中村八幡宮

[なむらはちまんぐう]

栃木県真岡市中556

祭神:譽田別命
創建年には白鳳四年676説と永承年間1046~53説がある。
『下野国誌』と『下野神社沿革誌』両書に白鳳四年諸国に八幡宮を勧請した「其一社」の記述がある。郷土の偉人河野守弘は『下野国誌』でこの説について「たしかにはしりがたし」としている。一方,「中村八幡宮古記之写」に永承年間源義家が安倍氏討伐の途次,敵勢強大のため常陸,下野,上野に八幡宮を勧請して戦勝を祈願したとある。これを「八八幡」と呼び,中村八幡は「其一社」ということで,永承年間〜天喜元年1046~53頃に祀られていたことはまちがいない。いずれにしろ時の彼方からつづく古社である。八八幡は[やはちまん]で弓矢に通ずる。
領主中村宗村は頼朝の奥州討伐に従軍する際八幡宮に戦勝祈願をして軍功をあげ,奥州伊達郡の地頭に任ぜられる。仙台伊達藩の祖である。そのため建武(南朝)三年1336,貞治(北朝)三年1364,宝徳三年1451,文明八年1476の改修造替はすべて伊達家が行っている。江戸初期の元和年間1615~24に領主水谷氏により社領を没収され一時衰退するが,その後伊達綱村の援助で天和二年1682には社殿を建て替え,このときの本殿が屋根は葺替えられているが現行のものである。元文元年1736に五代藩主伊達吉村が神馬を献上し,流鏑馬が始めて行われた。県指定文化財に伊達綱村夫人自筆願文ほか。
一の鳥居から本殿まで約570メートル! ここを歩いていくうちに心身おのずと静まってくる。
例祭:7月最終日曜日 夏越祭・茅の輪くぐり/9月第三日曜日 流鏑馬・太々神楽・大神輿渡御
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 正一位 八幡宮 中村 中里求馬
*『下野国誌』嘉永元年1848脱稿 嘉永三年1850刊行 巻四-p.3
芳賀郡中村にあり,圭田五石神主中里志摩と云,當社は天武天皇の白鳳四年,諸国に八幡宮を勸請し給ふ,其一社なりと,縁起に記したれど,慥には志りがたし…中略…さて當社は中村の庄十二郷の鎮守にて,毎歳八月十五日流鏑馬の神事あり…(つづいて源頼朝社領寄附簡礼之圖の写しが挿入され「裏書に,宮司一人舞姫八人神樂男六人とならべて書たり」とある。さらに2ページにわたって宝物の記述がある)
*『下野掌覧』万延元年1860 芳賀郡之部
正一位 八幡宮 中村鎮座 祭主中里氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・5丁
芳賀郡中村大字南中字宮本鎭座 郷社 八幡宮 祭神 譽田別命
祭日陰暦八月十五日 建物本社間口三間奥行二間 幣殿間口二間奥行三間 拜殿間口七間半奥行三間半 雨覆四間四方  末社二十七社 華表二基 石燈籠二基 氏子五百戸 社司中里彦九郎仝住所 社掌柳友三郎仝村大字柳林住
本社は天武天皇の御宇白鳳四年勅令に依り諸國に八幡宮を勸請せし其一社なりと傳ふ 後源頼義仝義家奥州追討の時本社に戦勝を祈りし一社にして鎌倉時代1192〜1333右大将の時中村城主中村小太郎朝宗本社を崇敬し社殿を改造し社領を寄附し以て本城守護の神と稱す 後中村常陸介宗村奥州伊達へ移封せらるゝと雖も社殿の造修維新の際まで怠らすと云ふ 慶安年間1648~52徳川将軍より若干の朱印地を下賜せられ仝將軍代々崇敬を加へり 殊に往古より十二郷の惣鎭守にして明治六年1873五月郷社に列せらる 神主には中里氏(中里氏は地方の舊家にて頗る名族なり)を置き往昔より代々奉仕せしむ 社域五千三百七十二坪にして古杉老檜森々と繁茂し神寂ひて頗る雅致あり 社寶には源頼朝社領寄附の簡礼,伊達綱村の奉納せる盛重の刀一口書一通を藏せり
明治42年1909一の鳥居 長い参道 二の鳥居
両部鳥居 さらに長い参道 少し近づいてきた
昭和46年1971三の鳥居 社務所 巨大なケヤキが見える
由緒略記 社叢 左手
昭和60年記念事業碑 大きな拝殿
拝殿額
拝殿内 奉納板絵
明治十四年1881奉納 明治二十六年1893奉納 明治三十年1897奉納
年代不明
本殿裏手に 優美な本殿 本殿
本殿左側面 嘉永三年1850石燈籠 昭和28年1953天水鉢
神楽殿 神楽殿
昭和十四年1939石燈籠 拝殿から 社務所
参道途中 一の鳥居下

【境内社・旗掛けの木】
本殿左手に多数の境内社が覆屋に祀られている。写真整理中に混乱してくるほどである。御神木となりは古神札納所の「古札神社」の木札がついている。「事勝神社」も近津・千勝とは表記が異なる。木札通りに記述する。
写真は載せなかったが9枚目の稲荷神社と同型の木製祠が16ほど。
浅間は新しいようだ。それ以外の境内社はすべて覆屋に祀られている。とても稀なことで,栃木県では一般的に石宮や木製祠が覆屋なしで祀られる。
判明している境内社:稲荷神社・天満宮・太玉神社・鹿島神社・手置帆負神社・若宮八幡宮・旗神社・母宮社・日光新宮・日光本宮・日光滝尾宮・熊野三社・加茂神社・春日神社・一の宮・大臣神社・五所大社・竃戸神社・愛宕神社・三所神社・事勝神社・随身神社・八坂神社・水神社・御嶽神社・三日月社・水神神社・三拾番神神社
13枚目の大きめの境内社がおそらく若宮八幡宮で,2015関東豪雨で倒壊し,2019秋に真岡工業高校建築科の生徒の尽力で再建されることになっている。
なお明治期の絵に造巧社,頼朝社が描かれている。
古札神社 随身神社
左:事勝神社 右:旗神社 事勝神社・三所神社 旗掛けの木
旗神社内に保存 樹齢千年程の大杉だった 左の覆屋に6社
稲荷神社 天満宮 左手にも一社あった
大きめの境内社 すべて境内社
左の写真の右の内部 多数の倒壊社
竃戸神社
10社 八坂神社 浅間神社
【御神木の825年超のケヤキ】
拝殿右手に聳えている 左は古札神社
近づくと巨大だ
旺盛に新芽を吹いている 途中の瘤
【中村大塚古墳】
境内の数か所に「古墳」の案内板が立てられている。本殿左手裏から北に歩くと右手に小高い盛土があり覆屋が頂上に建てられている。石宮が計5社あったが,ひとつは倒壊してしまった。この覆屋を背にして八幡宮を見ると鳥居まで一直線になっている。南からこの古墳に向かって参道をつくり,古墳手前に社殿を築いたのだろう。
明治四十一年1908奉納
覆屋を背に八幡宮 覆屋西脇から
愛宕

愛宕神社・満足世神社

[あたご神社・みだらせ神社]

真岡市・中565

主祭神:軻遇突智命
八幡宮の北の道路沿いに「やぶさめの里」の看板があり,脇の薮を入ると見つかる。入口に「御手洗池(みだらせ)」がいまでも水を湛えており中村八幡宮の立てた解説板がある。境内社かもしれない。「満足世神社」の額が掛かっているが,解説看板は「愛宕神社」である。覆屋内には中央に「龍神社」,左手に「水神神社」,右に「愛宕神社」の木製祠が祀られ,地べたには石宮が左右に二基。
八幡宮に祈願する前にこの池で禊をした。また,雨乞いの祈祷をする際に,池の水を汲んで八幡宮にお供えした。水に関わる水神と龍神,合わせて火伏せの神が祀られた。
満足世は[みだらせ]の音を宛てた,つまり御手洗池から名付けられた。推定:正式名称は愛宕神社,通称みだらせ神社。
満足世神社 少し拡大・色補正
左手 右手 右奥の森は大前神社

 

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