鷲子山上神社

[とりのこさんしょう神社]

那須郡那珂川町矢又1948

祭神:天日鷲amenohiwashi命・大己貴oonamuchi命・少彦名sukunahikona命
山上の上を省いて鷲子山神社と呼び習わされるが正式には鷲子torinoko山上sanshou神社。境内が茨城県常陸大宮市と栃木県那珂川町のふたつの県にまたがる神社として有名。
那須南の守護神,茨城北部の守護神である。
高龗okamiji神社という特殊名称の小さい社ばかり見てきたので,とても大きな神社に見える。こんな高い山の上によくぞ造ったと思う。
栃木県外の方にひとこと。那須郡に属しますが,殺生石で有名な那須温泉からは相当離れていて茨城県境です。
烏山の北東,293号線からかなり入った標高470mの鷲子山の頂に鎮座。 創建は大同二年807と相当古い。詳しくは境内の看板写真を。引き写すと間違いの元ですから。
ここは幸福のフクロウ神社としても有名。祭神の天日鷲命[あめのひわしのみこと]が鳥に縁があること,さらに福徳の大己貴命にちなみ「福老」「不苦労」の音にかけてフクロウが選ばれた。山門から本殿への石段も96段で往復296fukuro。
金色の巨大なフクロウの奥がもともとの本殿で現在は本宮と呼ばれている。現在の本殿の地には羽黒神社があった。本殿裏手に背中合わせに羽黒社が遷されている。
鳥居の右手に600年を超えるといわれる榧kayaの古木が生きのびている。
立派な楼門は文化十二年1815再建,神仏混交時代の安養閣。左右に左大臣,右大臣,裏側に享保六年1721の仁王像。
享和三年1803の常燈明。文化九年1812石燈籠。元禄六年1693の石灯籠。
嘉永四年1851辛亥八月の山中七奇碑。
本殿左手,千年杉の下に夜祭りの三本杉神社,元禄六年1693の石灯籠。本殿裏手に古峰,雷電,風神の三社,大国神社,羽黒神社。
さらに裏手に両部鳥居が見え,稲荷大明神の旗が並んでいるのは奥山稲荷神社。手前に疱瘡,竃,田野神神社が並んでいる。
神仏分離で埋められた六地蔵が平成になって掘り出されて七基並んでいる。
本殿:三間社流造・銅版葺
本宮
鳥居の上方に金色のフクロウ像。その奥が本宮。境内社に光丸山神社と天満宮。
由緒はこちらを。http://www.torinokosan.com/yuisho.htm
つぎのイラストマップはすぐれものです。http://www.torinokosan.com/keidaimap.htm
大山祇神社
安養閣
仁王像吽形・享保六年1721 仁王像阿形 水掛け不苦労
フクロウの石段 嘉永四年1851 元禄六年1693石燈籠
千年杉 本殿
拝殿正面からは撮影できない
本殿と六地蔵 三本杉神社
大黒 大國神社
元禄六年1693
本殿から東へ 不明の社 奥山稲荷神社鳥居
亀井戸 本宮鳥居
鷲子山上本宮神社
光丸山神社 天満宮
鷲子山上神社と鷲子山上本宮神社の関係は複雑でよく分からない。鷲子山には峰が三つあって中央の朝日嶽に最初に創建された。消失により現在の鷲子山上神社に本宮が遷宮。しかし創建の地捨て難く再び朝日嶽に社殿を建立して遷座。残された社殿が鷲子山上神社となって本宮とは別の神社になり,明治四年1871まではなんと本宮の方が鷲子山上神社の摂社扱いであった。『栃木県神社誌』平成18年版ではそれぞれ独立した神社と明記して二社別に掲載している。当然ながら由緒はまったく同一。宮司さんも氏子さんも共通。もとをただせば本宮が鷲子山神社だが,宝物などは鷲子山上神社に属しているらしい。なかなかむずかしい。
鷲子山上神社 8595坪 例祭:4月17日
鷲子山上本宮神社 287坪 例祭:11月16日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 八巻29丁
那須郡馬頭町大字矢又字鷲子山鎭座 郷社 鷲子山神社 祭神 天日鷲命 相殿二座祭神大穴持命少彦名命 大祭陰暦十月十五日十六日十七日 小祭陰暦正月初酉日二酉日三酉日 渡御祭陰暦六月十六日鷲子村に出御 建物本社間口三間五尺奥行三間半 軒高十八尺五寸棟高三十尺 組物彫物濱縁向拜附全面三扉 向拜柱は欅の丸彫にして牡丹唐獅子及ひ松竹梅雲龍花鳥仙人等を刻せり 屋根銅葺 拜殿 幣殿 饌殿 神樂殿 神輿殿 随神門 額殿 末社十九社 斎戒舎 華表二基 一の鳥居矢又大那地鷲子村に各一基 寳物太政大臣三条實美揮毫せる扁額及ひ茨木縣知事奉納せる扁額二面 氏子矢又大那地鷲子合戸數三百十四戸 信徒那須郡廿三村常陸國那珂久慈二郡の内十八村毎年二月一日より五月六日まで毎日代參二人宛各村日參せり 社司長倉秀頄同村同大字住
本社は忌部祖阿波國天鷲神を祭祀し大同二年807の創建にして寶珠上人の勸請なり 相殿に大己貴少彦名の二神を合祀し三枝祇の大神と称す 後建久三年1192十月源頼朝本社を崇敬して社殿を造營し永銭十五貫文宛宮殿修理料として下賜せらる 又建保二年1214三月源實朝先規に任せて永銭を下賜せらる 後慶安元年1648十月廿四日を以て徳川三代將軍家光より常陸國那珂郡鷲子村地内に於て高拾石下野國那須郡矢又村地内に於て高拾石及ひ除地一百石を附せられ山林竹木社有にあり 其後徳川將軍代々深く崇敬し先例の通朱印地除地等寄附らせる 而るに明治維新后上知らせる後 今上天皇より朱印地除地奉還に對し逓減録金を宇都宮縣を経て下賜せらる 此れを社有財産となし保存の法を設け今や巨額の資金とはなれり 本社創立以來の棟札は大同建久應永延寶年間のものは往時社守か火を失し宮殿及ひ寳物と共に灰燼に歸せりと云ふ 今現在するもの天文廿一年1552元龜二年1571仝四年寛保三年1743天明三年1783文化十二年1815のものにして殊に本社は天明三年1783の再建にして芳賀郡千本村益淵田野邊村の町井の兩棟梁彫物師は千本村の石原藤助にして精緻巧麗洵に人目を驚かす 隨神門は文化十二年1815三月の建立にして安養閣と云ふ 是又芳賀郡の千本村河井棟梁の作にて頗る壯麗なり 奉仕は往古より伍智院と号し二十五代世々連綿として本社の別當たりしか明治維新に際し復飾し長倉の本姓に復し今尚勤續らり 社域二千四百坪高嶽の地にして境内には古杉老樹直立森然として社殿を擁し幽静にして舊領主源義公巡國の途上山中十景七奇名勝を撰みしか後源烈公其志を繼き臣⾭山昌敏に命し碑文を筆記せしめ鷲子村薄井友右衛門の實弟宗七に命して建設する碑石あり 左に抄録す …略…
浅間神社

浅間神社

[せんげん神社]

那珂川町・矢又3328

主祭神:木花開耶姫命
旧地名:那須郡馬頭町大字矢又
鷲子山上神社本宮の別宮であり,鷲子山神社の末社でもあった。明治四年1871神社明細帳編纂取調べの際に独立した神社として扱われるようになった。
鷲子山神社の夜祭等の祭祀の際は,まず当社に幣をたむけてから祭事を行う。122坪,本殿間口二尺。
矢又3328の該当番地が飛んでいて分からないのだが,本宮の手前に朱色の鳥居があり,社号標に「浅間神社(富士権現)女人禁制○○」とある。次回確認。
例祭:6月1日
八龍神社

八龍神社

[はちりゅう神社]

那珂川町・矢又3211

主祭神:高龗神[たかおかみのかみ],闇龗神[くらおかみのかみ]

皇大神宮

[こうたいじんぐう]

那珂川町・矢又3211

主祭神:天照皇大神

旧地名:那須郡馬頭町大字矢又
主祭神:高龗神[たかおかみのかみ],闇龗神[くらおかみのかみ]
宇都宮方面からは「道の駅ばとう」を過ぎ,馬頭高校を左に見て矢又川沿いに走り,232号線と二股に分かれる前1キロを左に脇郷川沿いに大内方面に入る。ほどなく右手奥に鳥居が見えてくる。
実はもっと奧だと思って見過ごしたのだが,地元の方お二人に親切に教えていただき,見つけることができた。
この鳥居は「皇大神宮」になっている。鳥居をくぐって山道を登る。[おぎなやま]とにごる方もいるという翁山である。 参道は4月27日現在,枯れ葉に埋もれ,杉や竹が倒れているうえに,かなり急で難儀する。思ったより上に登るので息が切れる。 ほぼ頂上付近に社を見つけて二休み。
正面に2社並んでいる。
左手はずっと古そうだ。『栃木県神社誌』のモノクロ写真とどうやら同じなので,こちらが「元慶二戊戌878九月勧請の「八龍神社」。もと岡下の地に鎮座した。
弘化三年1846,9月19日に高嶺翁山に遷座再建,八龍さんと呼ばれ,水霊神として奉斎されている。
右手は明治x年の「奉遷宮皇大神宮祠殿再建」の棟札が見えるので「皇大神宮」。創建は嘉永六癸丑1853で,八龍の後からこの地に遷宮した。 まさに高龗神,闇龗神の最強コンビを祀るにふさわしい山あり谷ありの地に,神社の初期形態のような風格のある社殿である。
明治十一年八月十一日の手水石。
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本殿:流造トタン葺 例祭:9月19日
翁山 皇大神宮鳥居 左は社務所
左が八龍神社 本殿 流造トタン葺
皇大神宮 ユニークな造形 背後から
社殿の後ろに かなり急 山道
途中から見下ろす 入口の目印 入口

以下の3社は写真はまだです。しばらくお待ちください。
足尾神社

足尾神社

[あしお神社]

那珂川町・矢又2833

主祭神:味芦茅彦児神
旧地名:那須郡馬頭町大字矢又
創立年月不詳ながら祭事当番帳によれば宝暦年間1751~64足尾の庚申山大權現を奉祀し健脚,足病除の神として崇敬。江戸時代までは鷲子山神社の宮司が祭祀を担当していた。68坪,本殿間口一間。
石鳥居だけ。
例祭:旧暦11月1日
羽黒神社

羽黒神社

[はぐろ神社]

那珂川町・矢又3197

主祭神:伊手波神 境内社:雷神神社・八坂神社
旧地名:那須郡馬頭町大字矢又
天明四年1784出羽の羽黒山より御分霊を勧請して創建。20坪,本殿間口半間。
例祭:旧暦9月19日
諏訪神社

諏訪神社

[すわ神社]

那珂川町・矢又3493

主祭神:建御名方命 旧地名:那須郡馬頭町大字矢又
慶応二年1866に信州諏訪より御分霊を勧請して創建。いっとき祭日を新暦に変えたところ組内に災いが降りかかったため現在も旧暦で祭祀を行う。110坪,本殿間口三尺。
例祭:旧暦7月27日 子供相撲

 

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