那須郡那須町芦野の健武山湯泉神社,鏡山湯泉神社ほか

健武山

健武山湯泉神社

[たけぶやまゆぜん神社]

栃木県那須町・芦野2234

主祭神:大己貴命・譽田別命・事代主命・三穂津姫命・建御名方命
【1】『栃木県神社誌』平成18年版によると,「那須与一の五世の孫資忠の三男資方が芦野領主になったときに勧請。享禄年間1528-32に社殿造営,天正九年1581改修…宝物に卍家鹿角,八幡像など,杉樹齢800年,2269坪」とある。まるで『下野神社沿革誌』記載社とは別の社のような由緒が書かれているが,祭神,宝物の卍家鹿角,八幡像は合っているので,平成18年版は『下野神社沿革誌』記載の社伝の前半分が抜け落ちていると考えられる。
【2】『下野神社沿革誌』によると,創建は奈良別命の勧請で,応神天皇,仁徳天皇の御代になり,約1700年前とあまりに遠い時代になってしまうのでにわかには信じがたいが。宇都宮二荒山神社では奈良別命は仁徳天皇の御代としているので,控え目に計算して仁徳天皇420年頃として,那須国造碑が西暦700年建立なので創建がその280年前というのはありうるかもしれない。
御神木の杉が倒れた2018年に樹齢700年(800を修正)を超えていたので,創建時に植樹したとすれば西暦1300年中頃,つまり『栃木県神社誌』のとおり那須資方の時代の創建ということになる。しかしながら文治二年1186ころに太刀,鏑矢,あま狗などを与一が奉納したとすれば整合性がとれない。樹齢を850年とすれば宝物に関しては説明がつく。
▉「嘉永六癸丑年1853十一月廿七日」奉納の一の鳥居。嘉永五年壬子1852秋九月石燈籠に「湯泉神社廣前」。鳥居柱手前に安政二年1855手水石。
平成14年2002「那須町歴史資料・制札」の石標。制札とは幕府が告知に立てた高札のことで那須町に伝わる18枚のうち15枚を健武山湯泉神社が所蔵している。
二の鳥居は建立年見つからず。
「文政十丁亥1827九月吉辰」三の鳥居脇には柱の異なる二基の石燈籠。角柱の石燈籠は明治三十年1897九月建立。
▉『下野神社沿革誌』では「鏡山湯泉神社は此の時の御旅所なり」とされているが,1キロ北東の鏡山が「上の宮」になっている。こちらの健武山湯泉神社は「下の宮」とされている。造営の規模と社伝からは上下逆のように感じるが,すでに元禄四年1691の鏡山の石燈籠に上宮と彫られている。その石燈籠を奉納した藤原資俊は同じ日付で健武山の方にも石燈籠を奉納している。狛犬隣りの「元禄四辛未1691閏八月廿六日・藤原資俊敬白‏/奉寄進・下宮湯泉大明神社前・石燈籠一基」と読める石燈籠がそれである。『おくのほそ道』に「郡守戸部某」で登場しているのが芦野民部資俊すなはち藤原資俊。334年の時を超えて石燈籠という固形物が芭蕉に直結していく神社ロマンである。(2025/6参拝)
▉本殿左手の境内社はとても立派なつくりで,消えかけているが着色絵が三面に描かれている。残念ながら社号は確認できない。右となりの石燈籠は「元禄七甲戌年1694」。元禄の上に「于時」のような謎の二文字。境内社の左に石宮が6基。
▉栃木県指定天然記念物「湯泉神社のおおすぎ」は2017年の台風で被災し2018年3月19日に惜しまれながら伐採された。2025年6月19日撮影日には,ひこばえが芽吹いていて,二代目がおおせいに成育中である。
▉飛ぶ狛犬は那須町大島708湯泉神社と寺子乙4000の黒田原神社で見ることができる。寺子乙の方は作者が分かっていて石工菊地平治である。両社とも当サイトに掲載してあります。
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嘉永四年1851辛亥九月日狛犬。
嘉永五年1852壬子天九月の手水石。
享保十七壬子歳1732九月吉日,石段上左手の「石燈籠」
文政五午年1822八月「那須郡惣社湯泉大明神御廣前」石段下の「石燈籠」。した心が見えるので惣社で載せておきます。
明和四丁亥1767十一月吉日「妙義社御寶前講中」石燈籠。
宝暦五乙亥年1755「惣社湯泉宮」石段下の石燈籠。
明治八年1875「奉献郷社湯泉神」石燈籠。
拜殿前に昭和九年1934狛犬。昭和二十七年1952天水鉢?
入口に大正参年1914石燈籠。
二の鳥居脇に歓喜天に始まる大正四年1915石塔,栃木縣が掲げた大正十五年1926禁止事項の定の石版。
例祭:旧暦9月29日
入口 一の鳥居 嘉永六癸丑年1853
二の鳥居 二の鳥居 三の鳥居
文政十丁亥1827九月吉辰 禁止事項がかろうじて 堂々たる社号標
湯泉神社廣前 古そうな手水石 制札標識
二の鳥居 歓喜天に始まる不明の石塔 制札石標
檜百本植樹 石段の先に拜殿 嘉永四年1851狛犬
嘉永四年1851辛亥九月日 拜殿
湯泉額 本殿は覆われている
二台目大杉 右手奥に招魂社
那須郡惣社湯泉大明神御廣前 明和四1767妙義社御寶前講中 宝暦五1755??湯泉宮
明治八年1875石燈籠 おおすぎ看板 切株から二代目
本当に巨木だった
天水鉢 元禄燈籠と飛ぶ狛犬
着地 藤原資俊敬白
昭和九年1934狛犬 惣社湯泉大明神御廣前 奉寄進石燈籠一基
本殿左手 石燈籠つき
??元禄七甲戌年1694 烏帽子姿
左手に6社
明治二十一年1888石宮
奉納水神社
珍しい狐のレリーフ 嘉永五壬子天1852 正面山の麓に鎮座
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 芦野 藤原泰経奉祀 *右神名帳所載,豊城入彦命四世孫奈良別命為国造時所祀也。又*在湯本者言是神名帳所載不祥。
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
健武山神社 芦野村鎮座 祭主空白
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-55丁
蘆野町字健武山鎭座 村社 湯泉神社 祭神大己貴命 事代主命 三穂津命 建御名方命 譽田別命 祭日陰暦九月二十九日
建物本社間口九尺奥行二間栃葺 拜殿間口二間四方萱葺 寶庫間口六尺奥行九尺萱葺 御供所間口四間奥行二間萱葺 末社二十四社 一ノ鳥居石造高さ一丈六尺 二ノ鳥居木造 石燈籠九基 石の獅子二基 洗手磐一基 寶物卍家鹿角一八幡像銅製にして那須與市戰時に甲冑に頂き武運を祈りしものにして后本社に収めしもの あま狗坐像にして高さ一寸余唐石にして那須與一奉納なり 太刀一振長さ二尺五寸余無銘にして須藤權守の佩用せしもの 太刀一振長さ二尺五寸余無銘にして那須與一宗隆佩用せしもの 鏑矢一本那須與一奉納 馬面一個元禄年中1688~1704芦野資親の奉納 句献集二巻芦野資親の納むるもの也一巻は奉納人詳かならす 氏子二百戸總代三員 社掌池澤金太郎仝町仝大字四九番地住
社傳に曰く本社は應神天皇の御宇(今を去る千六百年前)那須の國造奈良別命の勸請なり(奈良別命は芦野家の祖先にして其古城趾今尚字熊野堂の地に存在す 故に往古地名を奈良郷と云ひ川を奈良川と稱せしは即ち命の御名に基き名つけたるものと云ふ)後仁明天皇承和年中834~848初めて義輝社務を司りたること見ゆ 醍醐天皇延喜年中901~923勅使を以て諸國神社を御撿めの際奈良別命の御裔芦野綿麿社司義純に調書を奉らしめ則ち*那須郡三座健武山湯泉神社なりと傳ふ 朱雀天皇天慶年中938~947平將門反亂の時藤原秀郷社司義景に命して祈誓の事あり 而るに秀郷靈務→夢中に神劒を得て大に悦ひ士卒を勵して下総に入り殊功を奏す 其報賽として那須の總社號を給はらる 爾來那須郡總社湯泉大明神と稱す 天喜年中1053~58池頼義安倍頼時征討及康平年中1058~65源義家安倍貞任誅伐の時何つも本社に祈願して戦功ありしを以て凱旋の途次神恩拜謝の爲め武器を奉納せり 後天治年中1124~26(今を去七百五十年)須藤權守貞信八溝山の兇賊岩武丸退治の時も本社に祈請して平定の功を奏したるにより宮殿を造修し健御名方命を合祀し社領若干を寄附せられ大祭典を執行し神輿出御あり 今の鏡山湯泉神社は此の時の御旅所なり(現今村社格なり)其后元暦年中1184~85那須與市宗隆源義經に随ひ西海に於て湯泉八幡の二神を心中に祈願して扇的の名誉を博せり 之に依りて社領及武器を寄附し誉田別命を合祀す
***降て興國年中芦野綿麿の末裔蘆野四郎大夫那須宗隆五世の孫資忠の子資方を女婿となし其子孫世々大祭の執行怠りなかりしも應仁年中兵火の爲に社殿民舎燒失せしを以て大祭典を休止せり 其の后享録年中1528-32蘆野資敏社殿を造營し六十石の社領を寄附し舊來の大祭典を再興す 後奈良天皇の御宇那須郡總社湯泉大明神の扁額(持明院殿直筆)を賜はらる 後徳川の初世慶長年中1596-1615蘆野民部少輔資泰改めて社領三十石を附し一層厳粛に祭祀を執行せられ是より蘆野資俊資親資貞等數拾代を經て明治二年蘆野資愛所領を奉還す共に社領も上知せらる 明治六年五月宇都宮縣第五大區九小區の郷社に定めらる 仝十年八月村社に列せらる 神職は往古より池澤家にて世々奉仕せり 社域一千九百八十五坪丘陵にして東は芦野の市街を望み御殿山(舊芦野城趾)に相對し境内には古杉老樅高く聳ひ櫻樹繁茂し花時には一簇の香雲老樹の深翠と相映し眺矚顔る佳なり
 本社の風景を現さんため社掌池澤淸弘ぬしの詠る登拜百首中より左に抄出す

   神垣の花の盛りはみたらしの水さへ匂ふ心地こそすれ
   ほこ杉に竹も交りて吹風のをともさら⌒夏なかりけり
   火たきなく聲も聞えて健武山もゆるはかりに紅葉してけり
   榊葉に降りか〻りたる白雪のきよきは神のみ心にして
   み社の邊りにたてる杉の木の高きは神のみいつなりけり (みいつ=御厳/御稜威)

*那須郡三座は不明。*右神名帳所載も不明。在湯本は湯本182の那須温泉神社
上の宮

鏡山湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県那須町・芦野2538

主祭神:大己貴命
創建等不詳。86坪。御神木の銀杏は樹齢600年。
当社を「上の宮」とし,1キロ南西の健武山温泉神社を「下の宮」としている。
遊行柳のすぐ先の明治四十二年1909石鳥居の額に「村社湯泉神社」
昭和二十九年1954と昭和三十三年1958の新町氏子一同奉納の旗杭。
明治二十九年1896狛犬。
「元禄四辛未年1691閏八月廿六日・藤原資俊敬白‏/奉寄進・上宮湯泉大明神社前・石燈籠一基」と刻まれた貴重な石燈籠。江戸初期にはすでに「上宮」と呼ばれていた。藤原資俊は同じ日付で健武山の方にも石燈籠を寄進している。
「昭和甲午四拾壱年1966十月吉日」石燈籠。「丙午」がなぜか「甲午」と刻まれているが謎。
例祭:10月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉神社 芦野
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
温泉神社 芦野村鎮座 祭主藤原氏ナリ
村社湯泉神社 旗杭
明治二十九年1896狛犬
本殿
湯泉神社
本殿
手水石と石段 旗竿収納庫 手水石
左:元禄,右:昭和石燈籠 元禄四辛未年1691 昭和?甲午?
上の宮のイチョウ
上の宮のイチョウ 巨岩

遊行柳 西行・芭蕉・蕪村碑

無学をあざわらう碑がみっつ見つかる。書家にも彫師にも金がかかります。石を運んで設置するにはいったいどれだけかかるか,うま過ぎてとても読めませんが敬して拝すべしです。『新古今集』やら『蕪村句集』やら持ち出して解読する。
   
●西行歌碑「道の邉に 清水流るゝ 柳かけ 志はしとてこそ 立とまりつれ 新町中」建立年不明。(碑では最後「介禮」と,「け」の元字「介」で刻まれ「けり」の已然形「けれ」に見えますが「つ」の已然形「こそ…つれ」の「つ」が正しい。)
   
●芭蕉句碑「田一枚うゑて たち去る柳かな 芭蕉 江戸春蟻建」寛政十一年1799四月に江戸の俳人井上春蟻が建立
   
●与謝蕪村句碑「柳散 清水涸 石處々」昭和二十三年1948二月建立,富安風生書。五五八漢詩風表記。
右端の「蕪ノ村」のノに見える字は浅学にして謎でしたが池田先生に「連綿線」だと教わりました。左端の細字は解読できない。
水落石出まで持ち出すと教訓めいてきます。絵画的表現に入り始めた蕪村を想像しましょう。

遊行柳入口 遊行柳道標 正面遊行柳
右:朽木柳 遊行柳の由来
遊行柳
左:西行歌碑 芭蕉句碑 蕪村句碑
湯泉神社旗杭から 湯泉神社を背に

『おくのほそ道』遊行柳と元禄四年1691石燈籠


又清水ながるゝの柳は,蘆野の里にありて,田の畔に残る。此所の郡守戸部某の,此柳みせばやなと折をりにの給ひ聞え給ふを,いづくのほどにやと思ひしを,今日此柳のかげにこそ立より侍つれ
    田一枚植て立去る柳かな
此所の郡守戸部某の,「此柳みせばや」など,折をりにの給ひ聞え給ふを,いづくのほどにやと思ひしを,今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。

「此所の郡守戸部某」は,芭蕉自筆本では「故人」扱いで「此所の郡守故戸部某の」となっている。推敲前か推敲中に残った「故」である。『おくのほそ道』は元禄五年中頃1692から六年1693に江戸で完成させようとしていたので戸部某はすでに他界していたため執筆中は「故」が付いていた。
[こほうなにがし]は民部省の唐名で地方の偉い人,つまり芦野の領主で,十九代芦野民部資俊をさす。芭蕉の弟子で俳号を桃酔と称した。芭蕉は那須芦野の郡守から,在府中は口頭で,芦野にいるときはおりおりの手紙で,西行の柳見においでと誘われていた。岩波文庫では「故」がとれている。たしかに故つきだと注意書きのような感じになる。おくの細道本文には故なしでいい。
この郡守が元禄四年1691八月二十六日に上下二社の湯泉神社に石燈籠を奉納している藤原資俊で,燈籠奉納の翌年元禄五年1692六月二十六日に逝去。おくのほそ道では蘆野民部の民部を似たような字で唐名の戸部に変えて幕臣の身分を隠したと解されている。オブラートに包んであるので気取って[こほう]と読まず[とべ]でもなんら問題はない。
芦野においでの節は遊行柳のある鏡山湯泉神社だけでなく武部山湯泉神社にも足を伸ばしていただいてこの石燈籠を見つけ出して欲しい。
   ●武部山湯泉神社の石燈籠
   
   左:藤原資俊の名が読める。  右:「下宮湯泉大明神」と刻まれている。
   ●鏡山湯泉神社の石燈籠
   
   左:藤原資俊の名が読める。  右:「上宮湯泉大明神」と刻まれている。

[参項]建中寺・芦野氏新墳墓
芦野の江戸期の資料に,どこかに二荒山大明神があったとあるが不明。続いて以下の各社が記録されているが現在社不明。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 二荒山大明神 奈良郷
那須郡 熊野社 (地名神主空白)[横岡か]
那須郡 大皇社 (地名神主空白)
那須郡 湯泉神社 蛇沢 [寺子か]
那須郡 湯泉神社 柳内 [寺子か]
那須郡 熊野宮 白井 (神主空白)
那須郡 湯泉神社 白井 (神主空白)
那須郡 星宮 下芦野 (神主空白)
那須郡 湯泉神社 [地名11列挙] 田中,黒川,大島,塩阿久津,白井,上田,水塩,石住,法師畑,下田,大谷

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「遊行柳」解説

湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県那須町・横岡909

主祭神:大己貴命・少彦名命
永正十一年1514芦野健武山の温泉神社より勧請。
例祭:10月9日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-57丁
蓋野町大字横岡鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命‏‏‏‏ 少彦名命 祭日九月九日
建物本社間口二間奥行九尺栃葺 拜殿間口三間奥行二間 石鳥居一基 末社八社 石燈籠一基 氏子五十七戸 社掌池澤七五三仝村仝大字四七番地住
本社創立は永正十一年八月二日にして烏山城主石田次郎高淸奥州下向之時池澤長太夫に命し芦野總社健武山の分靈を遷し武運を祈願せし社にして社領三石を賜り池澤家世襲して社務を掌らしむ 社域ー百四十八坪平坦の地にして古杉蓊蔚にして天に聳ひ幽邃にして雅致あり
神明

神明神社

[しんめい神社]

栃木県那須町・横岡894

主祭神:天照皇大神
上記湯泉神社のすぐ南に鎭座。
愛宕

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県那須町・横岡226


主祭神:火産霊命
熊野

熊野神社

[くまの神社]

栃木県那須町・横岡116


主祭神:熊野大神
上記愛宕神社の南西に鎭座。
湯泉神社

湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県那須町・富岡105

主祭神:大己貴命・少彦名命
永正十一年1514以降に白井氏が字宮下に創建。141坪。
例祭:10月9日
湯泉神社

湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県那須町・富岡415

主祭神:大己貴命
永正十一年1514に鈴木氏が吉の目に創建。348坪。
水掛不動尊。吉の目湧水。
例祭:10月9日
江戸期に字冨岡あたりに二社記録されたが現在社不明。
湯泉神社

湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県那須町・富岡1050

主祭神:大己貴命・少彦名命
創建等不詳。水塩大久保公民館が境内にあるので『鹿沼聞書・下野神名帳』の「水塩」をあてた。山神社は見つからない。
例祭:10月9日?
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉神社 水塩 杉本和泉
那須郡 山神社 水塩(神主別当空白)
境明神

玉津島神社神社

[たまつしま神社]

栃木県那須町・寄居2082


主祭神:衣通姫命 配神:大己貴命・木花開耶姫命
天喜元年1053紀州和歌浦玉津島神社より勧請。延慶元年1308修復。明治三十九年1906焼失,平成三年1991新築。
奥羽街道下野と陸奥の境の峠に鎮座するのでさかえの明神と呼ばれる。すぐ北隣りの白河側には境の明神・住吉神社と白河二所関址碑。
簑沢にも境の明神・玉津島神社が鎭座。
例祭:4月13日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-56丁
蓋野町大字寄居鎭座 村社 玉津嶋神社 祭神衣通姫命 祭日四月十三日
建物本社間口九尺奥行二間栃葺 拜殿間口六間奥行二間萱葺 石鳥居一基 石燈籠一基氏子奉納 石燈籠一基安永七年1778三月南部藩主松岡三十郎奉納 同一基万治二年1659十二月推言隆治奉納 同一基文化十二年1815四月下野佐野町絹屋連中 文政十三年1830三月仙臺大町絹屋連中 同一基明治十一年八月會津若松根本治太郎奉納 額一面永禄二年1559八月南部盛岡藩 同一面南部従五位河内守勝昌▢筆 五反籏二流 三反籏二流宇都宮嶋屋仙台京屋奉納 氏子七十五戸 社掌月江寛宥仝郡那須村大字寺子一五八番地住
本社勸請創立詳ならすと雖も紀州和歌浦玉律島神社の御分靈を奉遷したるものにして天喜元年中大關矢五郎奉行三田喜惣兵衛盆子文内の再建にして本社には石の瑞籬を回らし寶珠山聖観寺を以て別當とし奉仕せしむ 往古は玉津嶋大明神と稱し又境の明神とも云ふ 社域ー百四坪高燥の地にして野奥兩國の境界に在り 海面より高きこと三里二十三町あり 境内には老樅古杉蔚々として天に聳ひ殊に楓樹の古木ありて秋の空には錦織りなす紅葉を賞し又月を弄するに奇景なり 古人の社頭に奉納せし歌多し 今ーニを録す 佐竹藤原重道の歌に「守るてふ恵を今もしきしまの道あきらけき玉津嶋姫」「波ならぬ光りをそいて和歌の補のさかい久しき神の宮居に」藤原義路歌に「守るてふ神のちかひをしきしまの道の光りの玉津嶋姫」又源義經の歌に「君か代のくもらぬかけをたよりにてひかりさしそふ玉津嶋姫」云々

鹿島

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県那須町・寄居1080

主祭神:武甕槌命
坂上田村麻呂が下野,常陸,奥州に勧請した53鹿島神宮の一。91坪。
例祭:10月9日
八雲

八雲神社

[やぐも神社]

栃木県那須町・寄居2421


主祭神:素盞嗚命
上記鹿嶋神社の西,奈良川右岸に鎭座。
江戸期に疫病退散のため牛頭天王を勧請。60坪の境内に石宮四基。
例祭:10月9日
湯泉神社

湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県那須町・寄居2260

主祭神:大己貴命・少彦名命
永正十一年1514以降に創建。18坪の境内に石宮三基なので見つからないかもと思ったが,ガジェンダーさんがGoogleMapに写真をアップしていた。
石宮に「安永八年1779亥九月一日」の文字が刻まれている。 例祭:4月13日
八幡

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県那須町・芦野1911

主祭神:譽田別命
294号線芦野駐在所前の交差点に鎮座。本殿の中には大黒様が見える。武蔵野八幡宮や盛岡八幡宮は大黒様を祀っている。八幡様と大黒様には縁がある。
嘉永元年1848十九夜念佛上組女人講中。昭和十二年1937馬頭観世音など。
立派な本殿 大黒様
嘉永元年1848十九夜 まったく読めない
馬頭観世音 十九夜女中念佛講 細字がびっしり
夫婦

夫婦石神社

[めおといし神社]

栃木県那須町・芦野1364

72号奥州街道,黒川の左手に鎭座。すぐ北に夫婦石の一里塚。御神体は大岩二個。
昭和六十年1985手水石の左手に地蔵尊など五基。
平成7年1995鳥居建設記念碑
平成七年1995四月鳥居
明治百年記念
腹身地蔵 日切地蔵,合掌地蔵
右:財福地蔵


▊蘆 野 町 *『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-55丁
本町は蘆野,横岡,寄居、富岡の舊四村及ひ舊豊原村の内大平水鹽の両坪を合せ一の自治區をなせしものにて其幅員東西一里南北三里あり 地勢四方山脈を以て包圍し北は磐城の國境に接し奈良川其中央を貫流し蘆野は一市街地をなす 舊奥羽街道城内中央を貫通し加ふるに里道又開け交通の不便を感することなし 人口三千五百余人を有し風俗敦厚にして勤勉の風あり
古來の沿革に付ては往時は蘆野氏の領邑又は黒羽藩の領地に分屬せられ維新后共に栃木縣に屬し第三大區十小區に編入せられ次て一戸長役塲の支配となり次て町村制實施せらる〻や更に合して今日に至りしものなりとす
本町の名所舊跡には蘆野の遊行柳兼戴の松あり 神社には蘆野の健武山明神外三社ありて全戸數四百五十余戸を有せり

 

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