鎮国

鎮国神社

[ちんこく神社]

栃木県大田原市・前田1073 まえた

主祭神:天照皇大神・仲哀天皇・応神天皇・神功皇后 配神:大国主命・少彦名命・豊城入彦命・反正天皇・丹治祖志麻王・大関家代々霊 顕国玉王 境内社:雷神社
久寿二年1155創建。社伝は下記『下野神社沿革誌』に詳しい。はじめ九尾狐狩りに因んで「狩野かの八幡館はちまんだて」ついで「北八幡宮」と称し,文化十三年1816「鎮国神社」と改称。1069坪,かつては隆盛を極め,延喜式神祗一部五冊をはじめ多数の古文書写本を蔵した。
▉鮎図で知られる小泉甲斐守斐[あやる]の画が二つの石碑に刻まれている。小泉斐が黒羽藩主大関増業より当社宮司に任ぜられたのは文政二年1819斐50歳の時であった。
「壇山翁墓碑銘」に「下野那須郡高尾郷溫泉大宮司」(朱傍線)とあるように小泉斐は中野内溫泉神社の大宮司もつとめた。
▉本殿裏の「黑埴城頭謹袷祖奉崇鎮圀埜祇神 天保八年1837丁酉九月日 宮司藤原朝臣光定謹▢并斐画 八風神 八雷神 八龍神 八祇神 玄翼館主伊豫守丹治比真人僧儀書」碑には小泉斐の風神雷神図が彫られている。[礻+木+土]>埜 黑埴は黒羽の語源
▉もう一基は「前温泉神社大宮司兼行祭 鎮国埜神主甲斐守従五位下藤原朝臣光定謹記 不識此神今世在 飛耒飛去守人心/八握鬚髯大神 御影也 寛政年間余 祈画▢遺之俾鏡諸石 以示後人」同じく小泉斐画鬚髯しゅぜん大神が彫られている。寛政年間は1789~1801で斐30前後の作?
「朝臣光定謹記」の行の下部の椀を伏せたような図柄に壇山の「壇」の字が見える。これは貴重品で,羽田の朝日社温泉神社にある斐画の碑にも椀を伏せたような図柄が刻まれていて謎だったが,サインとして「壇」の字を省略していたことが分かる。小泉斐は全国を渡り歩いて石を蒐集していたので,石質に詳しく,壇字を囲むと彫りにくいことを知っていた。小泉斐画の刻まれた七基すべて実に読みやすい書体でくっきりと刻まれていて浅学の者にはありがたい。石の専門家ならではの造りである。
本殿裏手の天保八年1837碑 全体 風神・雷神
鬚髯大神碑 全体 鬚髯大神
▉拜殿前に勝海舟撰文の明治七年1874「大関公之碑」。達筆すぎて読めないので,内容は大田原市の文化財解説を。
大正十四年1925「大関増業公贈位奉告祭記念木」碑。
文政三年1820狛犬。
昭和九年1934社号標。
南北二か所の入口があり,南の金精様から入ると社号標の奥に長い参道が遠くの鳥居に一直線に続いている。少し離れた北の入口からはすぐに本殿脇に出る。
大田原市黒羽体育館から森の中の道路を約320m北上するとGoogleMapに「明神」で載っている巨大な金精様が頭の上の方に立っている。小さい地蔵尊か観音さま?文化十二年1815か?が脇に。場所は鎮国神社の境内になる。
例祭:11月第二日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-43-44丁
黒羽町大字前田八幡舘鎭座 村社 鎭國神社 祭神 正殿天照大御神 仲哀天皇 應神天皇 神后皇后 反正天皇 宣化天皇 左殿大己貴命 豊城入彦命 顯國玉命 右殿丹治比古王 左大臣志摩朝臣 大關氏二十七世靈碑 祭日陰暦九月十五日
本社は徃時黒羽藩主崇敬の社にして王政維新に際し第四大區七小區の郷社たりしか明治十年八月村社に列せらる 建物本社間口二間奥行二間土藏造高欄濱縁付 拜殿間口四間奥行二間萱葺 神樂殿間口三間奥行三間杉皮葺 末社五社 木鳥居一基 神門一棟 石燈籠二基 石獅子二基 寶物太刀一振長さ三尺二寸文化十三年1816大關土佐守増業奉納 神號扁額従四位左少將松平越中守 源貞信筆文化十三年1816二月奉納 太神宮儀式解一部十二冊内八之巻欠寫本 日本後紀残闕一部十冊 百練抄一部五冊寫本 神代口訣一郡十四冊 日本紀纂疏一部八冊 雲圖鈔壹冊 貞観儀式一部五冊寫本 同私考一部五冊寫本 律疏義一部三冊寫本 國々風土記一部九冊板本一冊寫本八冊 本庁神社考一部ニ冊 延喜式神祗一部五冊 古語拾遺節解正誤一部一冊 日本紀畧一部十三冊 錺抄一部一冊 北山抄一部十二冊 冬良公聞書一部一冊 西宮記一部七冊 類衆三代格一部四冊 類聚雜要抄一部三冊 内裡式一部一冊各寫本 緑記一巻大關土佐守増業撰文并書 
修建梁碑銘曰く 鎭國靈社 伏惟我 先公下野之野披草萊而居歴 世布徳仁恤累洽令廣胖君嗣立繼業念 祖聿脩國都嘗有 八幡神祠士民奠祭蘋繁維新今茲臣民胥議以溫泉明神及 先公二十七世神碑配祀令祭脩葦殿宇洒掃莚席時以淸酌麁奠寓潔之意奉號曰
鎭國靈社自是萬斯年靈徳厚固國民永綏微臣茂淸奉公命謹記歳月告之久
     文政二年1819己卯五月十日 黒羽臣
          大沼助兵衛藤原滋淸
          主祀小泉甲斐守 斐
      文撰者 水戸 立原萬翠軒
本社氏子二十一戸總代三員 社掌小泉檀造仝町仝大字八三番地住
社傳に曰く本社は久壽二年1155下野那須野狩の時須權守貞信及ひ千葉之介常胤三浦之介義明上總介廣常等か弓矢の神に祈誓し陣營の西の岡を卜して齊ひ祀れるを以て狩野の八幡舘と稱す 此れか本社勸請の濫觴にして后建久四年1193四月右大將源願朝宇都宮朝綱小山朝政那須光資等本社を崇敬して再建す 應永元年1394三月那須刑部大輔資氏も再營す 後那須太郎資之仝五郎資重兄弟不和にて遂に亂國となる 其際本社拜殿共に兵燹に罹り寶物等も悉く灰燼に歸す 后天正年中大關矦黒羽に築城の時筑紫の宇佐と山城の男山に齊祭る八幡大神の御分霊を奉遷し改めて北八幡宮と稱す 其後裔土佐守増業丹治の出る所を慕ひて河内國丹南那丹治比神社に至り丹治比古王左大臣志麻朝臣の神靈を拜し祖宗の神木と淸埴を請ひて黒羽に持歸り文化十三年1816十一月を以て八幡溫泉の二神に配し大關氏世々の神靈をも合祀し四座の神祠となす 后官許を得て文化十三年1816十一月鎭國神社の號を賜はられ神祗管節長上従三位卜部良長公の揮毫せる扁額を掲けて神田三十五石を置き本社拜殿神樂殿舞樂殿假屋等建並て盥嗽石盤には勲舊の臣廿ー名の姓名を刻し社域千有三坪高燥の地にして古櫻老杉亭々として高く聳ひ境内淸洒にして五社の末社を配社し毎年黒羽藩主親ら齊戒して社殿に參向し祭典を行ひ社意を慰め奉りしも星移り物換り廃藩の後は社頭大に破壊し唯根越來りし榊の葱々として年に長し月に榮るのみ

参照:大田原市地域史資料デジタルアーカイブ
「鎮国社」額
天保十二年1841額 大関某書額
平成13年2001賽銭箱
檀山翁墓碑銘は読みにくい
 
檀山翁墓碑銘
勝海舟撰文大関公之碑
大関公之碑 裏は読めない 大正十四年1925植樹記念碑
手水石と寄附芳名 文政三年1820狛犬
文政三年1820 石燈籠遺構
石燈籠遺構 北入口石段 右手上方に社殿
社殿横に出る 鳥居遠望 昭和九年1934社号標
南の入口 南入口前に駐車できる 南入口入ると上方に明神
人類繁栄祈願 安産・五穀豊饒祈願 明神
地蔵尊か観音さま? ここを北上 本殿横への入口
いづな

飯縄山神社

[いづなやま神社]

栃木県大田原市・堀之内5‏/前田187

写真提供:いやし厨房火あぶりさん

主祭神:豊受姫命・級津彦命・倉稲魂命 境内社:熊野神社
文明三年1471那須資行が信州飯縄山より勧請。暴風雪霜に苦しめられた時代だった。昭和十三年1938飯綱山より現在地に遷宮。セレモニーホールくろばね会館の北,堀之内と前田の境界に。
例祭:5月5日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 愛宕大権現・飯縄大権現 並ニ前田村並ニ津田 光明寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-46丁
黒羽町大字前田鎭座 村社 飯網山神社 祭神豊受姫命 稻倉魂命 級長津彦命 建物 本社間口四尺奥行五尺 氏子五十五戸 社掌小泉檀造仝町仝大字住
本社創立不詳 社域二百四坪字飯縄山に在り
社号標
着色されていた
両社稲荷

真先寶壽両社稲荷神社

[まさき・ほうじゅ・りょうしゃいなり神社]

栃木県大田原市・前田981

主祭神:倉稲魂命・保食神
黒羽城跡公園内に鎭座。天正年間1573~92に大関家が築城した際に城守稲荷として浅草橋場の真崎稲荷を勧請。真先はもとは真崎の表記で[まっさき]と呼んでいたかもしれない。山岳修業の先導の意から転じて戦場の先駆けたらんことを祈願した。時を経て宝壽院の稲荷社を合祀して両稲荷大明神と称するようになった。維新前に「神社」に改号している。
嘉永六年1853と嘉永七年1854石燈籠に「稲荷両神社」,安政二年1855石燈籠に「両稲荷神社」 拝殿額は「稲荷社」,木製祠が左右に祀られている。昭和六十三年1988頃にも「両社稲荷大明神」表記を用いている。平成二十八か九年に覆屋を改築した。
例祭:旧暦初午日
嘉永六年1853稲荷両神社 嘉永七年1854稲荷両神社 安政二年1855両稲荷神社
以前の扉 稲荷社額 本殿二基
平成元年社号標

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県大田原市・前田1198

主祭神:伊耶那美命・迦具土命
文字が読みにくかったのか天文二年1533か天正二年1574の創建という。烏山城主那須高資の勧請なら没年が天文二十年1551なので天正二年創建が妥当。884坪,愛宕山250mに鎭座。御帝山登山口になっている。
例祭:3月第四日曜日
『鹿沼聞書』につぎの飯縄山神社とともに記載され,津田村も併記されている。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 愛宕大権現・飯縄大権現 並ニ前田村並ニ津田 光明寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-45丁
黒羽町大字前田鎭座 村社 愛宕神社 祭神伊弉冊命 軻遇突智命 建物本社三間四方 氏子五十戸
本社創立年月不詳 社域八百十六坪愛宕山に在り
黒羽田町

八雲神社

[やくも神社]

栃木県大田原市・黒羽田町502

主祭神:素盞嗚命・田心姫命 配神:大己貴命・少彦名命・熊野大神・別雷神 境内社:稲荷社・弁天神社・天満宮
1600年以前のいつ頃かに創建。明治三年1870拝殿新築。
昭和五年1930隣りにあった温泉神社,その境内社の加茂神社を合祀。
461号線沿い黒羽田町公園に駐車。「たまち蔵屋敷」「屋台庫」がある。
樹齢620-800年ほどのケヤキの巨木が聳えている。
傘は失われたが安政六巳未年1859の御神燈一対。
元禄二己巳年1689石仏。元禄八乙亥歳1695石燈籠。安永二癸巳年1773石燈籠。
昭和五年1930石鳥居。 例祭:7月20日に近い日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-45丁
黒羽町大字黒羽田町鎭座 村社 八雲神社 祭神素盞嗚命 建物本社間口二間奥行三間 鳥居一碁 末社一社 氏子百二十四戸 社掌田代龜齢仝町住
本社は慶長五年1600まて大宿の地にありしを阿久津村に移轉し(后阿久津村は)黒羽田町と改稱せり 宝永二年1705本社大に修理を加へり 社域百九十二坪平坦の地に在り
拜殿
「八雲社」額 「祇園社」額
賽銭箱 茅の輪
 
加茂神社
安永二年1773
神庫 元禄二己巳年1689
元禄石燈籠 元禄八乙亥歳1695 非才にて読めません
手水石
大けやき
大豆田

湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県大田原市・大豆田387-2 おおまめだ

主祭神:大己貴命・少彦名命 配神:火産霊命・菊理毘売命
延喜三年903創建と伝わる。川西町(大豆田)開拓の草分け・礒豊為が先祖を鬼一大明神として祀った。応永四年1397湯泉大明神と改称,現在地に遷宮,大豆田村七戸の奉祭社として記念にアカガシを植樹した。維新に際し大明神改め湯泉神社。明治四十年1907愛宕神社,昭和四年1929白山神社を合併。昭和六年1931拜殿新築,「亦更に婦女子等御神徳を仰ぎ石華表を再建狛犬を奉納」と読みやすい字で昭和六年1931「拜殿新築記念碑」に刻まれている。
湯泉神社のアカガシ樹高約19メートル,目通り約3.9メートル,推定樹齢約650年を筆頭にアカガシ20本,スギ8本,ヒノキ3本が湯泉神社の社叢として栃木指定天然記念物になっている。(平成7年1995大豆田公民館が掲げた「あかがしの森」案内板参照)
昭和六年1931「拜殿新築記念碑」 昭和六年1931石燈籠。大正十三年1924石燈籠。
昭和六十一年1986伊勢猿田彦神社参拝記念碑。
平成12年2000境内橋梁改修竣工記念碑。 *『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 大豆田 直篦出羽
入口
本殿左手 左裏手の稲荷神社
昭和六年1931石鳥居 昭和六年1931狛犬
手水石
拜殿新築記念碑 猿田彦大神 拝殿左手
あかがしの森 天然記念物指定碑
一番大きいあかがし 本殿右手
迫力がある 道標
旗杭ベンチ 橋梁改修竣工記念碑 入口の橋から下をのぞく

黒羽神社

[くろばね神社]

栃木県大田原市・黒羽田町493

主祭神:英霊一九三八柱 明治二年1869創建,官祭黒羽招魂社。昭和十四年1939黒羽護国神社と改称。昭和二十三年1948黒羽神社と改称。
平成14年2002祈願大関氏御武運長榮所碑。
例祭:10月13日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-44丁
黒羽町大字黒羽田町字大宿鎭座 官祭招魂社 祭神黒羽藩士定価は氏亘理長雄以下二十四人靈 建物本社間口一間奥行五尺 拜殿間口三間奥行二間 石華表一基 高燈籠石積立一基 社務所間口二間奥行二間 社掌小泉檀造仝町大字前田住
本社は明治二年1869十二月九日の勸請にして黒羽藩知事従五位大關増勤及ひ仝藩士一同の創建なり 而して官祭人名のものは皆戊辰の役に戦死したるものなり 社域三百十三坪高燥の地に在りて甚た眺矚に富み遥に富峯に對し八朶梁芙蓉遁徳なく⾭天を街き白々玲瓏たり 西には黒髪の諸山を臨む 山勢秀抜にして翠色濃かに染むか如く近くは市街及ひ那珂川を俯瞰し脚を伸へて踏藉し得るか如し 境内には多く櫻樹ありて花時には萬花亂發し遠くより望めは霞の如く近けは瓔珞を綴るに似たり 實に此地の一勝地たり
大祭は侮年十月十三日を以て執行せり

鹿嶋神社

[かしま神社]

栃木県大田原市・八塩456

主祭神:武甕槌命 經津主命
延宝六年1678黒羽藩主大関家が創建。
大正十五年1926字内宮沢の諏訪神社とその境内社疱瘡神社を,字岡沢添の温泉神社を合祀。
北山霊園の少し北に鎭座。
文政六癸未年1823「大黒天」
明治八乙亥歳1875「石燈籠」,明治二十七年1894「神燈」,文久三年1863か五年1865「御神燈」
手水石と明治二十八年1895石燈籠。
「駿河圀富士山登拝碑」明治二十二年1889~明治二十六年1893
例祭:10月第二土曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-47丁
黒羽町大字八鹽鎭座 村社 鹿嶋神社 祭神武甕槌命 經津主命 建物 本社間二尺五寸奥行四 末社一社 氏子四十一戸
本社創立不詳 社域二百六十一坪字北山に在り
拜殿 「鹿嶋神社」額
 
本殿左手
明治八年1875 大黒天
文久三年1863 富士山登拝碑
手水石 石垣
 
 

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・北野上1744


主祭神:大己貴命・少彦名命 境内社:神明宮・足尾神社
大同二年807創建の古社。久寿二年1155妖狐退治の伝説が伝わる社。
335坪。もと野上村。
明治二十八年1895石燈籠。朱塗りの両部鳥居。昭和三年1928旗杭。
例祭:10月9日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-45丁
黒羽町大字北野上鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命‏‏‏‏ 少彦名命 祭日陰暦正月七日
建物本社一間四方 拜殿間口三間奥行二間杉皮葺 木鳥居一基 氏子百四十三戸總代五員 社掌小室古石仝村仝大字住
社傳に日く本社は大同二年807の創立にして後 近衛天皇の御宇久壽二年1155那須野狩の時三浦介常胤上總介廣常等本社に新願し屢靈驗ありしを以て宮殿を造營す 後那須家代々の斬願所となる 后又伊王野次郎左衛門資永次に資勝資宗資信まて代々永錢八十文を寄附せらる 永禄八年1565九月大關右衛門大夫淸増再脩を加へ拜殿を造營し永錢七十六文を寄附せられ后又十三石の除地を附せられ毎年正月七日黒羽藩主躬自ら參向ありし社なりしか文久三年1863大關領地改革の事ありて除地没収せらる 社域三百二十六坪黒羽より大子街道の北側宇田澤の高丘に在り 石の神橋(明治三十四年氏子益子巳之吉寄附)を渡り十五階の石磴を躋り木の大鳥居あり 又廿五階上りて拜殿に致れは宮殿結構にして古色藹然たり 境内には老杉及ひ眞榊御用松の古木亭々と高く聳ひ神寂ひ幽邃にして頗る雅致あり

日枝神社

[ひえ神社]

栃木県大田原市・北野上3532


主祭神:大山咋命
黒羽城内に鎭座したが応永十五年1408三月北野上に遷宮。 大正元年の大修理を経て昭和二十八年1953拜殿新築。
明治六年1873次の社を合祀:
熊野神社,蛭児神社,稲荷神社,神明社,八幡神社,温泉神社,愛宕神社,雷神社
祭日:11月第二日曜日

溫泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・北野上 引橋


主祭神:大己貴命・少彦名命
昭和十一年1936旗杭。

綾織神社

[あやおり神社]

栃木県大田原市・北滝1818

主祭神:豊玉彦命・豊魂姫命 配神:大山咋命・不動明王・山廼諸神
持統天皇687〜の頃,館野宝賢が娘の絹布織技術向上のために御手谷の高い山に綾織姫大明神を勧請したと伝わる。似たような伝説は足利など他の地域にも伝わっている。那須絹は当村発祥。284坪。
御亭山[こてやさん]に間口三尺奥行五尺の石宮が祀られている。
例祭:5月第三日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-47丁
黒羽町大字北瀧御手谷鎭座 無格社 綾織神社 祭神豊玉彦命 豊玉姫命 祭日四月八日八月八日 建物本社石寶殿 鳥居一基 氏子七十五戸總代三員 社掌瀧本政雄住所仝上
社傳に曰く本社は持統天皇の御宇此里に館野實賢と云ふ長者あり 其子女に綾姫と云ふありて機業裁縫に熱く心を傾けるを以て父實賢か子女の其道の熟逹を祈んか爲めに御手谷乃高山に綾織姫大明神を勸請し倍々宗信するにより子女能く機縫養蠶に上達し綾絹を織り出し〻かは其名近郷に高く遠近の子女皆教を受けて其業を擴むと云ふ 往昔余に那須絹と稱せしは此里に始むと云々 今に機縫養蠶家は信仰して毎年四月八日より八月八日まて詣するもの麕集す 本社は北瀧の東端字御手谷の山にありて社域九十六坪高丘の地にして本社の前に綾織池の舊跡あり古昔は水漫々たる湖水にて上下に二瀑布ありしを以て上下瀧村と稱せしと云ふ 而るに延寶二年1674の秋暴雨にて山崩れ湖水漲り出て今は小なる池(池地九十坪)を存するのみ 因に云ふ舘野長者は數世を經て舘野御前の代に至り康平年中安部頼時に荷擔せしを以て源頼義に亡ほされ今に其舘跡を字舘野御前と稱す 且上瀧下瀧兩村を合併し明治維新の始めに北瀧村と號す 后明治廿二年中一の自治區に入り黒羽町とはなれり

温泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県大田原市・北滝1139


主祭神:大己貴命・少彦名命 配神:大己貴命・少彦名命
永正元年1504創建。現在は慶雲年間704~708説より新しい時代を採用している。
大膳院は修験道。明治三年1870に「温泉神社」と改称するが読みは[ゆぜん]を残した。
『栃木県神社誌』旧版では「湯泉大明神」,平成18年版では旧社号を「前」字で「湯前大明神」にしているが,御前様の連想から通称の湯前様になり社号記載の際に湯前になったのかもしれない。
明治四十四年1911黒羽北滝下滝にあった湯泉神社を合祀,祭神と配神が重なっているのはこのため。
例祭:11月23日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-45丁
黒羽町大字北瀧宮本鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命‏‏‏‏ 少彦名命 祭日九月十九日
建物本社間口三尺奥行三尺板葺 拜殿間口三間奥行二間萱葺 木鳥居一基 石燈籠二基 氏子七十五戸總代深澤和吉川上淺一郎大沼金太 社掌瀧本政雄大字仝七十五番地住
本社創立は慶雲年中にして舘野良眞の勸請なりと云々
維新前は溫泉大明神と稻し大膳院にて代々奉仕せしも明治三年四月復飾し瀧本彈馬と改め本社に奉務せしむ 社域二百二十坪高燥の地にして石磴二十階躋れは淸洒たる境に古杉及ひ槻の老樹蓊蔚にて周圍二拾余尺ありて枝四方に蔓延し其幾百年を經たるを知らすと云へし故に古社にして神威の尊さを知るのみ
八雲

八雲神社

[やくも神社]

栃木県大田原市・北滝1187

主祭神:素盞嗚命
上記温泉神社の北西,那珂川を見下ろす県道27号線沿いに鎭座。
昭和五十五年1980旗杭。
例祭:?
八雲神社 暗くて見えない
那珂川左岸 切株 昭和五十五年旗杭
片田

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・片田1065


主祭神:大国主命・少彦名命
文治元年1185創建。天文十三年1544黒羽藩主大関宗増逝去したのでその木像を彫って社脇に安置,後に厨子も作ったが明治二十三年1890木像を残して全焼,大正四年1915現在地に再建遷宮。443坪。
例祭:4月第一日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-46丁
黒羽町大字片田鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命‏‏‏‏ 少彦名命  建物本社間口三尺五寸奥行二尺二寸 拜殿間口三間奥行二間 氏子二十四戸
本社創立年月不詳 社域三百九十九坪平坦の地にして字根岸に在り

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・片田1676

主祭神:大己貴命・少彦名命
文治二年1186黒羽藩主大関家が創建。339坪。
例祭:4月第一日曜日

湯泉神社

[ゆぜん神社]

栃木県大田原市・片田1488

主祭神:大己貴命・少彦名命
仁治年間1240~43亀山城主片田氏が創建。慶長八年1603落城の後は黒羽藩主大関家が崇敬。200坪。
例祭:10月27日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
那須郡 湯泉大明神 山田 郡司伊予 →山田は明治九年片田村に
*『下野掌覧』万延元年1860 那須郡之部
湯泉大明神 山田村鎮座 祭主郡子氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-46丁
黒羽町大字片田鎭座 村社 湯泉神社 祭神大己貴命‏‏‏ 少彦名命‏
建物本社間口五尺奥行一間二尺五寸 末社四社 氏子二十二戸
本社は勸請不詳 社域百二十六坪字寺山に在り

金毘羅神社

[こんぴら神社]

栃木県大田原市・片田992

主祭神:大物主神・崇徳天皇
隣りに曹洞宗萬亀山金秀寺。
龜山城の北。
宝暦二壬申年1752青面金剛明王,馬頭観世音など多数。

岩室神社

[いわむろ神社]

栃木県大田原市・堀之内470

主祭神:大己貴命・少彦名命 境内社:神武天皇社
創建年等不詳。明治六年1873三嶋神社・稲荷神社・星宮神社・日枝神社を合祀して「岩室神社」と改称。
昭和五十四年1979石鳥居。
例祭:11月第二日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-46丁
黒羽町大字堀野内鎭座 村社 岩室神社 祭神大己貴命‏‏‏ 少彦名命‏
建物本社間口二尺奥行三尺三寸 末社四社 氏子四十七戸
本社は往時領主大關氏より祭祀料として年々米七斗つ〻寄附せられ領主崇敬の社たりしか廢藩と〻もに止めらる 社域百五十七坪字岩谷に在り

生駒神社

[いこま神社]

栃木県大田原市・亀久1147 かめひさ


主祭神:大宜津毘売命 境内社:稲荷神社

例祭:月日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-46丁
黒羽町大字龜久鎭座 村社 生駒神社 祭神大宜津比賣命 建物本社間口二尺奥行二尺に寸 拜殿間口三間奥行二間 木鳥居一基 石燈籠二基 氏子三十八戸 
本社創立は寛政八年1796にして衆庶崇敬の社にあり 毎年二月初午日には多くの馬參詣ありて境内に群集す 社域三百六十三坪高燥の地にあり

日光神社

[にっこう神社]

栃木県大田原市・亀久223

主祭神:源家康朝臣 境外社:加茂神社
天保十二年1841創建。
例祭:3月第二日曜日

鷲子神社

[とりのこ神社]

栃木県大田原市・矢倉322

主祭神:天日鷲命 配神:木花開耶姫命 境内社:水神社
馬頭の鷲子山上神社より勧請。創建年等不詳。明治三十年1897頃現在地の富士山に遷宮,木花開耶姫命を配神とした。
県道298号線をはさんで眼下に那珂川の清流を見下ろす。水色の鳥居が鮮やか。
例祭:12月第一日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-47丁
黒羽町大字矢倉鎭座 村社 鷲子神社 祭神天日鷲命 木花開耶姫命 建物本社間口二尺五寸奥行三尺 氏子十四戸
本社勸請年月不詳 社域二十一坪字富士山に在り
青色鳥居 鷲子神社
県道298号線から 暗すぎ・拜殿内 本殿覆屋
水神社 那珂川が見える


▊黒 羽 町 *『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-43丁
本町は黒羽田町、八鹽,前田、堀之内、北野上、北瀧,片田,矢倉,龜久の舊一町八村を合せて一の自治區となせしものにて其幅員東西一里南北三里十八町にして人口の多きこと六千余人に至る 黑羽田町は商家連携榔比し北野上前田堀之内は茨城街道に八握北瀧片田矢倉は馬頭街道に沼ふて相連り地勢山脈連亘して東北南の三面を限り西方一帯那珂川を控ひて川西町と相臨めり 黒羽田町は商業者多く繁盛の市街地にして風俗活發の風あり他は農業に従事し専ら勤勉せり
古來の沿革に付ては往時は黒羽藩廳の治所にして同藩の領邑に係り明治維新后廃藩置縣の令出つるや明治四年十一月宇都宮縣の所轄に歸し次て栃木縣に属し第三大區七小區に編入せられ次て二戸長役塲の支配となりしか町村制實施に當り更に之を合せて一の自治團体となし以て現時に及ひしものとす
本町には官祭招魂社及ひ村社十三社有名の無格社一社戸數八百余戸を有す

大田原の神社は小生間質性肺炎を患い,経済的・体力的に回れそうもありませんので,下調べだけにとどめます。ご勘弁ください。

 

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