大田原市・花園,親園,宇田川,滝岡,滝沢,実取,荻野目の神社資料

花園

小種島湯泉神社

[こたねしまゆぜん神社]

栃木県大田原市・花園347 はなぞの


主祭神:大己貴命・少彦名命 配神:須佐之男神
永禄年間1558~70那須湯本湯泉大明神を勧請して創建。明治元年1868改築。164坪。
明治九年1876,三色手,小種島,上沼3村が合併して「花園村」になる。
『下野神社沿革誌』の創建年と大きく離れるが,鎭座地が「小種嶋篠合森」とあるので現在社にあてた。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 小種島
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-5丁
親園村大字花岡鎭座 村社 溫泉神社 祭神 大己貴命 少彦名命 祭日九月十五日
建物本社間口三尺五寸奥行三尺板葺 拜殿間口二間半奥行四間萱葺 木鳥居一基 末社八社 氏子五十一戸 社掌小林伊集衛仝村仝大字住
本社は建久八年1197九月の創立にして一村の鎭守神たり 社域二百八十坪平坦の地にして字小種嶋篠合森に在り 境内には古杉亭と高く聳ひ幽邃にして神威の儼たるを表するもの〻如し
沼坪

沼坪温泉神社

[ぬまつぼおんせん神社]

栃木県大田原市・花園1400 上沼村

主祭神:大己貴命・少彦名命
福原家の家臣が寛保四年1744〜延享五年1748頃開拓した。寛延四年1751那須湯本湯泉大明神を勧請して大木の根元に祠を建立。宝暦年間1751~64に社殿を造営。昭和二十五年1950拝殿幣殿改築。492坪。
このあたりは江戸期には「上沼村」と称した。
明治九年1876,上沼,三色手,小種島3村が合併して「花園村」になる。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 上沼 小林大和
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
湯泉大明神 上沼村鎮座 祭主小林氏ナリ
花園4

温泉神社

[おんせんorゆぜん神社]

栃木県大田原市・花園1461 三色手村

主祭神:大己貴命・少彦名命
福原家の家臣増渕某が天正十八年1590頃開拓した。その頃の創建になるだろう。那須湯本湯泉大明神を勧請。元文三年1738改築。304坪。
宝暦七己丑天1757石燈籠。
鳥居は建て替えられていて旧鳥居柱が保存されているが,残念ながら文字は読めない。
このあたりは江戸期には「三色手村[みいろでむら]」と称した。三色中村あるいは三色手境の記録がある。
明治九年1876,三色手,小種島,上沼3村が合併して「花園村」になる。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 三色中 小林大和
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
湯泉大明神 三色手村鎮座 祭主小林氏ナリ
親園

湯殿神社

[ゆどの神社]

栃木県大田原市・親園3033 ちかその

主祭神:大山祇命 配神:須佐之男尊・別雷命・伊弉諾尊・磐裂命・火産霊命・大己貴命・倉稲魂命・木花開耶姫命・豊城入彦命・菅原道真命 境内社:御山神社
建久六年1195那須與一が勧請。342坪。『下野神社沿革誌』記載の933坪より減っているが,末社10社が配神の数と合うので現在社とした。大田原氏家線沿い,親園駐在所の北,親園郵便局の南に石鳥居が見える。
明治十五年1882一の鳥居。明治四拾一年1908旗杭。大正四年1915石柱。大正九年1920十月十四日供進指定記念社号標。平成四年旧奥州道中・親園石塔。不明の石像一基。
二の鳥居までの参道に大正二年1913,昭和三十九年1964,昭和六十年1985,文久元年1861の石燈籠四対。
木製二の鳥居。拝殿前に昭和十二年1937,昭和二十四年1949石燈籠。大正八年1919狛犬。
拝殿内は暗すぎてよく見えないが,「湯殿神社」額。
拝殿左手に昭和五十一年1976十二月復元の読めない石碑と忠魂碑。
道路沿い鳥居右手に「ホロの碑」,これは文化九年1812高津義克の文を後に刻んだ蒲廬碑のことで覆屋内に保存されている。ホロは蜃気楼の土地言葉。5行目に「蒲廬」が刻まれている。詳しくは大田原市公式webを。ここに挙げられている筆文字は若干碑文と異なる。碑に下毛とあるのを下野,壬申歳の歳字を省略など。下野の文字は8世紀には使われていたので下毛は気取った書法。碑文の「北行絡繹」の「行」字を小字で補正しているので後世書き起こしたものかもしれない。或いは自筆を推敲したか。未解決。
軒には昭和二十八年1953板書の「蒲廬碑由来」,末尾に大田原町人見傳蔵先生調査による旨記載がある。
自然遊歩道第5コース案内板記載の諏訪神社は百村川を渡って東北の荻野目に鎭座。
例祭:10月17日 八坂祭:7月20日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-5丁
親園村大字親園鎭座 村社 湯殿神社 祭神大山祗命 建物本社間口六尺奥行七尺 拜殿間口三間奥行二間 末社十社 氏子百十二戸 社掌同上
本社創建不詳 社域九百三十三坪を有し字御山に在り 石木二造の華表を有し境内には老樹蓊蔚にして宏壯を極め毎年八月一日四月八日を以て大小の祭典を行ふ
 
二の鳥居
   
拝殿内 湯殿神社額
本殿右手
手水石 社務所
昭和28年1953狛犬
拝殿左手 読めない
二の鳥居 道路から
奥州道中
 
ホロの碑看板 蒲廬碑
蒲廬碑裏面 蒲廬碑由来
親園不明

親園の神社

[?神社]

栃木県大田原市・親園2520 ちかその

大田原氏家線,擁福院すぐ北の用水の浮島に鎮座。西に大杉神社。
木製の覆屋内に朱塗りの小祠。右手の石碑は「聖徳太子」と読める。
浮島は玉石で土台が築かれているので人工島と推測。残念ながら社号は分からない。
島になっている 本殿
聖徳太子
親園加茂

加茂神社‏/大杉神社

[かも神社]

栃木県大田原市・親園2345


主祭神:別雷神 配神:須佐之男命 境内社:星宮神社・温泉神社
西那須野二ツ室成神山から慶安四年1651に遷宮または勧請。那須塩原市二ツ室の金刀比羅神社境内社に加茂神社がある。あるいは須塩原市一区町の雷電神社か。
明治二十九年1896,滝沢の明治七年1874創建の大杉神社を合祀。
拜殿額に「加茂神社」その左に配神の須佐之男命の「大杉神社」額も掛かっている。
大正二年1913石鳥居,臙脂色両部鳥居額にそれぞれ「加茂神社・大杉神社」
拝殿左手に星宮神社。272坪。
加茂神社のヒノキ樹齢250年。
例祭:3月13日 甘酒無制限接待 大杉神社例祭:8月28日 神輿渡御
宇田川

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・宇田川991


主祭神:大己貴命・少彦名命 配神:宇迦魂神,宇賀之御魂神など記述は一定しない
慶長年間1596~1615福原から戻った那須家の家臣が農業を始めるにあたり,那須湯本湯泉大明神を川毛の地に勧請。配神の倉稲魂命は五穀豊饒,農業の神である。天明年間1781~89改築(大田原市史には天保年間1830-44とある)。明治三十六年1903暴風で倒壊,翌年改築。274坪。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 宇田川 成就院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-5丁
同村大字宇田川鎭座 村社 溫泉神社 祭神大巳貴命 建物本社間口二尺五寸奥行二尺 拜殿間口四間奥行三間四尺 氏戸五十戸 社掌同上
本社は往時一村の鎭守神なりしか寛政四年1792正月許可を得て一村社を止められしも明治三年九月復舊して村社に列せらる 社域二百八十四坪境内には末社四社及ひ華表等ありて幽邃なり 毎年十月廿一日を以て大祭を執行せり
日本武命

日本武神社

[やまとたける神社]

栃木県大田原市・宇田川248

主祭神:日本武尊
建久六年1195福原城主那須四郎久隆が法印源空に命じて鬼門守護の不動明王を祀らせたことに始まる。維新に際し神社を称する前は「お不動さま」だった。その名も不動川に掛かる境内の滝の名前も不動滝。
文政八年1825不動堂を再建。再建費用を多く用立てた名主が惣名主をさしおいて寄附名帳のトップに記すことを主張したために争いになったことが案内板に書かれてある。
明治十三年1880庚辰石燈籠,明治廿一年1888石燈籠。大正九年1920御石橋寄附連名碑,昭和九年1934御橋修繕寄附芳名碑。
蛇尾川右岸,489坪。
例祭:2月28日
滝岡

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・滝岡210



主祭神:大己貴命・少彦名命
『下野神社沿革誌』と異なり鎌倉時代1192〜1333の創建と伝わる。正徳三年1713本殿改築,鳥居建立。大正五年1916本殿拝殿新築。
江戸期には岡和久村,滝ノ沢村の鎮守。明治になって青木村,若目田村を合せて成立した滝岡の鎮守。1546坪。 入口の旗杭の前に「大田原市指定文化財・天然記念物・アカガシ群生地・六株」標識。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 竜野沢 小林大和
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
湯泉大明神 瀧ノ沢村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-6丁
同村大字瀧岡鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命/少彦名命 建物本社間口三尺二寸奥行三尺 拜殿間口三間奥行二間 末社十三社 氏子三十七戸
本社創立は建久六年1195九月にして那須與一宗隆の勸請なりと口碑に傳われり 社域八百八十五坪字宮の内の瀟洒の地に在り
滝岡

加茂神社/星之宮神社

[かも‏/ほしのみや神社]

栃木県大田原市・滝岡590

主祭神:別雷神 磐裂命・根裂命
詳しいことは分からない。鳥居額に「加茂神社/星之宮神社」,拝殿額に「加茂神社/星ノ宮神社」と2社併記。長泉寺の西,念仏川右岸の水田の中に鎭座。
久寿二年1155正月,三浦介源義澄が勅命により那須野ケ原で金毛九尾の狐を退治した折り、京都加茂神社を西部須野二ツ室の成神山に勧請して成就祈念したことに始まるという。慶安四年1651現在地に遷宮。
若目田は「青木若目田」になり明治八年1875親園の滝岡村になる。若目田の現在社と推定。明治十二年1879北和田村に改称した蛇尾川流域の和田村と,明治七年1874親園村に入った箒川左岸の中居矢木沢村に現在社不明の星宮と湯泉,熊野がある。神主が小林大和で共通なので,親園にあったと推定する。矢木沢の西に実取と鷹ノ巣。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 星宮神社 若目田 小林大和
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
星宮社 若目田村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『鹿沼聞書・下野神名帳』
那須郡 星宮神社 和田 小林大和
*『下野掌覧』
星宮社 和田村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『鹿沼聞書・下野神名帳』
湯泉大明神 中居 養福院 →親園1345に養福院,親園1363-2に地理院鳥居マーク。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』
那須郡 熊野三社大権現 八木沢 小針豊前
*『下野掌覧』
熊野三社 八木沢村鎮座 祭主小林氏ナリ
滝澤

滝澤神社

[たきざわ神社]

栃木県大田原市・滝沢401

主祭神:大山祇神 配神:日本武尊・罔象女命
永禄五年1562藤原義基が夢告により滝壷から神像を発見してお堂に祀ったことに始る。別の縁起では三河の国の地頭の孫掃部介頼澄が応永年間1394~1428この地の街道で神霊の石像を発見して,時を経て文禄元年1592神像を祀るため不動堂を造営と伝わる。
延宝五年1677に境内に清滝寺を建立。元禄十二年1699壮麗な神殿を造営。
大正二年1913日枝神社,三霊神社を倭武神社境内に合併して「滝澤神社」と改称した。
拝殿に「瀧澤神社」額,本殿に「不動尊」「日本武神社」額。
享和四年1804石燈籠,文化八年1811石燈籠。
境内入口に多数の石像など。享和二年1802,天保十三年1842の文字が読める。
例祭:8月27日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 御霊明神 滝沢 洗能登
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
湯泉大明神 瀧澤村鎮座 祭主洗氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-6丁
同村大字瀧澤鎭座 村社 日枝神社 祭神大山咋命 建物本社二尺四方 拜殿間口三間奥行三間三尺 氏子二十一戸
木社創立不 社域五百八十七坪字瀧の上に在り
拝殿額 本殿額
日本武神社
不動の滝
大黒天
明治三十三年1900清浄水
文化二年1805庚申供養塔
明治四十五年1912十九夜供養塔
実取

湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県大田原市・実取782

主祭神:大己貴命・少彦名命 境内社:淡島神社(少彦名命)
久寿二年1155創建。三浦介源義澄(南金丸那須神社も義澄)または義純(大田原神社,中野内温泉神社)または義明(鎮国神社,加茂神社)または常胤(北野上温泉神社,千葉常胤と混同か)が那須野狩の時本陣を置いた地で,妖狐退治の成功を祈願するため那須湯本湯泉大明神を勧請。三浦介の名の方は神社の伝承でまちまち。これは検証するとおもしろいかも。もとは中国から飛来した伝説上の九尾白狐にまつわる伝承で,那須の有名社に伝わっているので,治安を乱す強力な野盗がいたのだろう。
矢板市の生駒神社(勝善神社)では勝善親王,大槻の石上神社では一條權守勝善が妖狐退治の主役。
明暦1655~58の那須野原大火で焼失。天保年間1830~44に再建。大正三年1914拝殿幣殿改築。昭和五十年1975幣殿拝殿を新築し,旧拝殿は淡島神社に転用。383坪。
旗竿の手前に「湯泉神社」と「淡島神社」の昭和三十九年1964社号標が立っている。
平成23年2011両部鳥居。
鷹ノ巣村(高野須)は明治七年1874実取村へ。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 高野須 大森近江
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
湯泉大明神 高野須村鎮座 祭主大森氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-6丁
同村大字實取鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命 少彦名命 建物本社三間四方瓦葺 拜殿間口三間奥行二間半 末社一社 氏子三十二戸總代三員 社掌阿美靜野崎村大字薄葉住
本社創立不詳 社域三百九十余坪を有し萬延二年1861八月拜殿を再築し本社は明治三十一年1898十二月氏子の尽力により輪奐たる宮殿を再建し木鳥居石の燈籠左右に並列し風色頗る佳なり 祭典は毎年九月九日を以て執行せり
荻野目

諏訪神社

[すわ神社]

栃木県大田原市・荻野目393

主祭神:建御名方命
那須七諏訪といったらしい。森田,片府田,佐良土,滝田,刈田まで分かったが一つ不明。那須與一の兄6人が頼朝によって信州諏訪に配流され,その後許されて帰国後諏訪の大明神を郷里に勧請した。
安政二乙卯年1855石燈籠にくっきりと諏訪大明神の文字。大正十一年1922出羽三山登山記念石燈籠。
寛政三年1791庚申供養塔。文化十年1813二十三夜供養塔。
例祭:8月27日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 諏訪神社 萩野目 増淵民部
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
諏訪大明神 萩野目村鎮座 祭主増淵氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-7丁
同村大字荻野目鎭座 村社 諏訪神社 祭神健御名方建命 建物本社間奥口三尺奧行四尺五寸 拜殿間口三間奥行四間 末社二社 氏子十一戸
本社創立は久壽二年1155にして徃古より鎭守神たり 社域四十九坪字澤沿に在り
荻野目

宝玉神社

[ほうぎょく神社]

栃木県大田原市・荻野目48

上記諏訪神社のすぐ北に鎭座。
何も分からない。昭和十年1935手水石。昭和参年1928石鳥居,昭和三年1928石燈籠がある。
昭和三十年1955改築。昭和四十三年1968大祭禮幟旗奉納二対。平成十二年2000に濡縁改修取付がなされているので現在も奉斎されている。
▊親 園 村(ちかその) *『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-5丁
本村は親園、實取,瀧澤,瀧岡,花岡,宇田川及ひ荻の目の舊七村を合併して一の自治區をなせしものにて其幅員東西三十四町南北三十二町あり舊奥羽街道に沿ふて各大字を連絡せり 地勢挾少にして西南に箒川東北に蛇尾川ありて土地平坦地昧又可なり村民の風俗概して素朴勤勉の風あり
古來沿革を尋ぬるに往時は各領主を異にし太田原藩領に或は旗下の釆地に分屬せられしか明治維新后廢藩置縣に當り荻ノ目村を除き他は栃木縣第三大區八小區に編入せられ后一戸長役塲の下にありしものにて町村制實施に當り荻の目村を合併して一村となるなり
本村には村社七社ありて其氏子三百九十戸人口三千七十餘人を有せり

 

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