若子

若子神社

[じゃっこ神社]

日光市・日光2145

主祭神:下照姫命 二荒山神社末社
空を飛んできた空海が白糸の滝にある瀧尾神社を創建した後,寂光の滝で修業中に女神の夢託を受けて弘仁十一年820小祠を建てたと伝わる。
案内に「室町時代には寂光寺の七堂伽藍が建ち並び,釘念仏道場として繁栄した」とあるが,今は静寂に包まれている。
不動堂には空海彫刻の不動尊像があったが寂光権現堂,求聞持堂,三十番神堂,常念仏堂などとともに明治十年1877焼失。若子神社も明治十七年1884に焼失したが,同二十年に再建された。
瀧尾神社の御神体である女峰山への登攀口となっている。
昭和55年1980社号標に「二荒山神社摂社・若子神社」とある。
鳥居をくぐると右手に不動尊。「奉造立石像不動尊」石塔は享保十乙巳天1725。
石段を上ると上方に拝殿が見える。拝殿の後ろ,さらに高い石垣に本殿。本殿石段下に元文二天1737石燈籠。
田茂沢川
文明1469~87年間に寂光寺で修業中に17日間の地獄めぐりを経験した覚源上人が閻魔大王に頂戴した釘念仏札には四十九の穴があいていた。死ぬ苦しみじゃなくて死後も苦しむで,この札をもって念仏を唱えれば本人のみならず地獄で苦しむ者も救われるということで,寂光寺から釘念仏供養が広まった。
明治二年1869の神仏分離政策で寂光寺は廃寺とされ,若子権現は若子神社として残された。
覚源上人と滝周辺は"Welcome to Nikko"に詳しく紹介されています。
例祭:10月30日
本殿 元文二天1737石燈籠
本殿扉
拝殿方向 拝殿 かなり高いところにある
拝殿裏 本殿
拝殿正面 拝殿前
拝殿前の解説板 本殿裏手を登ったところ 社殿を見下ろす
駐車場から 鳥居 寂光滝標識
二荒山神社摂社の文字 鳥居脇の解説板 石段を上る
右手の不動尊
上方に社殿
拝殿を見上げる 本殿が見える さらに上部に本殿
本殿左下 本殿と拝殿 本殿左手下に寂光滝
本殿脇の寂光の滝解説板 寂光の滝
8月猛暑の日でも涼しい 水は冷たい 鳥居付近
なにかの遺構か
■若子神社遥拝所
田母沢御用邸前の八幡神社脇から若子神社に向かう途中の左手にとても大きな石があり,「生石」と名付けられている。「若子神社遥拝所(生石)」の柱が倒れていた。
ここで参拝すれば寂光の滝まで行ったことになる。地図には若子神社で載っている。石の上には水が常に溢れていたという。
二荒山神社本社にも若子神社遥拝所が設けられている。
生石上部

寂光の滝途中の神社

[神社]

日光市・日光2204

主祭神:?
八幡神社から寂光の滝に向かう途中の右手上に朱色鳥居。
「宝永六己丑天1709奉信礼青面金剛供養所」「享保七または六1720-21青面金剛」「宝永七庚寅天1710庚申供養塔」「享保三戊戌1718庚申供養塔」など300年以上前の石塔が奉納されている。
風和里前の駐車場に天照大神と木製祠。
------------- この付近に八坂神社があるかもしれない。住所は「日光市日光2218」で,銅板葺き木製詞で覆屋がある。日光の住所で日光市日光というのは駅の南の山間部も同じ日光市日光の住居表示になっていて分かりにくい。ちょっと山に入ると「日光市日光」表示にしてしまったのだろうか。お分かりの方,情報をお願いします。
宝永六己丑天1709 享保七または六
宝永七庚寅天1710 享保三戊戌1718
本殿
どこまでも行けば寂光の滝 駐車場の天照大神