春日

春日神社

[かすが神社]

那珂川町・小川3792

旧地名:那須郡・小川町大字小川字梅曽
主祭神:天津兒屋根命
神護景雲年間767~770の創建。
ふるさとの森公園内に鎮座。とても気持ちのいいところで,杉木立の中に鳥居がひっそりとまぎれている。太めの石鳥居は大正六年1917奉納。昭和十四年1939神前石段奉納記念碑。平成七年1995由緒石碑。
伊勢神宮参拝記念碑に春日神社ともう一社刻まれているが読めない。琴平神社?
旗竿は少し離れた那須官衙跡に立っている。
となりに那珂川町なす風土記の丘資料館。左手にふれあいの舎[いえ]という名の蕎麦屋さん。その先に復元民家。
例祭:10月29日
江戸末期の資料に梅曽の鹿嶋大明神が記録されている。
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
鹿嶋大明神 梅曽村鎮座 祭主佐藤氏ナリ
春日神社標識板 大正六年鳥居
落ち着いたたたずまい
由緒
伊勢神宮参拝記念 平成十七年石燈籠
境内社も色統一
神前石段奉納 杉に紛れた鳥居
南隣りに復元民家と蕎麦屋
ざぜん草の生える湿地 人麻呂の山ちさの歌
立派なトイレ 駐車場から
そのすぐ北に「那須官衛遺跡」がある。『栃木県神社誌』昭和39年版には「往時を偲ぶ大和古印,屋根瓦などが付近の田畑より散見される」とあり,その頃はまだ梅曽廃寺跡とみなされていた。寺院ではなく律令制下の郡衙[ぐんが]のあった重要な遺跡であることが明らかになってくるのは昭和42年1967の発掘調査以降のことである。
解説看板ではまだ「正倉跡」と書かれたままになっている。東西600m南北200mほどで溝で4区画に分けられていた。郡事務所である郡庁,居館,倉庫などがあった。北となりに銅印基壇。ここから4キロ北には那須国造碑がある。
徒歩2分ほど北東に「古代文化のある里小川」の駐車場が完備していて,「梅曽しだれ桜」の根もとに石宮が祀られている。
大日堂に向かって285号線を200mほど行った左手に巨大な石碑が建てられている。大塚稲荷神社の鎮座する「駒形大塚古墳上」より何かの事情で平成17年に移設された昭和55年1980建立の「天子禄受碑」。
那須官衛跡 石塔は昭和45年1970建立
年代なしの石柱 春日神社旗竿が見える
春日神社旗竿 北の方角 銅印基壇
銅印出土基坦跡 官衙跡方向
町営駐車場 石宮
 
梅曽しだれ桜
天子禄受碑
薬利

薬利神社

[くずり神社]

那珂川町・薬利992

旧地名:那須郡・小川町大字薬利
主祭神:大己貴命・少彦名命・軻遇突智命・志志那都比古命・那都比売命
昭和33年1958に薬利にあった四社を愛宕神社境内に合祀して薬利神社とした。
合祀した社は以下のとおり:  愛宕神社:元禄八年1695当地に創建
 温泉神社:薬利字宮久保 創建不詳
 温泉神社:薬利字明地平 延慶元年1308創建
 温泉神社:薬利字庭渡 寛永年間1624~44創建
県道52号線沿いに薬利神社と刻まれた昭和三十年1955旗杭,奥の山裾に見える石鳥居は大正十年1921奉納。
拝殿左手に石段のある境内社。右手には石宮。
例祭:10月29日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡  湯泉大明神 薬利 東曜寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻37丁
那須郡大字大字薬利鎭座 村社 溫泉神社 祭神 大己貴命 建物本社間口三尺五寸奥行二尺五寸 拜殿間口二間奥行九尺 末社一社 氏子三十一戸
本社は湯本村延喜式内温泉神社を遷祀す 社域五百十坪字宮久保に在り
整備された石段 美しい石段
薬利神社と書かれていた 本殿
左手の境内社
右手の境内社
旗杭から
八幡宮

八幡宮

[八幡宮]

那珂川町・芳井131

旧地名:那須郡・小川町大字吉井131
主祭神:譽田別命
天文五年1536,3キロほど北東の福原八幡宮(大田原市福原1125,那須与一の墓の850m西)より御分霊を勧請して創建と伝わる。福原と三輪の神田城との関係で1.8km東に温泉神社が創建されている。
県道167号線から田園に石鳥居が見える。
社殿右手に朱色の石祠が二基,となりに昭和十年1935四月三日神武天皇祭記念碑。
境内東端に享保十一年1726女人念仏供養,馬頭尊など五基。
例祭:10月30日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻36丁
那須郡大字芳井鎭座 村社 八幡宮 祭神 譽田別命 建物本社間口一尺九寸奥行一尺六寸 拜殿二間四方 末社二社 氏子十一戸
本社勸請不詳 社域五百五十四坪字八幡前に在り
拝殿前
八幡宮額 本殿
本殿
昭和十年神武天皇祭
南に権津川が流れる
目印の旗竿
浄法寺


以下は下調べ中で写真まだです。しばらくお待ちください。
浄法寺には温泉神社の他に『栃木県神社誌』昭和39年版に,つぎの三社が載っている。市町村合併後の平成9年新版には非掲載。住所表示も変更されていてなかなか見つからない。浄法寺の小字に新屋敷と富士山があったことは分かっている。吉田の字富士山とは別である。昭和39年頃の氏子数が70前後なので現地でお尋ねすれは分かるだろうと考えたがあまかった。
 字新屋敷792に御靈神社,字富士山127に浅間神社,浄法寺1207に加茂神社。
富士山をご存じの方はなかなか見つからず,七人の方は聞いたことがないとのこと。大日堂付近でお会いしたお婆さんが覚えていらした。薬利の小学校手前の高い山の山頂に小さい祠があったという。このあたりの山は入山禁止で罰金一万円と書かれた札が立てられている。もっとも草ぼうぼうで入る隙もないが。御靈神社,加茂神社もどなたもご存じでなかった。一軒のお宅でわざわざ帳面を出してきてお見せくださったのは,村の不動産目録で御霊と加茂は上記住所と同じで記録されていた。しかし鎮座地は判明せず。加茂は那珂川河川敷近くにあったかもしれないが今はないだろうとのこと。
御靈

御靈神社

[ごりょう神社]

那珂川町・浄法寺792

旧地名:那須郡・小川町大字浄法寺字新屋敷792
主祭神:源平戦の英霊 配神:素盞嗚命・倉稲魂命
那須与一が殺戮した平氏の軍兵の霊を鎮めるために創建。
昭和十年1935八坂神社,稲荷神社を合祀した際,御靈神社と並べて祀るため横長の覆屋を造営。
間口二間奥行九尺入母屋造トタン葺。境内地56坪。氏子73戸。
小字名も不明で56坪なのでどこかのほんの一画。まるで分からない。
例祭:6月15日
浅間

浅間神社

[せんげん神社]

那珂川町・浄法寺127

旧地名:那須郡・小川町大字浄法寺字富士山127
主祭神:木花開耶姫命
富士山古墳群とは別。大日堂近くで石に掛けて休んでいたお婆さんお二人が教えてくれたのが写真の山。天辺に小さな祠があったという。大日堂から西に入って坂を下りかけたところから。なるほど富士に見立ててもいいかもしれない。山の入口らしき石段があったが,先は草木に埋もれていて,頂上に登る勇気はない。山の向こうは薬利。
建久三年1192創建説が伝わる。寛永五年1628再建。その後落雷により森と社殿を焼失。古代石間口一尺五寸奥行二尺の石宮を再建。文字が刻まれていたという。境内地921坪。氏子73戸。
例祭:7月1日
加茂

加茂神社

[かも神社]

那珂川町・浄法寺1207

旧地名:那須郡・小川町大字浄法寺1207
主祭神:別雷神
天平三年731水無月創建。浄法寺南東部か。
本殿:間口一間奥行一間神明造 拝殿:一坪少々 氏子68戸。
例祭:3月15日

 

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