磐裂神社

磐裂神社

[いわさく神社]

日光市・所野814

主祭神:磐裂神・根裂神 境内社:三峯神社・太神宮・稲荷社・山神社・滝尾社
文永二年1265に神橋裏手の星宮(現磐裂神社)から御分霊を勧請して創建。
鳥居をくぐると正面ではなく,斜め右に敷石が通っていて左に折れる形で本殿。
社殿左手の石燈籠は「寛政九天1797」で「奉納磐裂□□」と彫られていて,神仏分離以前から星宮でなく磐裂を名乗っていたことが分かる。隣りの円柱石燈籠は年号が読めない。右手の一基は「宝暦二壬申1752奉納御寶前」
本殿右手奥に石段が付いていて上方に「三峯神社」
所野小学校の裏山の字宮ノ内に鎮座。石段を上ると左手に十九夜など多数の石像石塔が並んでいる。
鳥居左手の大きい石燈籠は「文化十一甲戌年1814男體山」,その左手に大正九年1920庚申塔など4基,馬頭観世音,十九夜など3基が並ぶ。
男體山の後ろにも多数の石祠・石塔。「寛政八辰天1796」に同時に建立された太神宮・稲荷社・山神社の石宮三基,読めるもので「文化十三丙子1816」など。小ぶりの狛犬は,ここに境内社がまとめられる前に,さらに遡って寛政八年頃当社に合祀される以前に,社前に奉納されていたものを移したのだろう。江戸の狛犬である。
道路から鳥居には向かう左手角に「安政七庚申1860・庚申塔」,鳥居につづく石段右手の東参道に道路改修記念碑,天保四年1833と文化五年1808奉巡禮百番供養塔,天保三年1832十九夜供養塔,如意輪観音,馬頭観音など。
天下一青木流獅子舞が奉納される。詳しくは「日光市の指定文化財」を。
例祭:8月17日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 三巻-8丁
上都賀郡日光町大字所野宮内鎭座 無格社 磐裂神社 祭神 磐裂命 祭日陰暦大祭三月十五日七月十八日 小祭正月廿八日五月五日九月十九日 建物本社間口四尺奥行三尺五寸銅葺 雨覆間口二間半奥行四間栃葺 拜殿再築着手あり 末社十社 石鳥居一基 石燈籠三基 寶物神鏡一面太刀一振 祭品鍬抦調子一個安政五年1858九月福田玄□太夫源重明□森松三奉納 氏子百戸 社掌北山又一郎同町同大字三十四番地住
本社勸請は勝道上人にして人皇九十一代龜山天皇の御宇文永二年1265三月十五日日光山星宿より當社に遷座す 是即ち本社の濫觴なり
日光山祠堂建立修行記に曰く當河南涯有名精進峰崇號星御前云云抑當山開祖上人いまた御幼稚にてをはせしころ御童名を藤糸丸と稱し奉れり 天平十三癸丑藤糸丸七歳の秋或夜明星天子忽然として降臨ましまし親ら告て宣はく二荒山は神代より以降大己貴命田心姫命味耜高彦根命垂迹の靈地にして三神と宿縁厚して頗る法器を備ふ 大心を發し彼山川を跛渉して三神に値遇し奉り勝地を草創して遠く末代の群生を濟度すへし 我は是天に在ては大白星とあらはれ此國に來下しては磐裂の荒神たりと告訖て忽ち見え給はす 藤糸奇異の思をなし是より信心膽に銘し發心常に怠り給はす遂に二十七歳の春薙髪授戒して當山開碁の功業を成給へり 上人曾て四本龍寺にをはせし時徒弟の人々に告て宣く吾此靈山を闢き天地の神明を祭りて下の爲に歸依せらるヽこと單に此磐裂神の神勅によれり汝等及末代我耳孫たるものは常に此神を尊崇して必神恩を忘失すベからすと 是に因て星宮は當山權輿の基也云云
本社は日光町大字所野の中央宮之内と稱ふる丘陵に鎭り座し石階四十一級を登れは本社に至る 本殿は濱縁向拜付惣朱塗にして金彩を施し頗る壯観なり 社域一千八十九坪杉檜森々として彌榮に茂り誠に高雅幽淒なり右手には玉櫛笥二荒山の高嶺を遥に望み近くは小倉山外山の美しき小山を眺め左手は神主山の景色の裾に日光杉並木に曳き遠近共に寸眸の中に萃まる 滊笛朗に車聲眼下に起るは日光参拜の客を送り來り今や停車塲ヘ着かむとする形狀なり 前には大谷の水滾々として流れつきせす木綿の木の間にかヽる如は竹のはなの絶崖より大谷に漲る白糸の瀧にそある 石+皆下に瓮を列ぬ機械の響エ女の謡手にとる如く聞ゆるは下野製麻會社の賑はひなり 後には大立山大藤の峰を負ひ春秋は花紅葉ぬさとみたれてひときわの詠めなんましぬ
鳥居から斜め右へ 鳥居に至る石段
磐裂神
所野小方向 覆屋扉 本殿
本殿 脇障子に彫刻
社殿左手に二基 奉納磐裂□□ 寛政九天1797
社殿右手 三峯神社へ 三峯神社
社務所兼所野集落集会所 鳥居左手
男體山 庚申塔 十九夜など
 
石祠石像多数 狛犬も 三角は大黒天
笏を持った座像 印を結んだ座像
鳥居手前上部 鳥居
入口の庚申塔 石段右手
瀧尾

瀧尾神社

[たきのお神社]

日光市・所野968

主祭神:田心姫命
上記磐裂神社の南東,所野小学校体育館の南の森のとなりに鎮座。 磐裂神社の境内社として瀧尾社で記録された社で,昭和39年1964小学校の敷地拡大にともなって現在地に遷宮した。
「寛文十一辛亥天1671三月吉日」庚申塔。合掌猿のレリーフに挟まれて「奉精誠庚申待供養之攸」とあり檀衆の名が列挙されている。
ここにはかつて円空が日光に来た天和二年1682または元禄二年1689に彫った白木の狐,稲荷大明神立像28.7cmhが祀られていたが,いまは小杉放庵記念日光美術館に保管されているらしい。預っているだけで館所蔵ではないので美術館のWebページには情報がない。
立像の詳細と写真は「日光市の指定文化財」をご覧ください。
中は見えない
右手に庚申塔 寛文十一天1671
森だった となりの森から 隣地の石宮
稲荷

稲荷神社

[いなり神社]

日光市・所野412

主祭神:倉稲魂命
上記磐裂神社から東に進んで二股の分岐を斜め左に入ると,すれ違えない幅の上りの山道がえんえんと続く。こんな山奥に神社があるだろうかと不安になる。幸い下りてくる車に出会うこともなく道の終点にやっと民家が数軒,右下にお堂がある。ためしに歩いて山に入っていくと杉木立の奥に屋根が見えてきた。
7月15日にウグイスが鳴いている。清流が音立てて流れ落ちてゆく。左に曲がると先の上方に鳥居が見えてくる。実にすがすがしく,靜かなところ。
左手の境内社に「奉新造末社・平成元年1989九月吉日」木札。こちらは三社祀られているが神号はすでに分からなくなっているのかもしれない。本殿右手に石宮二社。
どの本にも記述がなく詳しいことは分からないが,きちんと手入れが行き届いており,たいせつにされている。
例祭:二月初午日
正一位稲荷大明神 奉納年は見えなかった
ふたつめの石鳥居 しっかりした石組
年代不明
年号読めず
左手の境内社
右手に二社
見下ろす
深い山林に鎮座 見えた!
集落のお堂 お堂 集落入口