安房神社

[あわ神社]

小山市・粟宮1615

主祭神:天太玉命・菟道稚郎子
配 神:火産霊命・木花開耶姫命・大己貴命・天津神・国津神
境内社:粟作翁神社・船太郎神社・雷電神社・稲荷神社・道祖神社・山神社・厳島神社・琴平神社・菅原神社・水神社
旧地名:小山市・粟宮字宮の内
栃木県十二延喜式内社の一。小山市には胸形神社,高椅神社(下総國結城郡から編入)と合わせて式内社が計三社ある。
とんでもない伝説が伝わっている。紀元前に現在の千葉館山を出た一行が当地にたどり着き安房神を奉祭した。思川をさかのぼってきた時,船頭をつとめたのが舟太郎といい,現在も大橋家に祀られている。辿り着いた一行に粟がゆをふるまった土地の老人を「粟つくりの爺や」と呼んで敬い神に祀った。粟の産地であり粟宮の地名となった。神輿渡御の際には粟の穂を飾る。平成21年に本殿裏手に「粟作翁神社・船太郎神社」相殿で一詞に祀られている。
それから千年後の俵藤太秀郷の自筆が保存されているというのも県内では珍しい。
本殿には『下野神社沿革誌』記載のとおり見事な彫刻が施されている。明治四十年1907神殿狛犬。
文政十一年戊子之仲冬1828と刻まれた狛犬。昭和十二年1937狛犬。
境内左手に神庫,神輿殿,合祀社八社。この裏手の多数の石祠は合祀社や境内社の旧石宮だろう。
石段の上の石鳥居は昭和五十六年1981。玉垣内左手に大正二年1913社殿改築記念碑,平成七年1995石燈籠奉納碑,何かの小山市文化財指定記念碑,昭和五十六年1981鳥居玉垣建設記念碑。文政十一年戊子冬仲1828石燈籠。
玉垣内右手に昭和三十年1955拜殿銅葺記念碑。平成二十一年2009両部鳥居,御末社7社建設記念碑。
神楽殿右手に昭和廿六年1951神楽殿御造営碑。となりの屋根付き立看板には足利政氏,晴氏書状,小山成長指示書などの古文書の写真,太々神楽奉納絵馬,粟がら大みこしの写真など貴重なものが展示されている。左手の銅葺小祠は雷電神社。
例祭:11月21日 7374坪。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』(1800年頃成立) 3か所に記載あり
神名帳十一社 寒河郡二座並小 阿房アワノ神社(今は都賀郡に属す)
式内十一社 阿房神社 正一位粟宮大明神 (都賀郡粟宮)
都賀郡 正一位 粟宮大明神 粟宮 小野寺靱負
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
延喜式ニ載タル當國十一座 阿房神社 今ハ都賀郡ニナル粟ノ宮村ナリ 祭神太玉命ナリ 祭礼ハ九月九日十一月巳ノ日亥ノ日ナリ 除地八反歩アリ 神主小野寺氏ナリ
*『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻38丁
下都賀郡間々田村大字粟宮鎭座 延喜式内 郷社 粟宮神社 祭神 天太玉命 菟道稚郎子命 祭日陰暦大祭十一月初亥日又は巳日小祭三月二十一日九月九日
建物本社一間四方栃葺 拝殿間口三間奥行二間半萱葺 木鳥居二基 末社十社 石燈籠二基 氏子百五十戸總代三員 信徒二千戸 社司戸賀崎音三郎安蘇郡犬伏町大字犬伏三百七十四番地當時仝村大字仝元別當神宮寺跡寄留
社傳に曰く本社創建詳かならすと雖も延喜式内明治郷社にして衆庶の信仰あり 殊に下野守藤原秀郷崇敬の社にして天慶二年939八月十一日を以て當社へ心願をなし神職へは三七日丹精仕へき旨の命令状を賜り今現に本社寳物の第一にありて明治十五年1882中内務省の検定済みにて本社に下附せられたり 社寶には藤原秀郷の奉納せる太刀一振古獅子二頭鋸形の錦旗二流なり 社域三百坪馬塲東南二筋ありて東は七十二尺にして奧羽國道に貫接し南は長さ千二百尺あり 境内平坦にして石の反橋を渉り十四階の石磴を躋りて四十二尺の敷石を歩めは拜殿に至る 仰き見れは彫刻美術にして本社の左右の側面及裏面には鳳凰と牡丹の深彫あり 又拜殿の御拜の上には七童兒の遊樂する形状の彫刻あり 是れ飛騨の工の作せる所にして國家に事あらんとする時には其童兒の容貌に自ら喜怒の情を顕すとかや土俗傳へるあり 社宇の結構善美を盡し燦然として目を奪ふ 境内には松杉雜樹蔚々蒼々として社殿を繚繞し瀟洒にして嚴粛なり 下野守藤原秀郷自筆の命令状の文左の如し
七童児
粟字も 奉納額多数
大きな本殿
右側面 背面
左側面
神殿狛犬 明治四十年1907
社殿改築記念碑など
拝殿銅葺記念碑など 神楽殿
神楽殿御造営碑 宝物案内板
雷電神社 本殿右裏手
平成21年新築
文政十一年戊子之仲冬 昭和十二年
右から合祀社,神輿殿,神庫 八社
神輿殿 裏手 多数の石宮
稲荷神社?
鳥居は二か所にあり,ひとつは東に23mほどの国道四号線沿い,ひとつは南西に360mほどに。
四号線沿いに昭和二年1927石鳥居。昭和十四年1939石燈籠。昭和25年1950社号標。
南東参道に昭和二年1927石鳥居。昭和五十七年1982社号標。南東から向かうと朱色両部鳥居に出る。神橋を渡ると正面に玉垣。鳥居左手に文化八年1811石橋奉納記念碑。
右手の池に水神社。昭和三年1928石鳥居。社殿も同年の建築で東京市浅草の大橋さん外六名による寄進。
大正二年1913手水舎うしろにある献納者芳名碑には明治四十年1907鳥居奉納から昭和十四年1939石塔(燈)籠までの寄進一覧が刻まれている。
国道4号から 昭和二年1927石鳥居 由緒
延喜式内 不明 4号線方向
東南の鳥居 昭和二年1927石鳥居
参道途中 両部鳥居
右手は水神社
文化八年1811石橋奉納記念碑 水神社
水神社
昭和三年1928 社殿方向
手水舎
安房神社のモミ群落 由緒
奉納記録 旧御神木の杉
鎌倉道標識 鎌倉道入口
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

小山市・間々田2330-1

境内社[高龗神社]

主祭神:誉田別命 境内社:厳島神社・稲荷神社
思川と4号線の間の間々田八幡公園に鎮座。2万坪の森。八幡宮は3900坪。なにしろ広大。
天平729-49頃の創建と伝わる古社。享和年間1801~04焼失,嘉永四年1851再建。
拝殿左手に「八龍神社」,中にユニークな龍が2体。5月5日に町中を練り歩く。
「蛇祭り音頭」の歌詞が掲げられている。5番の八大龍王が高龗神にぴったり。しかしながらこちらはシャガラ龍王らしい。
『栃木県神社誌』新版付録には「境内社:高龗神社」と記録されているが,どれにあたるのか不明である。
拝殿右手の社には雷電,愛宕,淡島神社が合祀されている。こちらに元は八大龍王神社の名で祀られていた。5月5日に盛大に蛇祭りが挙行される。
本殿:権現造杮葺 拝殿:権現造瓦葺 例祭:9月15日 蛇祭:5月5日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正八幡宮 間々田 浄光院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 四巻-40丁
下都賀郡間々田村大字間々田鎭座 村社 八幡宮 祭紳譽田別命 建物本社間口一間奥行一間五尺 拜殿間口三間奥行二間 末社三社 氏子二百五十六戸
本社は天平年間の創立にして三千四百九十七坪の境に在りて社殿壯麗なり
右が八龍神社
二匹目 合祀社が祀られている社殿 1行消されている
広大な境内
琴平神社

琴平神社

[ことひら神社]

小山市・間々田1137

主祭神:大物主命 配神:木花開耶姫命
創建年不詳。合祀した浅間神社の鰐口は大同二年807鋳造と刻まれていた。現在は明治初年に掛け替えられた神鈴が残っている。浅間神社の方が古い可能性が高い。152坪。 例祭:4月15日
厳島神社

厳島神社

[いつくしま神社]

栃木県小山市間々田2371

主祭神:市杵嶋姫命
詳しいことは分からない。
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]乙女八幡宮

栃木県小山市乙女1249 字西館

写真提供:Roku Jiiさん

主祭神:譽田別命 境内社:大杉神社
鎌倉時代1185~1333の創建。昔の広大な境内は乙女八幡宮公園になっている。300坪。
元禄十六年1703石鳥居。
例祭:10月第一日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八幡宮 乙女 光明寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 四巻-38丁
間々田村村大字乙女鎭座 村社 八幡宮 祭紳譽田別命 建物本社間口四尺奥行一間 拜殿間口三間半奥行五間二尺 氏子百八十戸
本社勸請年月不詳 社域二千四百九十七坪にして字西館の淸洒の地に在り
  一の鳥居 一の鳥居解説
二の鳥居 八幡宮額
八幡社額
 
  八龍神社
神庫
文化十年1813狛犬
  天水鉢の蛙
  光明寺跡地に土俵
 
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]若宮八幡宮

栃木県小山市乙女1032 字寒沢

主祭神:譽田別命 境内社:大杉神社
創建年不詳。300m西の満福寺に属した八幡社で安永七年1778以前には鎭座した。159坪。
例祭:11月10日 大杉神社神輿渡御:8月1日に近い日曜日
大杉神社

大杉神社

[おおすぎ神社]

栃木県小山市乙女1899-5

主祭神:素盞嗚命
思川左岸堤防下,北に乙女河岸跡。
神明宮

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県小山市乙女1183 字町屋

主祭神:大日靈貴命
創建年不詳。乙女河岸の高台に鎭座。銅鳥居。石燈籠二対。339坪。
例祭:11月23日
雷電神社

雷電神社

[らいでん神社]

栃木県小山市乙女1-25-8

主祭神:大雷命
泉龍寺の北に鎭座。
御嶽神社

御嶽神社

[おんたけ神社]

栃木県小山市乙女991

主祭神:大己貴命・少彦名命か
須賀神社

須賀神社

[すが神社]

栃木県小山市東黒田233

主祭神:素盞嗚命 配神:伊邪那美命・猿田彦命・火産霊命・天津兒屋根命・大日靈貴命・菅原道真公
創建年不詳。鎌倉後期と推定される。343坪。
明治四十四年1911,白山神社・猿田彦神社・菅原神社・愛宕神社・三峯神社・神明宮を合祀。
昭和三年1928字呉竹から現在地に遷宮。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 牛頭天王宮 黒田 村民
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 四巻-40丁
下都賀郡間々田村村大字東黒田鎮座 村社 須賀神社 祭紳素盞嗚命 建物本社六尺四方 拜殿間口二間奥行六尺 氏子十四戸
本社勸請年月詳かならす 社城三百四十八坪字呉竹に在り
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県小山市西黒田245

主祭神:譽田別命 境内社:山神社・厳島神社・庚申神社(猿田彦命)
創建不詳。鎌倉時代1192~1333と推定される。1263坪。
例祭:11月15日 *『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 牛頭天王宮 黒田 村民
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 四巻-40丁
下都賀郡間々田村大字西黒田鎭座 村社 八幡宮 祭紳譽田別命 建物本社間口九尺奥行二間 拜殿間口三間奥行一丈 末社二社 氏子四十六戸
本社創立不詳 社域一千二百五十七坪を有し字九八幡に在り
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県小山市西黒田520

主祭神:譽田別命 配神:大山祇命・猿田彦命
創建年不詳。室町末期から江戸初期頃の創建と推定される。82坪。
例祭:12月15日
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県小山市南飯田373

主祭神:譽田別命
坪。
例祭:4月3日 *『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八幡宮 飯田 宝蔵寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 四巻-41丁
下都賀郡間々田村大字南飯田鎭座 村社 八幡宮 祭神譽田別命 建物本社間口一丈奥行二間 氏子二十四戸
本社創立不詳 社域三百坪を有し字本田に在り
神明宮

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県小山市平和278-1 字新開

主祭神:大物主命
創建年不詳。17坪。
例祭:4月3日 *『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 4巻41丁
下都賀郡間々田村大字平和鎭座 村社 神明宮 祭神 大日留女命 建物本社間口三間奥行九尺 盥漱舎縦二尺五寸横一尺二寸 末社二社 氏子二十二戸
本社創建不詳 字新開に在りて社域三百五十一坪を有す
淺間神社

淺間神社

[あさま神社]

栃木県小山市千駄塚383 字浅間前

主祭神:木花開耶姫命 配神:火産霊命・大雷神・大山祇命・譽田別命 境内社:下浅間神社・稲荷神社・大杉神社・天満宮
詳細不詳ながら文政二年1819創建説が伝わる。境内地671坪。江戸期の別当金剛院参道に旗杭舎。維新前の呼称である上宮大明神の額が拝殿に掲げてある。
例祭:旧暦3月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 浅間宮 千駄塚 泉蔵院
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 4巻41丁
下都賀郡間々田村大字千駄塚鎭座 村社 淺間神社 祭神木花吹耶姫命 建物本社間口二間奥行九尺 拜殿二間四方 末社四社 氏子二十八戸
本社創建年月不詳 社域二千八十四坪にして字淺間前に在り
山神社

山神社

[やま神社]

栃木県小山市千駄塚361-5

主祭神:大山祇命
詳しいことは分からない。


間々田村 *『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻38丁
本村は間々田,東西黑田,平和,乙女,粟ノ宮千駄塚,南飯田の舊一宿七村を合して自治新村を造成せしものにて幅員東西凡二十町南北凡一里十町にして問々田及栗ノ宮千駄塚乙女は奥羽國道に傍ふて聚落をなし余は其東部に点在す 地勢概ね平坦にして西部の一帶は思川を控へ其他は平林を以て四隣と相隔て一の區域をなせり 其風俗温和にして農業に従事し就中間々田乙女は商業に栗ノ宮は蚕業等に勤勉の風ありて人口四千四百五十余人を有す
古來沿革に付ては徃時は各領主を別にせるも維新後共に第三大區九小區に編入せられ後又ー戸長の管理に属し以て今日の自治村となるに至れり
本村には下野有名なる延喜式内郷社及ひ村社七社氏子戸數七百余戸あり

 

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