御霊

御霊神社

[ごりょう神社]

那珂川町・谷田216

旧地名:那須郡・小川町大字谷田
主祭神:大国主命 境内社:天満宮
応仁元年1467九月の創建。江戸時代には伍霊大明神と称したが維新に際し御霊神社に改称した。『鹿沼聞書・下野神名帳』では「伍両」と記録された。したがって『栃木県神社誌』平成18年版では「みたま」とルビがつけられたが再考すべきである。改称の時期も誤って記されている。
大正二年1913四月に社殿を新築。
294号線から高瀬観光ヤナに向かうと那珂川を正面にして左手に鳥居が見える。右に行けばヤナがあって季節にはアユ料理が楽しめる。とても気持ちの良いところ。
鳥居が二基並んでいる。左は境内社の天満宮鳥居,右が御霊神社鳥居。
例祭:10月30日 天満宮例祭:2月25日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 伍両大明神 谷田 薬師寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻26丁
那須郡七合村大字谷田鎭座 村社 御靈神社 祭神 國常立命 建物本社間口三尺奥行二尺八寸 末社三社 氏子三十三戸
本社勸請は應仁元年1467九月にして一村の鎭守神たり 社域二百九坪字森脇に在り
御霊神社額 御霊神社
朱塗の本殿
灯明の台
ロウソクを立てる 那珂川脇 那珂川
鳥居が左右に 左に天満宮鳥居 天満宮
天満宮 本殿
平成19年,愛宕山も 平成6年新築記念
三連右手に星宮神社 星宮神社 不明
四連の覆屋 四柱祀られている
ヤナ 魚族萬霊供養塔
白久

白久神社

[しらく神社]

那珂川町・白久639

旧地名:那須郡・小川町大字白久字大久保
主祭神:伊弉諾尊・伊弉冊尊・大国主命・少彦名命 配神:大彦命・品陀別命・櫛御気野命・木花咲耶姫命・軻遇突智命・市杵嶋姫命
境内社:八雲神社・稲荷神社・八山神社(白山比咩)・青流神社(罔象女神)・北野神社 境外社:加茂神社・大山神社・足尾山神社
延暦三年784九月創建。江戸時代には十二社大明神と称し,明治維新で十二所神社と改称し,現在の社号白久神社と改称したのは100年ほど前の大正元年1912のことであった。このとき同字の佐々木神社,八幡神社,熊野神社,愛宕神社,富士神社,厳島神社を合祀。
仁安1166~69頃に那須義資崇敬し,永禄1558~70頃に烏山城主那須資胤が本殿を修理。寛文十二年1672烏山城主板倉重矩が祭祀田を奉納した記録が宝物として保存されている。
明和四年1767領主大久保佐度守忠郷が城の北方守護として再建した流造木羽葺本殿が現行のもの,であるかどうか分からない(看板を読んでから分からなくなった)。
字森乃前に鎮座したが大正二年1913境内地48坪の現在地に遷宮。(『角川地名大辞典』に小字森前と東原は五十音順でなく並んで記載されている)
48坪よりはるかに広いので借地か。拝殿は新しく見える。
那珂川町の南端で,烏山との境界。
例祭:10月30日 八雲神社例祭:7月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 十二社大明神 白久 明光院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻27丁
那須郡七合村大字白久鎭座 村社 十二所神社 祭神 天神七代地神五代之大神 建物本社四尺四方 末社一社 氏子四十二戸
本社創建不詳 社域百四十一坪字東原に在り
鮮やかな両部鳥居
一段高いところに 昭和61年1986石燈籠
本殿 神輿泰安殿
シダレ桜二本奉納記念碑 ヒガン桜二本奉納記念碑
昭和59年1984鳥居奉納 小川が流れている
白久神社入口 昭和55年1980の記念碑


*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻25-26丁
●七合村[ななごう]
本村は大桶,谷浅見,中山,瀧田,興野,白久及ひ谷田の舊七村を合せて一の自治區を造りしものにて其幅員東西廿八町南北一里十四町あり 地勢挾長にして西は山脈を以て限り東は那珂川に瀕し興野は那珂川の東にあり而して山岳又其東に擁し自ら一區域をなせり 村民は何れも農耕に従事し頗る黽勉の風あり
古來の沿革に付ては往時は共に鳥山藩の領邑たりしか維新后更に栃木縣に属し第三大區五小區に編入せられ次て一戸長役塲の支配に歸し后町村制に當り今の一村とはなれり
本村には村社八社及ひ戸數五百余戸人口三千九百大十余人を有せり

 

 那珂川町神社目次 
 ページトップ