大田原市・須賀川・州崎・南方・雲岩寺・川上の神社資料

須賀川

鹿島神社

[かしま神社]

栃木県大田原市・須賀川2039

主祭神:武甕槌命 境内社:冨士神社・八雲神社
大同元年806創建。社伝は下記の『下野神社沿革誌』に詳しい。654坪。
石敷きの参道,覆屋なしの立派な本殿,古社にふさわしい構造で現在に伝わっている。
県内屈指の貞応三年1224建立の木鳥居の痕跡が明治期には残っていた。
坂上田村麻呂奉納の十一面木像観世音が神宮寺毘沙門堂に。延宝二年1674奉納の掛軸。
例祭:4月9日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-48丁
須賀川村大字須賀川鎭座 村社 鹿嶋神社 祭神 武甕槌命 祭日陰暦二月十九日七月七日九月十九日
建物本社間口一間四尺奥行一間五尺栃葺 幣殿間口一間奥行二間半杉皮葺 拜殿間口三間奥行二間萱葺 末社五社 木鳥居一基 寶物古書掛軸三國筆海堂書一幅 緑記書一巻 氏子百九十三戸 社掌佐藤武雄仝村仝大字九十六番地住
社偉に曰く人皇五十一代桓武天皇の御宇右大將坂上田村麿東征の時武甕槌命を祀り戰勝を祈りしか速に平定の効を奏せしを以て常野奥の三州に鹿島神祠を五十三社創建して神恩を報賽せんとて三國の淸地わ撰定せしむ時當社も其一社にして此郷名を須賀郡(須賀は清浄の義也)と稱し又本社の西に流る〻川を須賀川と云ひ此より人家増益するに従ひ田甫開け須賀川の水を掲けて灌漑に用ひしを以て川名を改めて田作川と稱す(明治維新后押川と改む)往古本社は田村將軍の勸請にて宮殿も宏大壯麗社領も附せられ頗る盛社なりしも常陸の佐竹氏と那須家と縷戦闘により遂に兵燹に罹り神寶古記録等も灰燼に帰し哀類に赴しを天正年中領主黒羽大關美作守高増崇敬により社殿を再建し社領二十石余を寄附し社稷の神と崇め大關家世々社殿を修理し崇敬怠らす 本社は往古鹿嶋大明神と稱せしか天明六年五月廿七日宜旨を以て太神宮號を授けらる 明治五年社格改定の際鹿嶋神社と改稱し村社に列せらる 奉仕の神主は往古より佐藤家にて世襲せり 社域六百五十四坪高燥の地にして須賀川の中央に位し常磐の神橋を渡りて三十四間の馬塲を過き石磴五階を躋り華表あり 石磴二段を躋れは拜殿に達す 石の燈寵左右に並列し天然石の水盤あり境内には老杉巨檜槻の大木繁茂し晝尚暗く本社は南に向へ背には鹿嶋山を負へ又四隣を望めは鹿嶋の發景あり日く加茂秋月(本社の坤方に當り加茂神社を云ふ)愛宕神祠(本社の南に方り山上にあり)絶壁臨流(本社の南にあり)田作漁火(田作川にて夜漁火を云ふ)我妻雪霽(本社西北に方り吾妻山と云ふ)城迹過雁(本社の北に方り要害の跡なり)八東挿袂(本社近方の田名稱と云ふ)常磐飛螢(本社神橋を云ふ)本社の四方峻嶺巍々として聳ひ手を以て摩し得るか如く實に全郡の一勝地にして四時の眺めに最佳なり 殊に往古は本社を距ること一町の所に木の大華表あり夫より二十町の所に木の大鳥居ありと(今は朽腐して根石を存するのみ)此鳥居は貞応三年1224二月大關土佐守増親の命により侍臣稻澤三郎兵衛奉行して建設せしものと云々
社寶には古書及ひ陸軍少將正四位大沼渉氏の揮毫せし神號の扁額を藏す

秋葉神社

[あきば神社]

栃木県大田原市・須賀川4096

主祭神:火産霊命 境内社:稲荷神社
元禄七年1694創建。113坪。
例祭:3月28日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-50丁
須賀川村大字須賀川鎭座 村社 秋葉神社 祭神軻遇突智命‏ 祭日陰暦八月十八日
建物本社間口一丈奥行二間半杉皮葺 鳥居一基 石燈籠一基 信徒五十戸 社掌長谷川亀+今之助仝村大字仝三十六番地住
本社勸請は本村藤原知安元録七年1694遠州秋葉山より御分靈を奉遷して祀りしか濫觴なり 后文化八年村民五十戸彌尊信して祭典を行ふ 別當には菊藏院を充て常に祭祀怠らさりしか明治維新に際し復飾し長谷川浦雄と改め本社に奉仕せしむ 社域百十四坪秋葉山の高丘に鎭し里道より入ること三十間余押川の淸流を渡り行くこと五十間にして山下に到る 此より躋ること五十間にして華表あり又十間余登れは社殿に逹 す境内には杉樹蒼々として繁茂し東に連山を背ひ西は押川を下瞰し本字一郷を望む 風致幽静にして愛すへし

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県大田原市・須賀川3370

主祭神:火産霊命 配神:八雷公大神
文政十三年1830創建か。同年銘の仏師増子右近作の御神体があるらしい。30.7坪。
例祭:旧暦2月24日

金刀比羅神社

[ことひら神社]

栃木県大田原市・須賀川1715

主祭神:大物主命
創建年等不詳。古い棟札に金毘羅大権現拝殿新造天保十四年1843とあるので,これより以前には鎭座した。かつては拝殿があった。93坪の境内に小型の木製祠。
例祭:旧暦3月10日

雷神社

[らい神社]

栃木県大田原市・須賀川4135

主祭神:大雷神
詳しいことは分からない。山中の30.7坪の境内に小型の木製祠があったはずだが今はない?
例祭:旧暦3月2日

三島神社

[みしま神社]

栃木県大田原市・須賀川4439

主祭神:大山祇命 境内社:稲荷神社
詳しいことは分からない。慶応元年1865棟札。23坪の境内に亜鉛葺の木製祠。
例祭:旧暦3月9日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県大田原市・須賀川4179

主祭神:火産霊命
創建不詳ながら文政三年1820の記録が残る。山中の94坪の境内に小型の木製祠があったはずだが今はない?
例祭:旧暦2月24日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県大田原市・須賀川4724

主祭神:火産霊命
詳しいことは分からない。69坪の境内に覆屋と亜鉛葺木製祠。
例祭:3月第三日曜日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県大田原市・須賀川4941

主祭神:火産霊命
創建不詳ながら寛政八年1796石灯籠がある。26.37坪。
例祭:旧暦2月24日

八雲神社

[やくも神社]

栃木県大田原市・須賀川4978

主祭神:須佐之男命
創建不詳。最も古い修理の棟札は寛保二年1742。297坪。
例祭:旧暦6月15日

羽黒神社

[はぐろ神社]

栃木県大田原市・須賀川870-3/4517

主祭神:?
詳しいことは分からない。拜殿額は「羽黒神社」,ゼンリンには須賀川870−3黒羽神社で載っている。
洲崎神社

洲崎神社

[すざき神社]

栃木県大田原市・須佐木934 すさぎ


主祭神:天太玉命 配神:菅原道真公・建御名方神 境内社:稲荷神社
社伝は下記に詳しい。
例祭:4月第三日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-49丁
須賀川村大字須佐木錐座 村社 洲崎神社 祭神天太玉命 建物本社間ロ一間二尺奥行一間三尺 雨覆間口二間半奥行四間 拜殿間口三間奥行二間 末社二社 氏子八十七戸
社傳に日く永長元年1096中村内疫病流行し既に邑舎退轉に到らんとす 依て村民一同天に仰き地に伏して神明を祈ること一七日或夜神人あり枕上に現はれて曰く天太玉命を祭れは邪疫息む努め疑ふこと勿れと言ひ了つて忽に見えす 其神を祭れは忽然として疫息み病癒ゆ 後安房國一の宮天太玉命を遷祀し宮殿を大に起す 後長治二年三月藤原貞信八溝山の豪賊岩嶽丸退治として發向の砌り本社に祈願し遂に豪賊を討治し其功により従三位下野守に拜し邑を那須に賜りしを以て本社の社地及ひ神田等を寄附し其規摸今に之あり 後の領主大關氏よりも五石八斗四升八合の除地を附せられ宮殿巨大にして隆盛なりしに元和元年1615中本社拜殿とも島有に歸し后文化九年1812二月再建す 社域三百入十九坪高燥の地に在り老樹蓊蔚として神寂ひて雅致あり

寅卯神社

[とらう神社]

栃木県大田原市・須佐木789 すさぎ


主祭神:豊城入彦命
承応二年1653宇都宮二荒山神社より勧請。宇都宮から見て寅卯の方角東北東に当たるので寅卯大明神と称した。明治五年1872寅卯神社。262坪。
例祭:4月第三日曜日

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県大田原市・須佐木765 すさぎ


主祭神:火産霊命
寅卯神社のすぐ北。

金刀比羅神社

[ことひら神社]

栃木県大田原市・須佐木2033-3 すさぎ


主祭神:大物主命
詳しいことは分からない。

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・南方327-1→278 なんぼう

主祭神:大己貴命・少彦名命
正和元年1312和池氏が創建。慶長元年1596再建。昭和三十二年1957拝殿新築。社域は昭和二十五年1950少し拡張して143坪。
例祭:9月29日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-49丁
須賀川村大字南方鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命‏‏‏‏ 少彦名命
建物本社間口六尺奥行六尺 雨覆間口九尺奥行二間 鳥居一基 氏子五十戸總代二員 社掌同上
本社創立は正和元年1312にして和地氏の勸請なり 后慶長元年正月領主大關氏崇敬により再建す 社域九十坪にして前は大川澤に向ひ左に桃川の淸流淙々として鳴り境内には古樹亭々として高く聳ひ風景佳なり

山神社

[やま神社]

栃木県大田原市・南方698 なんぼう

主祭神:大山祇命
詳しいことは分からない。場所特定できない。70坪。
例祭:1月17日

五條天満宮

[ごじょうてんまんぐう]

栃木県大田原市・雲岩寺203


主祭神:菅原道真公 境内社:五条神社・三王宮
五条神社あるいは山王宮と称した。いつの頃か字西輪の天満宮と合併して天満宮を社号とした。天正十八年1590焼失するも文禄元年1592には再建。187坪。
雲岩寺向かいの公民館の奥に国土地理院の神社マーク,少し北の露久保公民館に旗竿が見える。
例祭:3月第二日曜日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-49丁
須賀川村大字雲岩寺鎭座 村社 天満宮 祭神 管原道實霊
建物本社間口一間半奥行二間 氏子三十戸
本社は天正十八年兵火の爲に灰燼に歸し詳ならす 社域百五十一坪字森に在り

温泉神社

[おんせん神社]

栃木県大田原市・川上

主祭神:大己貴命・少彦名命
現在社不明。
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-48丁
須賀川村大字川上鎭座 村社 溫泉神社 祭神大己貴命‏‏‏ 少彦名命‏
建物本社間口五尺奥行五尺各二社 拝殿間口三間奥行一間半 華表一基 末社八社 氏子五十戸總代二員 社掌鮎澤卯源仝郡兩郷村大字川原七七番地住

本社創立は大治二年1127十二月にして安產擁護の神にして那須費隆の夫人崇敬し社殿を再建せりと云々 社域二百四十坪にして境内には老杉蓊欝にして幽遂なり 社有財產として水田一反一畝歩を有す

大頭龍神社

[だいうりゅう神社]

栃木県大田原市・川上240


主祭神:大己貴命
長治二年1105頃には鎭座した。社伝は下記の『下野神社沿革誌』に詳しい。
昭和三十三年1958石鳥居。
木製祠が10社ほど並んでいる。
例祭:11月23日
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-49丁
須賀川村大字川上字原鎭座 村社 大頭龍神社 祭神大巳貴命
建物本社間口三間半奥行三間 末社一社 氏子十七戸 社掌同上
本社創立年月不詳 由緒は長治二年1105三月讃岐の住人藤原權守貞信及ひ當國大檞郷大藏影光勅を奉し八溝山高笹ケ原巖嶽丸追討遂に悪頭滅亡すと雖も其魂氣縷崇をなす依て八溝山權現へ祈願し神託を蒙り本社に悪靈を鎭祀し頭澤大明神と崇敬す 後大頭龍權現と改號す 明治維新后今の神社に改む 社域五百五十六坪を有せり

▊須賀川村  *『下野神社沿革誌』明治三十六年1903 巻八-47丁
本村は須佐木,須賀川,雲岩寺,川上及ひ南方の舊五村を合せしものにて其幅員東西二里南北五里二十四まちあり地勢山岳重畳して四方相連り平地少なく須佐木須賀川は茨城街道に沿ひ各部落山間に散在せり 一道の溪流其間を走るものあり之を須賀川と稱す 村民朴直にして農耕に従事し頗る勤勉の風あり
古來の沿革に付ては黒羽藩及ひ幕府の領邑に屬せしか維新后共に栃木縣に屬し第三大區七小區に編入せられ后一戸長役塲の所轄に歸し次て町村制實施に當り相合して一の自治体をなし以て今日に至りしものとす
本村には村社六社外無格社一社ありて戸數三百九十戸人口三千二十余人を有す
大田原の神社は小生間質性肺炎を患い,経済的・体力的に回れそうもありませんので,下調べだけにとどめます。ご勘弁ください。

 

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