八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県小山市・下生井581 しもなまい

旧地名:下生井字妙見
主祭神:譽田別命 境内社:愛宕神社・水神社
思川と巴波川に挟まれた広大な田園地帯にある大きな杜に鎮座。いずれの河川もすぐ南で渡良瀬川に合流する。
天慶四年941山城国男山八幡宮より御分霊を勧請して創建。
社号標が「料指定」と見えてしまうが,この「料」とは「神饌幣帛料」の料。
寛政八年1796鳥居左手に昭和六年1931八幡宮参道記念碑。その左の丸い石は「力石」と呼ばれ,文政十一戊子1828。「三十二〆目」は重量か。
大正四年1915社号標。文化三年1806狛犬。文政十天1827手水石。
拝殿内に「八幡神宮」額,左手に板絵。
例祭:10月15日 神幸祭:8月1日
*『下野神社沿革誌』巻4-47丁(明治三十六年1903)
下都賀郡生井村大字下生井字妙見鎭座 村社八幡宮 祭神譽田別命 物本社間口二間半奥行二間 拝殿間口四間半奥行二間半 末社一社 氏子百三十五戸
本社は藤原秀郷朝敵平將門を征するに當り山城國男山八幡宮に戰勝を祈願し速に鎭定の功を奏せるを以て其報賽として天慶四年941三月十五日を以て本社を勸請せしと古老の口碑に存す 爾後生井郷の惣鎭守と崇敬す 叉徳川將軍より社領二石の朱印にし五反十三歩の餘地を賜はる 社域一千五百五十二坪平地の地に在り
鳥居左手
文政十天1827手水石 文化三年1806狛犬
頭に水受け
八幡神宮
神輿庫 神輿
寛政八年1796 文政十一1828力石
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県小山市・下生井1461 しもなまい

旧地名:下生井字愛宕
主祭神:軻遇突智命 境内社:津島神社(建速須佐之男命)・厳島神社(市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命)
下生井小学校の西隣りの水田に鎮座。渡良瀬川の堤防から杜が見える。
天慶四年941創建と伝わる。
昭和五年1930石鳥居と昭和十三年1938社号標。鳥居右手の昭和四十二年1967石鳥居のある境内社は大正六年1917「厳島神社」と昭和三年1928「??秋徳辯天」。弁天は市杵島姫命の厳島神社にあたるので二基並んでいるのはいずれも厳島神社か。
例祭:3月24日
厳島神社と弁天様
神輿庫 神輿 天保六年1835狛犬
天保六年乙未
狛犬台座・石工阿萑翁金+島
神明宮

神明宮

[しんめいぐう]

栃木県小山市・下生井1188 しもなまい

保安元年1120から天正十七年1589まで小谷城があった。道路沿いに「史跡小谷城趾」の石柱が立てられている。
その奥の平成十年「神明宮」社号標側面に「小山秀綱公 小谷城 再興の砌 御祭神として伊勢皇大神宮より 勧請奉りました 神明宮である」と彫られている。
秀綱公は十八代小山城主。神明宮は1580年前後に創建されたことになる。小谷城趾もこの狭い一角しか残されていない。そこに小山氏ゆかりの神明宮を建てたのだろう。
小谷城趾解説
神明社

神明社

[しんめいしゃ]

栃木県小山市・上生井1202 かみなまい

主祭神:大日靈貴命 境内社:津島神社・愛宕神社・金刀比羅宮
大同元年806伊勢の天照皇大神を勧請して創建。正保1644~48年間に海老沼織部によって再興される。
昭和三十六年1961石鳥居。境内社の稲荷神社石鳥居が参道右手に。その左に「金毘羅山大権現」
例祭:12月15日
*『下野神社沿革誌』巻4-47丁(明治三十六年1903)
下都賀郡生井村大字上生井鎭座 村社神明宮 祭神大日孁貴命 物本社間口三尺奥行一間二尺 拝殿間口四間半奥行二間半 末社二社 氏子五十一戸
本社創立は大同元年806なりと古老の古碑に存し字中坪に鎭し社域百二十六坪を有す
恐ろしげなものが 右手に境内社
稲荷神社 金毘羅山大権現
鎮座の杜
八幡宮

八幡宮

[はちまんぐう]

栃木県小山市・白鳥1274 しらとり

主祭神:譽田別命 境内社:天満宮・稲荷神社・大杉神社・八坂神社
天文三年1534山城国男山八幡宮より御分霊を勧請して創建。巴波川に流された藤岡町部屋の八幡宮の御神体をアゲップチから引きあげて祀ったとも伝わる。下生井小学校の北に鎮座。
鳥居脇に昭和四十二年1967「白鳥八幡宮古式祭礼」碑。背面に由緒が刻まれている。
大正三年1914石鳥居。
平成2年1990石鳥居のある境内社鞘堂に計五社祀られている。
推定貞享二乙丑1685年六手観音,その右手は享保十二年1727。それぞれ三猿が刻まれている。
東側は墓地になっており,駐車場入口に立つ背の高い像は享保三年1718の地蔵菩薩。天保九年1838十九夜,安永五年1776十九夜念仏供養がその右に。宝暦六年1756の仏塔。
昭和十二年1937神殿石垣改築。
例祭:旧1月11日
*『下野神社沿革誌』巻4-47丁(明治三十六年1903)
下都賀郡生井村大字白鳥鎭座 村社八幡宮 祭神譽田別命 祭日陰暦正月十一日 建物本社二間四方葦萱葺 拝殿間口三間奥行二間半 鳥居一基 石燈籠二基 氏子六十戸総代三員 社掌海老沼庄兵衛仝村仝大字仝住
社傳に曰く本社創立は天文三年1534十一月十五日にして海老沼勘解由の勸請なり(今の社掌海老沼庄兵衛の祖先にして毎年春秋の小祭は該家一人にて祭典を執行せり)維新前は本村善福寺にて別當職にて奉祀なりしも海老沼氏健元なり 故に明治四十二年1909中氏子村民より推撰せられて社掌とはなりぬ
社域三百四十八坪境内平地にして四方洋々たる田甫を望み空闊淸風塵懐自ら洗ふか如し
日の出祭り由緒
壁に龍
昭和十二年改築の神殿石垣 白鳥八幡宮古式祭礼
由緒書 大正三年1914
神楽殿
境内社
左に二社 右に三社 三猿が彫られている
神木松碑
宝暦六年1756 石仏石塔多数 享保三年1718地蔵菩薩
水神社

水神社

[すいじんしゃ]

小山市・生良1030 きら

祭神:水速姫命
配神:大杉神社・熊野神社・愛宕神社 境内社:愛宕神社
50号線沿い,生良公民館の南,旧思川堤の上に鎮座。
『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻48丁
下都賀郡生井村大字生良鎭座 村社水神社 祭神水速女命 建物本社間口五尺奥行一間 拝殿間口二間半奥行一間四尺 氏子四十二戸
本社創立不詳 社域二百二十三坪を有し字川入に在り
明治二十年1887手水石
水神宮額も 神輿が見える
三猿が彫られている
生良愛宕

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県小山市・生良395 きら

祭神:火産霊命or軻遇突智命
上記水神社北東の水田の浮島に鎮座。周囲には広大な稲田が広がる。幸い,額が掲げてあり社号判明。小山市には他にも愛宕神社が9社。
水神宮

水神宮

[すいじんぐう]

栃木県小山市・楢木19-1 ならのき

祭神:水速女命 配神:今宮神社・大杉神社・虚空蔵尊
思川右岸の堤防西に鎮座。『栃木県神社誌』昭和39年版には「水神社」で掲載。ここでは拝殿額にならった。
石祠石像三体のうち左手の石祠にはキツネが奉納されているが浅間神社。中央の三猿・餓鬼の上に立つ像は享保丁酉1717年とかなり古い。右端の二十三夜塔は文化十一甲戌1814年。
二基の庚申塔に「万延元年1860庚申十一月吉日・はさま田」「寛政十二申1800十月吉日」の文字。
例祭:10月1日
*『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻47丁
下都賀郡生井村大字楢木鎭座 村社水神社 祭神水速女命 建物本社間口一間四尺奥行二間一尺 氏子四二十三戸
本社勸請年月不詳 社域五百七十二坪を有し字宮の下に在り
拝殿額 拝殿内額も水神宮
堤の向こうは旧思川
浅間神社 享保丁酉1717 文化十一甲戌1814

生井村 *『下野神社沿革誌』(明治三十六年1903刊)四巻47丁
本村は上下生井,白鳥,網戸,楢木,生良の舊六村よりなれるものにて幅員東西凡二十四町南北凡ニ里十余町に亘り民居は概ね思川の西岸に沿ひ南北に連り地勢西北に奥良川及ひ巴波川を繞らし東南に思川を帶ひ自ら一區域をなせり 村民能く農蛋業に勤勉し就中蛋業は年一年に擴張するの勢ひあり
古來沿革に付ては徃時は共に古河藩領に在り維新後共に第四大區三小區に編成せられ後又二戸長役塲の所轄に属し次て今日の自治一村をなすに至れり
本村には村社六社氏子戸數五百九十四戸人口三千六百三十餘人を有す

 

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