平田神社

[ひらた神社]

日光市・大桑町1293

主祭神:事代主命 境内社:稲荷神社・山神社・淡島神社・礒部神社
旧地名:今市市・大桑
『下野神社沿革誌』の縁起とは別に,北に聳える平田ヶ岳鎮座の大明神より託宣を受け山麓五か村が現在地に元和五年1619創建したとする説が『栃木県神社誌』平成18年版から紹介されている。
風格のある鳥居は残念ながら何も読めない。寛政か文政か安政かもしれない。「享保十九甲寅年1734」石燈籠。昭和22年1947狛犬。昭和35年1960建立の境内地「譲地記念碑」
拝殿前の石は陰陽石か。神殿狛犬一対,年号は確認できない。
本殿左手の檜の古木は見事。元和五年1619創建時に植えたとされるので,もう400歳になる。同年に築かれた石垣を割り込んで生育している。石垣の上,少し外よりに植樹したのだろう。檜の手前に少彦名神の「淡島神社」奥は大山祇神の「山神社」,本殿右手奥は「稲荷神社」,石塔が「礒部神社」
祭日:11月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻五-24丁
河内郡豊岡村大字大桑字山下鎭座 村社 平田神社 祭神 事代主命 祭日陰暦十一月十五日 氏子六十戸總代三員 社掌手塚源一郎同村大字堂十番地住 建物本社間口七尺奥行六尺栃葺 雨覆間口一丈五尺奥行一丈檜皮葺
社傳に曰く人皇五十代光仁天皇御宇奥州亂れしにより大和の國司村上和泉奥州征討褊裨の朝命を蒙り師を率ひて奥羽に下り天應元年781漸く亂平きて師を京師に返す 然れども殘黨所々に潜慝するのみならす尚當地は奥羽の咽喉にあたるを以て止まりて此れを鎭撫す 此時國家鎭護の神として村上副將軍の勸請せしが濫觴なり 其后當郷の惣鎭守と尊敬せし事明かなり 其時の氏子は大桑倉ヶ崎佐下部栗原高柴の五箇村なり 其后今の社地に遷宮せしものなり 寛文二年1662五月本社再建す 亦貞享三年1686三月建築す 今存在する石垣其他龜腹等も五箇村の氏子にて寄附になれること棟札にあり 后大桑一村の鎮守となる 川村禰宜代々奉仕す 明治六年1873郷社に列せられ其時祠官阿久津周貞祠掌は室井左門奉仕せしか明治十年七月乙第二百五號の縣令を以て村社に列せらる 社域九百四十一坪にして石の華表石燈籠並列し本社に繞すに高さ三尺有餘幅六尺の石垣を以てす 西北に小百川の急流を隔て山嶽雲表に聳ひ東南田圃を扣へ境内には老檜小杉森然として繁茂し神寂びて古雅を帶び眺矚頗る佳なり
享保十九甲寅年1734
手水舎 手水石
譲地記念碑 狛犬?陰陽石? 別角度から
本殿
鮮やかな着色 扉の上部
脇障子裏から
本殿左手
山神社 石垣を割って生育 解説板右に淡島神社
ヒノキ解説
本殿右手 礒部神社
稲荷神社 稲荷神社
神殿狛犬 右手
左手
寛政あたりか
社号標
御神木ヒノキ
高さがある 石垣に注目
雷電1

雷電神社

[らいでん神社]

日光市・大桑町520

主祭神:大雷神
「大桑町上中組雷電神社祠修復協賛者芳名」板書が掛けられている。天井に「協賛者百七十三名・平成6年1994四月十九日建之」の棟札。崇敬者が多数いらっしゃる。

本殿
棟札
本殿屋根 裏手
梅の古木 中央にお堂
写真中央に見える
雷電2

雷電神社

[らいでん神社]

日光市・大桑町906

主祭神:大雷神
大桑町「下組雷電神社祠修復工事参画者名」「同寄附者芳名」「昭和49年1974鳥居奉納」板書が掛けられている。以上102名とあり,こちらも崇敬者が多数いらっしゃる。
「寛政六甲寅年1794十二月吉日再建年・当番一名世話人三名・縁日旧暦二月十日」
森のはずれに鎮座
本殿石宮
雷電神社額
再建年が書かれている
椿?の古木
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

日光市・大桑町490

主祭神:譽田別命
宝蔵寺の北の水田に鎮座。くわしいことは分からない。古い方の鳥居柱に「八幡宮御鳥居…」
どの本にも載っていないので詳しいことは分からない。きちんと整備されていて大切にされている。 50メートル北の左手田んぼの中に多数の石塔。寛政十二年1800の合掌像は星さんの御先祖奉納。
ここから北東ほどなく雷電神社。ほぼ真北の板穴川の向こうに高柴の八幡宮。
八幡宮 本殿
年号読めず 八幡宮御鳥居
水田の中
新旧鳥居
北に50メートル左手
寛政十二申天1800 六面
たくさんの石塔
付近のお堂
岩谷

岩谷稲荷神社

[いわやいなり神社]

日光市・川室10

主祭神:倉稲魂命
拝殿前に「文化十一年1814」石燈籠。本殿は拝殿左手から回り込むと岩窟の中に鎮座する。小ぶりながらなかなか見事な彫刻が施されている。全体が岩山で,頭上に巨大な岩のある岩窟に社を奉斎したのだろう。どの本にも記録されなかったが,狛犬ファンには知られている。
江戸の狛犬は「文化十三子1816正月吉日」,ほかに「明治四十五年1912」など,拝殿前左手に3,右手に4基。石段下と玉垣角だけが対だと分かるが,拝殿柱手前は大きさと台座が異なる。石段上がってすぐ左の文化十三と右奥のなんとか村と台座にあるのが対だろうか。石段上がってすぐ右が片われなし。
以上,台座と狛犬がもともと組になっていたと仮定した場合だが。文化十三の台座は狛犬にくらべて大きすぎるような気がするので専門家におまかせしたい。
鳥居の先に小川が流れていて石の太鼓橋。川の辺に「明治三十二年1899水神宮」
石鳥居二基は昭和53年1978。昭和54年1979社号標。
大桑の高尾神社の真南,121号線沿いにあって,駐車場がないので行きにくい。ゆばかたまり漬けでも買って歩きましょう。
祭日:2月初午日
ふたつめの石鳥居 拝殿
正一位岩谷稲荷大明神 拝殿裏手の岩窟に本殿
岩山である かなりの巨岩 本殿
彫物に注目
本殿左手 本殿右手
岩屋から岩谷か
社務所
鳥居方向 社務所左の巨岩 鳥居方向
文化十一年1814 拝殿左手に狛犬三基
右手に四基 石段手前 左の対
文化十三子1816 台座に年号 左の対か
別の角度から これは片われ 右端
左端 文化の形式を踏襲 道路から
正一位稲荷大明神 橋を渡る 明治三十二年1899水神宮

 

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