星宮

星宮神社

[ほしのみや神社]

真岡市・中890

主祭神:盤筒男命・盤筒女命 境内社:三ヶ月社・稲荷社・天神社・猿田彦神社
寛永元年1624頃の創建と伝わる。正徳四年1714と明治三年1870に修復がなされている。
本殿左手に大正九年1920猿田彦命,八坂○○,手前は不明。
享保四亥歳1719十月十九夜供養佛,安永二癸巳天1773十九夜念佛・北中里村女人講中など。
平成六年本殿覆い屋新築記念碑。こうした由緒書きはとてもありがたい。鬼怒川沿いの水神神社にも触れてある。なお寛成と彫られているのは寛政をさす。
祭日:11月13日
本殿 石製
本殿覆い屋新築記念碑
右:八坂神社
猿田彦命
享保四年1719 北中里集落センター
水神

水神宮

[すいじんぐう]

真岡市・中1133

主祭神:水速女命
鬼怒川左岸の堤防から川の方に下りたゴルフ場に鎮座。鬼怒川の洪水に悩まされた北中里の村民が水の神水速女命を勧請して創建。創立年は不詳。ご覧のとおり素晴しいシチュエーションに鎮座。正式名称は「水神神社」だが,鳥居額にならって水神宮で掲載する。
森のように聳えているのは「北中里のえのき」,樹齢400年を超える。
祭日:4月15日
本殿
とちぎ名木百選
鬼怒川堤防から
2016/5/18撮影
神明

神明神社

[しんめい神社]

真岡市・中317

主祭神:大日孁貴命
水田脇に鎮座。探し回っていると石祠に看板がついているように見えたので畔づたいに近づくと「神明神社」の解説板があった。真岡市が立てたのだろう。孁の字が脱落しているのはいただけない。大きい+日の女神日孁[ひるめ]+尊称の貴[むち]なので貴は省いても孁はつけないといけない。もっとも本来はどの御祭神か分からなかったところを明治政府の意向で名付けられた神社なので,そのうち市役所がなおすだろう。
看板の解説はとてもおもしろい。全国で,こんな調査が多数行われて上に報告されていたのだろう。
祭日:旧暦9月21日
孁の字をつけましょう
注意しないと見つからない

雷神社

[らいじんしゃ]

真岡市・中1517

主祭神:別雷神 境内社:天満宮ほか
田の中の古墳に祀られている。創建等詳細不詳。昔は木製の本殿があったが,いまは小ぶりの石宮が祀られている。
300か400年ほどに見えるエノキとケヤキが聳えている。写真のとおりさえぎるもののない平地の盛土であるにもかかわらず,台風にも負けずよく持ちこたえてきたものだ。
本殿左手に文化四年1807の石塔。ほか二基は読めない。石宮は天満宮。
祭日:4月25日
昭和五十五年1980鉄鳥居 石製覆屋
本殿 右端:文化四年1807
かなりの古木
鎮座の杜
中村

中村小太郎神社

[なかむらこたろう神社]

真岡市・中2356

中村城主代々の御霊を祀る。初代が小太郎朝宗であったので「小太郎神社」と称した。詳しくは由緒看板写真を。
平成二十一年石鳥居。平成二十二年遷宮百年記念事業の記念碑。
祭日:月日
由緒 中村大明神・小太郎神社
中村大明神
となりの遍昭寺
稲荷

稲荷神社

[いなり神社]

真岡市・ 中491

主祭神:倉稲魂命
畑の中の杉の森に鎮座。昔から食初稲荷,子育稲荷と呼ばれて乳児養育の神として信仰を集める。看板を参照。ただし祭神のルビは食物のウケの古形ウカなので濁音でなく[うかのみたま],漢字はあまり気にせずよくこの順で使われるのだが,稲倉魂でなく逆で倉稲魂。稲や穀物などの食物の神霊。
石塔はなにも見つからなかった。
祭日:2月初午日
本殿
鎮座の杜
稲荷

稲荷神社

[いなり神社]

真岡市・中2538

主祭神:保食命
南南西にある中村南小学校の東側一帯を神域とした国神様,三谷の守護神を現在地の稲荷山に遷宮し,保食神を勧請して稲荷神社と称するようになった。通称に原稲荷。稲荷山とはいえ,削られて平らになっている。
番地では辿り着けず,見当違いの場所でお聞きしていたのでなかなか見つからなかった。三日目に国史堂でお尋ねすると,方角を教えてくださった。感謝。なにしろ目標は石宮だけなので,それでもずいぶん歩き回ったが,畑の道を上がってみると,遠くに小さな白っぽい石が見えて,向かうと石祠があった。玉垣がある。草が伸びていたので少し払って撮影。でもトゲがささって中途で。境内は南北に長い長方形で,10センチほどの高さのコンクリートで囲いがつけられており,130坪。
祭日:2月初午日 11月秋祭り
草に隠れていた 少し払ってみた
2016/5/24撮影 境内南端
境内入口 ネギ坊主の先にポチッと見えた! 中央奥に鎮座
国誌堂

国誌堂

[こくしどう]

真岡市・中

真岡の偉人・河野守弘翁が著した『下野国誌』(嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行)の版木が保存されていたお堂を国誌堂と呼ぶ。桜材の版木225枚は,一時浅草の千種房に渡り,明治二十六年1893長沼の有志に買い戻されて古山の観音堂に保管され,最後に国誌堂に保存された。現在は県の施設で大事に保管されている。このあたりの経緯は大道泉244の石尊神社のベンチ裏にある版木の写真つきの解説板に詳しい。二宮尊徳資料館でも関連資料が読める。
活字版は1968年に下野新聞社から刊行され,手入れをして再版が1989年に新組みで発行されている。
入口に「建造物国誌堂附下野国誌記徳の碑」が立っているが,個人のお宅の奥にあるので,やみくもに訪問することはできない。
「下野国誌記徳之碑」は国誌堂右手に大正四年1915十月に建てられていて,保管を決めた横松倫一郎氏が早稲田大学で学友であった関係で,撰文は大隈重信公による。篆額つまりいちばん上の題字も大隈公。写真三枚で読めると思う。
広壮な大邸宅 真岡市建立 下野国誌記徳之碑
記徳之碑解読用
邸内に天満宮 満が読める
使いの牛 天満宮から国誌堂

篠山雷電神社

[しのやまらいでん神社]

真岡市・寺内730

主祭神:大雷神
詳細不詳。昭和50年代に書かれた額が架かっている。境内は杉が生え,西に長く林が続いている。
石塔など文字の読めるものはなにもなかった。
富士

富士浅間神社

[ふじせんげん神社]

真岡市・若旅479

主祭神:木花開耶姫命
江戸期に若旅富士山古墳頂上に創建。承応元年1652改築と伝わる木製祠があった。平成十六年に再建するも,大震災で被災し,翌平成二十四年に石宮を建立した。平地に一の鳥居,頂上に二の鳥居。
子どもが富士山の代わりに登ったらしい。7歳から9歳の三年間,6月11日から白衣をまとい精進潔斎し例祭日に参拝する子精進を行う時代があった。子どもの健やかな生長にかかわる社である。
祭日:旧暦6月17日
一の鳥居
平成二十四年改築工事記念碑
二の鳥居
一の鳥居を見下ろす
古墳 鳥居から
熊野

熊野神社

[くまの神社]

真岡市・若旅621

主祭神:伊弉冊命・事解之男神・速玉男命 境内社:八坂神社・薬師堂
弘仁十四年823の創建。神殿を造営したことがあったが,三度風雨に倒壊したため神慮に逆らってはいけないというので,創建時にならい幣帛を捧げて社壇を設けるのみにて,社殿を築くことなく現在に至る。
左手の石段を上ると小ぶりな覆屋がある。最初はこれは八坂神社かと思ったが,よく見ると紙垂のみで木製祠も石祠もない。この背後が一段高くなっていて火を焚いた跡がある。つまり頂上が聖地で覆屋は幣帛を捧げるために建てられている。本殿は言い伝え通り造られていないのである。
境内入り口に若旅公民館。
祭日:9月29日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 熊野三位大権現 若狭大夫
左手の石段 覆屋 高地にある
覆屋の背後 一段高くなっている ここが聖地
右背後が高くなっている 紙垂3つ ほかには何もない
薬師堂 薬師堂
薬師堂内 右手の階段が薬師堂へ
覆屋が見える 明治二年1869二十三夜

 

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