近津神社

[ちかつ神社]

茂木町・坂井140 さかのい

主祭神:天児屋根命・布都努志命・武甕槌命 境内社:星宮神社
茂木桔梗城の坤(南西)守護として建久七年1196創建。明治二十九年1896再建,平成十二年2000新築。同時に坂井字古屋の星宮神社を合祀。
茂木駅の西の山中に鎭座。坂井には字高山に秋葉神社,御岳神社,字愛宕台に愛宕神社が記録されている。
祭日:11月12日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 星宮大明神 板野井村 吉祥院 <板は坂
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・34丁
芳賀郡須藤村大字坂井字假宿 村社 近津神社 祭神 天津兒屋根命
建物本社一間二尺四方 拜殿間口三間奥行二間 社務所一棟 華表二基 石燈籠二基 氏子八十六戸
本社創立不詳 社域七百廿五坪高燥の地に鎭し衆庶崇信の社なり 私有財産山林八反二畝三歩を有す
 

星宮神社

[ほしのみや神社]

茂木町・坂井1506

主祭神:磐裂神・根裂神
平成12年2000年に近津神社に合祀された。旧鎮座地に「此処に星宮神社ありき」と刻まれた石標が建てられている。
創建不詳。元禄元年1688領主篤信より社地の寄進を受け再建。星宮大権現と称した。13歳の子供の厄除け神として信仰された。明治二十六年1893焼失したが二十八年に再建との記録が残っている。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 星宮大明神 板野井村 吉祥院

 

愛宕神社

[あたご神社]

茂木町・坂井183 もてぎ

主祭神:火産霊神
創建不詳。昭和61年1986石段新築,平成2年1990拝殿改築,平成10年1998石鳥居新築。
祭日:11月23日
336 699

愛宕神社

[あたご神社]

茂木町・北高岡1893

主祭神:火産霊神
創建不詳。天矢場鎭守。
(『栃木県神社誌』昭和39年2月11日発行ではp.328とp.333に重複して掲載されている。) 祭日:11月14日

八瓶神社

[やつがめ神社]

茂木町・福手698

主祭神:素盞嗚命
大永二年1522創建。寛文十年1670再建。神木七本杉。
祭日:9月第二日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・24丁
芳賀郡逆川村大字福手字明神下鎭座 村社 八瓶神社 祭神 素盞嗚命 祭日陰暦九月十九日
建物本社間口五尺奥行六尺 拜殿間口三間奥行二間 華表一基 氏子二十三戸
本社は大永二年1522七月十五日の創立にして寛文十年1670十月二十九日の再建なり。社域二百七十九坪高燥の地にして境内には古杉亭々と高く聳ひ中にも神木と稱せし七本杉一株七本は高く天を衝き枝葉四方に亘り希世の大木にて亦珍しきと云ふへし

八幡宮

[はちまんぐう]

茂木町・飯1356

主祭神:譽田別命 境内社:淡島神社・稲荷神社
寛永二年1625創建。明治四十五年1912幣殿拝殿改築。
祭日:旧暦8月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
芳賀郡 八幡宮 飯村 大衆閣
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・23丁
芳賀郡逆川村大字飯字正神塲鎭座 村社 八幡宮 祭神 譽田別命 祭日陰暦八月十五日
建物本社一間四方 拜殿間口三間奥行二間 幣殿間口八尺四方 華表二基 末社二社 氏子八十戸惣代三員
本社は寛政二年1790の創立にして領主飯村備前守則宗(後胤今尚存す)の勸請なり 降りて徳川将軍家光より五石の社領を附せられ累代崇敬あり 社域一千四百七十一坪高燥の地に古杉老樹蓊欝と茂り幽邃にして淸洒なり

不明2社:茂木町・飯390 茂木町・飯1754

富士浅間神社

[ふじせんげん神社]

茂木町・小山

100年以上前に下記の『下野神社沿革誌』に記録されたが,現在の該当社が分からない。小山・大平・木幡の地名と富士山から判断すると「芳賀富士」でいいだろう。芳賀富士中腹には熊野神社(益子町大平)が鎮座するが,境内社として記録されている浅間神社だろうか。間口が三間もある拝殿があったので,どこかに残っていそうだが,ご存じの方,ぜひ教えてください。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・25丁
芳賀郡中川村大字小山字小摑山鎭座 無格社 富士浅間神社 祭神 木花開耶姫命 祭日六月十七日 建物本社間口一尺奥行二尺 華表一基 氏子五十戸惣代五員
本社創立遼遠にして不詳なれとも當時の地頭小山小太郎の勸請なり 往時は小山大平木幡三村の崇敬社なりしか萬延元年1860中小山村と大平村と座次を爭へ公儀裁判になりしも遂に和解す 後木幡村は自村に御分霊を遷座し大平小山の兩村は各別に祭典を執行することとなりぬ 社域百二十坪大字の西北隅大平の境線に接する高山にして一名富士山と云ひ紅葉観月の勝地にして又眺望絶佳なり


皇大神宮

[こうたいじんぐう]

茂木町・

主祭神:天照皇大神
小山、飯、深沢、きばた、北高岡、福手、天子のどこかに鎮座、まだ発見できない。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・26丁
芳賀郡逆川村大字堀の内臺鎭座 村社 皇大神宮 祭神 天照皇大神 祭日十月十七日 建物本社間口二尺奥行三尺 拜殿間口三間奥行二間 華表一基 信徒五十戸惣代河原八十郎外二員 社掌風山廣雄 社有財産田畑山林二反一畝十七歩金三十五圓
本社創立年月不詳 明治十二年1879四月本社再建す 此建築に付信徒惣代河原八十郎外仝瀧三郎仝忠治添田平蔵石塚瀧蔵仝浅治添田房吉等大に功績あり 仝十六年三月祝融に罹り本社拜殿灰燼に帰す 即時仮殿を建築す 仝三十五年二月二十日拜殿再築す 此再築にも信徒惣代は勿論其他力を尽したる者は山口金吾河原庄三郎添田卯之吉石塚浅治添田豊吉なり 社域五十七坪高燥の地にして若松森々として生へ繁り松風颯として清氣頗る爽かなり


二荒山神社

[ふたあらさん神社]

茂木町・深沢2331未確認

主祭神:味耜高彦根命 配神:大己貴命・田心姫命
明治五年1872破月七日,日光二荒山神社より御分霊を勧請して創建。昭和五十年1975改築。
長崎入りの山頂上に神明造亜鉛葺の木製祠が鎮座。
祭日:8月7日

星宮神社

[ほしのみや神社]

茂木町・深沢165

主祭神:磐裂命・根裂命・経津主命
明治時代の社掌は『下野神社沿革誌』の著者である風山廣雄が務めていた。
祭日:10月28日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・25丁
芳賀郡逆川村大字深澤字星宮鎭座 無格社 星宮神社 祭神 磐裂命 根裂命 經津主命 祭日陰暦九月十九日
建物本社間口一間四方 拜殿間口三間奥行三間 華表一基 盥漱盤舎一棟 氏子三十五戸惣代五員 社掌風山廣雄
本社は文曆元年1234八月十五日の創立にして領主淨法寺丹波守光政の勸請にて大和國富田壯より遷座す 慶長十五年1610二月十五日本社再建す 寛文十二年1672中地頭黒羽城主大關氏より祭資→祠料として畑二反一畝十八歩の餘地を寄附せられ衆庶の信仰厚く参拜者の迹を絶す 殊に宮殿宏壯を極め地方著名の社なり、社域一千十九坪高燥の地にして雨巻山の東麓にあり 前は一帯の山脚及ひ滔々たる逆川の水源を掬すへし 北に神池ありて水深く清冽にして中に無數の鰻○群をなす 之れ祈願者か報賽の爲めに之を放捧する所のものにして其崇敬の厚きこと今も尚知るへきなり、境内には老樹蓊蔚と繁茂し景超頗る幽邃にして小仙境に在るか如し 夏時又冷風颯として衣を吹徹し寒冷肌に迫るを覺ひり 故に脚病の患者は此境に遊はゝ藥を須すして快癒の功ありと云へり

鹿島神社

[かしま神社]

茂木町・深沢1643

主祭神:武甕槌命
阿波島神社
大正十四年1925拝殿・幣殿を改築。
祭日:11月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻六・23丁
芳賀郡 逆川村 大字深澤字宮久保鎭座 村社 鹿島神社 祭神 武甕槌命 祭日陰暦九月二十九日 建物本社間口一間奥行九尺 拜殿間口三間奥行二間 幣殿九尺四方 華表一基 瓦斯燈籠二基 氏子七十六戸惣代三員
本社創立遼遠にして不詳と雖も往時徳川将軍より社領五石を附せられ別當深澤寺及ひ和光院を置き常に奉仕せしむ 社域九百六十坪を有し其中央に本社拜殿末社等の社宇甍を連ね境地亦幽邃なり



 

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