿額
屋根の下にも
幣殿入口 本殿 手水舎
拝殿左手に神楽殿
各螺鈿脇の本地堂?の軒 幣殿拝殿葺替工事記念碑 簡単な由緒

一の鳥居はかなり離れて南の太田神社のところにある。朱色の大きな両部鳥居。大正二年1913旗杭。左手の鳥居は太田神社。参道途中に長沼局があり,春には桜が枝を垂れて咲き誇る。二の鳥居は元禄十年1697建立の貴重品。柱の目の高さに細かい文字で芳名が多数刻まれているが,年号は見つけられなかった。
南から 左の写真地点からの距離 参道
桜の参道 二の鳥居
2016/5/18 2006/4/13 元禄十年1697銅鳥居
名前が刻んである 参道の看板

■境内社■
本殿左手に「熊野神社」,見事な彫刻が全面に施されている。独立した神社でもなかなか見られない立派な本殿。右となりに石宮。裏手に340年以上前の貴重な石像。右端延宝三年1675下部の三猿の腕と足の表現はデフォルメされていておもしろい。中央に寛政十二年1800青面金剛。左端は延宝六年1678の年代物。大乗妙典にかかわる念仏供養塔も寛文十二年1672と相当古い。
本殿右手奥に「千勝神社」,享和四年1804奉納・平成十二年再建石鳥居。覆屋内に木製祠,文化五年1808千勝大明神額,板絵。
本殿右手に「日光二荒山神社」,見事な彫刻が施されている。こちらも独立神社でもなかなか見られない本殿。
写真中央奥に熊野神社 熊野神社
背面 左側面 右側面
軒にも彫刻
右手の石宮 古い石像
延宝三年1675 三猿 寛政十二年1800
延宝六年1678 三猿
寛文十二年1672
千勝神社 千勝神社
千勝神社石宮 馬?と烏帽子の人
千勝大明神 額数枚
日光二荒山神社 左は八幡宮本殿 左側面
すばらしい彫刻だ

■随身門――天明七年1787■
随身門手前右手に享保十二年1727手水石を置いた覆屋,中に剣を持った神像。
神門くぐって右手に天満宮石宮。「平成八年長沼八幡宮鎮座1,200年記念事業」碑。「大正十四年1925社殿改修記念碑」。「昭和九年1934二十六年譲與並大修理記念」碑。「昭和37年1962社殿修理並瑞垣増設記念」碑。そしてここに樹齢400年を超える大ケヤキがどーんと直立して旺盛に新芽を吹いている。
玉垣手前右 享保十二年1727
立像
随身門額
左大臣 右大臣 右大臣
右大臣台座
天井に花
門から拝殿 拝殿から
横から 門から大ケヤキ 門をくぐって右手
天満宮 鎮座1,200年記念事業碑
譲與並大修理記念碑 社殿修理並瑞垣増設記念碑 社殿改修記念碑
真岡市指定天然記念物 近づくと太い
まだまだ元気

太田

太田神社

[おおた神社]

真岡市・長沼1102

主祭神:日本武尊 配神:倉稲魂命・大日孁貴命・磐裂命・根裂命・市杵嶋姫命・表筒男命・武内宿禰
長沼八幡宮の一の鳥居をくぐって左手に鎮座。創建不詳。延宝二年1674に再建されたことが分かっており,日本武神社と称した。明治四十二年1909五月三十一日に大字長沼にあった無格社七社を合祀し,太田神社と改称した。
左手に石像が6基保存されている。嘉永四年1851庚申供養塔。正徳四1714奉供養十九夜念佛爲二世安楽。安永七年1778十九夜供養。元文五歳1740庚申供養塔。安政六1859十九夜などが読める。
八幡宮鳥居手前の地蔵堂に寛文十一亥1671地蔵尊。その南に文化元年1804二十三夜塔。
祭日:11月18日
■以下の現在社が分からない。太田神社が合祀したのは「無格社」だが,下は「村社」なので確定できない。祭神の大日孁貴命は合うのだが。現在の太田神社の境内地は約200坪。大道泉はここからすぐ西隣りの鬼怒川沿いあたり。石尊神社がある。『下野神社沿革誌』は「本村には有名なる長沼郷社及ひ村社三社」としながら八幡宮のほかに村社四社を記録している。大道泉の大日靈貴神社,西大島の星宮神社,古山の厳島神社,砂ヶ原の天満宮で,日本武神社は記録されなかった。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・7丁
芳賀郡長沼村大字大道泉鎭座 村社 大日靈貴神社 祭神 大日靈貴命
建物本社二間四方 末社四社 氏子三十三戸
本社勸請年月不詳 社域二百九十九坪平坦の地に在り
八幡宮鳥居が見える 本殿
本殿 手水石
八幡宮鳥居右手に地蔵堂 地蔵尊 文化元年1804

 

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