網戸神社

網戸神社

[あじと神社]

栃木県小山市・網戸2025 あじと

祭神:田心姫命 配神:大山祇命・天兒屋根命・木花開耶姫命
境内社:水神社・天満宮・千形神社・権衛兵稲荷神社・三峯神社‏/以下大正三年から,奥瀬神社・八坂神社・皇宮神社・熊野神社・神明宮
旧地名:小山市・網戸折本102 下都賀郡生井村大字網戸
社伝では大同元年806は再建の年で,創建ははるかに遡るので不明。由緒書きで延喜式神名帳記載の胸形神社にあたるといわれるが「詳らかではない」としている。網戸村はむかし寒川郡に属した。明治二十二年1889から生井村の大字。
天慶三年940藤原秀郷が將門追討祈願をし,文治三年1187源頼朝が所領を寄進するなど,そうとうの古社であることはまちがいない。1366坪。
大正三年1914渡良瀬川改修工事に伴い本宿から700m北の旧城内に遷宮。同年8月19日,以下の5社を合祀。沼ノ台の浅間神社,庚申塚の皇宮神社,高場の熊野神社,折本の奥瀬神社,本宿の八坂神社,大境の神明宮。
なお本宿集落センターが思川右岸の網戸2107にある。思川は栗橋で渡良瀬川に合流するので「渡良瀬川改修工事に伴い」となる。社の東に網戸城の本丸があり,古城と呼ばれる。文和年間1352~56に網戸十郎朝村の築城。それゆえ「旧城内に遷宮」となる。
享保二年丁酉1717石鳥居。「正一位網戸大明神」額裏に文字が刻んであるが,撮影失敗。大正十四年1925社号標。大正二年1913と大正七年1918石燈籠。拝殿前に昭和五年1930狛犬。拝殿右手に明治三十四年1901富士浅間大神。
稲荷神社のいちばん古い狛犬は明治十九年1886。
境内社左手の石祠は左から明治二十三年1890,天明五年1785天満宮。
覆屋内の石祠は左から明治八年1875,明治三年1870,明治二十七年1894,安政五年1858。
例祭:旧暦2月12日 9月13日 権衛兵稲荷神社冬至祭:12月23日 和紙の人形お炊き上げ
網戸神社公式web
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
寒川郡 正一位 大明神 綱戸 久楽持長門
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 大明神 網戸村鎮座 祭主久樂持氏ナリ
*『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻48丁
下都賀郡生井村大字網戸鎭座 村社網戸神社 祭神大山祇命・田心姫命 建物本社一間四方 拜殿間口四間奥行二間 氏子百四十八戸
本社は大同元年806十月二十八日の創立にして 社域一千五百三十一坪字本宿に在り
享保二年1717石鳥居 正一位網戸大明神 300年の風格
額裏に文字
由緒板 詳しい由緒
拝殿前狛犬角あり
手水石
浅間大神 北向天満宮
右:天満宮
稲荷神社 稲荷神社狛犬
稲荷神社本殿 中央神輿湖 神輿
八坂神社
八坂神社 皇宮神社・奥瀬神社
網戸城趾解説板 思川堤防
御朱印 聚落入口 網戸神社の札
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県小山市・網戸1221 あじと

祭神:火産霊命
覆屋内の昭和六十二年1987の愛宕神社由緒が板額に書かれている。格子越しなので斜めからの写真になり読みにくいですが,ご勘弁を。概略は次のとおり。
「創立年不詳。かつて当社は東流する思川の堤上にあって西に氏子の屋並を睥睨し,これを守護して鎭座していたが大正五年1916四月現地に遷宮した。そもそも愛宕神社はその性格としては「火の神」であるが,これはまた村境にあって村落を守る社でもあった。神仏習合のころは勝軍地蔵を本地仏とし愛宕権現と称した。愛宕神社と地蔵尊が元来境界や大地に関係しているという類似性によるものであるが更に勝軍を冠するに至ったのは境の神,塞の神を塞地と呼ぶところからの転訛であるという。しかもこの勝軍という名によって中世武人の大なる崇敬の的ともなったのである。さて当愛宕神社は村境に鎭り良民の安寧を守って幾星霜,明治三十九年1906四月十日社殿は一新され遷宮にもよく耐えたがこの度老朽化を嘆く氏子一同の総意はここに新築の美を更に重ねた。昭和六二年丁卯十月吉日」
朱色のお堂は観音堂。その横に大正三年1914なんとか観世音など,向かいに大正二年1913馬頭観世音。
例祭:10月24日
享保二年1717石鳥居 正一位網戸大明神 300年の風格
額裏に文字
由緒板 詳しい由緒
浅間神社

浅間神社

[あさま神社]

栃木県小山市・網戸612 あじと

祭神:木花開耶姫命
詳しいことは分からない。

生井村 *『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻47丁
本村は上下生井,白鳥,網戸,楢木,生良の舊六村よりなれるものにて幅員東西凡二十四町南北凡ニ里十余町に亘り民居は概ね思川の西岸に沿ひ南北に連り地勢西北に奥良川及ひ巴波川を繞らし東南に思川を帶ひ自ら一區域をなせり 村民能く農蛋業に勤勉し就中蛋業は年一年に擴張するの勢ひあり
古來沿革に付ては徃時は共に古河藩領に在り維新後共に第四大區三小區に編成せられ後又二戸長役塲の所轄に属し次て今日の自治一村をなすに至れり
本村には村社六社氏子戸數五百九十四戸人口三千六百三十餘人を有す

 

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