稲荷神社

[いなり神社]

栃木県芳賀郡・茂木町馬門976 まかど

祭神:倉稲魂命・保食神 境内社:琴平神社
大同二年807冬にもかかわらず桃李の花が咲いたことを人々は心配した。そこで現在の池ノ入の西北にある剣ヶ峰に保食神ウケモチノカミを祀ったことを創始とする。その後,源義家が奥羽征伐に行く途中,道険しく進軍に難航し池ノ入あたりに露営する。翌朝濃霧で視界悪く義家が神だのみをしたところ北の方角で白狐が三度吠え,霧が晴れて北行可能となる。凱旋の帰途,神徳に感謝し剣ヶ峰に小祠を建て,稲荷明神を祀った。後年剣ヶ峰から現在地に二神を遷座し,稲荷大明神と称した。剣ヶ峰は不明だがす北東の水田の先に見える低い連山のどれかだろう。
道路開通によって参道が分断されたため一の鳥居と二の鳥居は123号線を挟んでいる。拝殿はすくなくとも昭和39年1964頃には萱葺だったが,現在は独特の勾配をもつ大屋根で人目を引く。権現造木羽葺きの本殿は武骨ながら精緻といった迫力のある彫刻で飾られていて一見の価値がある。
平成十一年1999一の鳥居。明治二十七年1894二の鳥居。大正三年1914石燈籠。大正十年1921道路改修之記紀念碑。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 稲荷大明神 馬門村 茂木 小松右京
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・32丁
芳賀郡中川村大字馬門字堀の内鎭座 村社 稻荷神社 祭神 稻倉魂命 建物本社四尺四方 拜殿間口三間奥行二間 華表二基 氏子八十九戸
本社創立不詳 社域六百十四坪耕田の中に鎭し境内には老杉亭々と高く聳て風致幽静なり 本殿は宏壯ならすと雖も優美にして高潔なり
拝殿額
稲荷大明神
本殿 狐が見える
大きな燈籠
狛犬 大きな土台
一の鳥居
菅原神社

菅原神社

[すがわら神社]

栃木県芳賀郡・茂木町飯野2261

祭神:菅原道真公
堂々たる両部鳥居に「天満宮」の大きな額。維新に際して天神社とか天満神社,菅原神社などに改称し,国家統制から自由になって天満宮に戻す社もあり,戻さない場合もあり,社号にこだわることはない。拝殿額は「菅原天満宮」である。平成22年屋根改修寄附芳名記念碑には「菅原神社」。
平成十四年2002に道真公生誕1100年大祭を記念して御影石の参道と狛犬が奉納された。
拝殿右手に明治三十五年1902道真の漢詩「去年今夜待清涼秋思詩篇獨斷腸恩賜御衣今在此捧持毎日拜餘香」碑。
本殿左手に多数の石塔が保存されている。正徳三年1713,享保十六年1731,寛保二年1742,延享二年1745,宝暦十年1760,寛政四年1792など300年ほど前の文字が読める。
左手に独立しているのは「月読尊」,右端は「天照皇大神」
明和二年1765 平成10年「飯野小学校ここにありき」碑。学制が敷かれる前は境内の学舎で教育を行ってきた。明治七年1874に至徳舎として天満宮境内に創立,平成10年に中川小学校に併合され廃校となる。
例祭:11月23日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・32丁
芳賀郡中川村大字飯野字天包鎭座 村社 菅原神社 祭神 菅原道眞命 建物本社間口三尺三寸奥行三尺六方 拜殿間口三間奥行九尺 華表一基 氏子百十七戸 社掌小幡昌訓
本社創立不詳 社域四百四十四坪清洒の地にあり
1100年大祭記念碑
拝殿内
本殿
去年今夜碑
石塔多数
校門
北から
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県芳賀郡・茂木町飯野725

祭神:倉稲魂命
123号線,菅原神社入口に鎭座。詳細不詳。平成二十三年に社殿を改修している。 明治十二年1879塩竃神社。明治十二年1879愛宕神社。明治四十五年1912天照皇大神。
付近に塩竃子安地蔵尊(鬼門地蔵尊)
左から塩竃,愛宕,天照皇大神 塩竃子安地蔵尊

 

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