八龍神社

[はちりゅう神社]

小山市・荒川119

主祭神[高龗神]


主祭神:高龗神[たかおかみのかみ]
永禄年間1558-70の創立と伝わる。宝暦三年1753社殿を造営して再建。安政年間1854~60に神祇管領長上より正一位八大龍王の神璽を賜る。昭和十二年1937大改修。664坪。
思川駅入口交差点の北東,豊田中学校の南。周囲は水田。
4枚の額文字は「八龍神社」
左端の額を奉納された方に偶然お会いすることができた。ニューギニア出征から無事帰還できたことを感謝して奉納されたとのこと。荒川の鎮守として現在でもきちんと手入れされており,桜がちょうど満開だった。
維新の神仏分離で八大竜王から八龍神社に改称。鉢形,若林,武井の八龍神は「八」も取られてしまったが,ここは残っている。八まで削除したのはお上に配慮しすぎたのではないだろうか。
拝殿内には着色板絵が大小2枚見えるが,図柄は判然としない。
「日支事変軍馬徴発記念」碑
「氏子・産子中」とある鳥居は「昭和十二年1937十月十五日建之」
本殿:流造瓦葺 幣殿:切妻造瓦葺 拝殿:入母屋造瓦葺
例祭:11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八大竜王 荒川 小森某
*『下野神社沿革史』(明治36年1903刊)4巻72丁
下都賀郡豊田村大字荒川鎭座 村社 八龍神社 祭神 高龗神 建物本社間口一間半奥行二間半 拝殿二間四方 氏子十三戸
本社創建不詳 社域六百六十三坪字村中に在り
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

小山市・黒本364

配神:[高龗神]

主祭神:磐裂命,根裂命
配神:高龗神[たかおかみのかみ],大日孁貴命
大永五年1525頃,黒本郷を治めた谷田貝家が館の鬼門除けに勧請。538坪。
思川の700m西に鎭座。
拝殿右手に「琴平山」と「天満宮」を収めた祠。「村内安全献之・右両者ハ文化十三子ノ九月十日新勧請之者也・明治廿五年九月十日・豊岡村大字黒本」と読める。
拝殿左手に明治43年11月4日に神明宮とともに合祀された「八龍神社」ここに高龗神。
「奉納虚空蔵菩薩 宝永三庚戌年1706三月吉日」と,推定「天和二壬戌1682三月十二日」石像。
杉にかかる旗に「雷電」の文字が見える。
(『栃木県神社誌』目次に「里本」とあるのはもちろん「黒本」の誤植)
本殿:大島造銅版葺 拝殿:入母屋造銅版葺
例祭:11月3日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 星宮大明神 黒本 普門院
*『下野神社沿革史』(明治35年1902刊)5巻23丁
下都賀郡豊田村大字黑本鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂神 根裂神  建物本社間口四尺五寸奥行四尺七寸 拜殿間口四間半奥行二間 末社二社 氏子四十戸
本社創廷年月詳ならす 社域四百八十三坪宇仙台に鎭す
八龍神社
琴平山と天満宮
雷電の文字
稲荷神社

篠塚稲荷神社

[しのづかいなり神社]

栃木県小山市大本615

48+1
旧地名:小山市大本字稲荷山
主祭神:倉稲魂命・保食神・雅産霊神 配神:琴平神・大杉神・天満宮・弁財天・道祖神/『栃木県神社誌』昭和39年版では大山祇神・道祖神・軻遇突智命・菅原道真公
境内社:大国神社・琴平神社・大杉神社・厳島神社・手塚神社
「篠塚稲荷塚古墳」の前方部に鎮座。後円部墳頂には境内社の「大国社」が鎮座。その右手の小祠は金毘羅宮。
昭和60年1985の「篠塚稲荷神社御由緒」石碑に沿革が刻まれている。
正治二年1200正月創建の古社。応永二十三年1416に古墳上に遷宮。同時期に大国主命と猿田彦命を祭神とし大国社が創建された。由緒碑に「篠の塚山の大国社は下野毛国造の頃,縣主奈良別王御臨行の折,村々安全の為,出雲国の大国主之命猿田彦之命の二柱の神を祀り地域初神の神であり今は稲荷の始祖の神と申上げております。この神は大黒様とも称されて…」とあり奈良別王は豊城入彦命の孫で宇都宮二荒山神社を創建したとされ,初代下野国造。そうとう古い。
現在の社殿は宝暦八年1758再建のもの。権現造拝殿は明治七年1874再建。1560坪。
850m西の小薬の御城稲荷も同一の縁起で,梶原景則によって創建された。
明治四十四年1911愛宕神社ほか二社を合祀している。
昭和52年1977石碑に「拝殿改修・社務所新築・神楽殿屋根改修・大杉神社石段改造・神楽衣裳新調」と合わせて「昭和四十九年御神木落雷」と記されている。拝殿裏に保存されている切株がそれ。
大正十五年1926御神橋寄付芳名碑。
平成7年1995神楽殿改築記念碑の裏に「大本・小薬・松沼」の氏子名が刻まれている。
例祭:3月第二日曜日
*『下野神社沿革誌』4巻70丁 明治三十六年1903
下都賀郡豊田村大字大本鎭座 村社稻荷神社 祭神稻倉魂命 大山祇命 道祖神 建物本社間口三間奥行四間 拜殿間口六間奥行三間 社務所間口三奥行四間半 燈籠二基 神樂殿一棟 末社五社 氏子二百七十戸 社掌長義憲? 往時本社別當には小藥村田屋山稱念寺にて奉仕せり 明治維新後長氏奉仕せり 舊別當稱念寺縁起内に曰く 往古梶原影則當地に本城を築き居城せしむ 同氏は常に泉州篠田の森稲荷明神を崇信すること年久し 故に本地田屋の側芝生の塚に祠を立て篠田の森稲荷明神を奉還し篠を植ひ塚上に祭祀す(今尚本社境内の中央に在り)是より篠塚稲荷大明神と崇むと云々 後小藥郷の惣鎭守神と崇敬し宝暦八年1758二月本社再建明治七年1874十二月拝殿を再築す 現今の社域一千二百四十七坪平坦の地にして神池あり石の反橋を架し石の華表及ひ石の燈籠左右に並列し馬塲には古松落々として並列し頗る大社の風ありて最も深邃の趣に富む
三の鳥居 拝殿
正一位稲荷大明神 拝殿内
稲荷大神 大杉神社
大杉神社 大杉神社 古墳上に大黒社
大黒社
大黒社 大黒社本殿 金毘羅宮
大黒から見下ろす 切株保庫
御神木切株
狛犬
由緒書など 由緒クリック拡大 御神橋碑
平成六年 昭和四十年1965指定 古墳解説
初午祭解説 昭和二年1927鳥居と神楽殿 神楽殿
神楽殿 平成七年 御神馬舎
御神馬舎額 額のしたの絵
愛宕神社 弁財天
右:昭和五十二年1977碑 落雷・修繕・改築・新築記録 燈籠百四基献納顕彰碑

篠塚稲荷神社一の鳥居から社務所まで

昭和三十五年1960社号標。昭和三十一年1956旗杭。平成十一年一の鳥居。平成二年奉納の燈籠が田圃の中の長い参道に延々と並んでいる。平成二年1990顕彰碑に浄財により百四基の灯篭が奉納されたことが記録されている。
二の鳥居手前の社務所前に木製祠二基。右は御手先神(平成二年額)・稲荷神社(2014/2撮影の右の柱の板に読める,2019もう読めない),左は手塚神社と石柱に大黒天神なんとか。昭和八年1933参道新設記念碑。
(2019/7/17再参拝)
一の鳥居額 長い参道に灯篭104基
おはやし後継者育成モデル地区 二の鳥居
飾り馬の里
一の鳥居方向 右手に二社 参道新設記念
御手先神・稲荷神社 手塚神社? 額は読めない
・・・大黒天神・・・ 御手先神・稲荷神社
右の柱に稲荷神社2014撮影 2019読めない 水神2014/1撮影
社務所
広大な杜 鳥居の列が見える 北から
稲荷神社

御城稲荷神社

[みじょういなり神社]

栃木県小山市・小薬389-1

主祭神:豊受姫命 境内社:橿原神社・熊野神社・厳島神社・八坂神社・愛宕神社・大杉神社・八幡宮・天満宮
正治二年1200梶原景則が小薬城を築いたときに城内守護として大阪和泉の篠田森稲荷を勧請して創建。御城稲荷大明神。「御城」は[おしろ]でなく[みじょう]と呼ぶらしい。1173坪。
850m東の大本の篠塚稲荷も同一の縁起で,セットのようだ。大本の社伝にある称念寺の北西隣りの小薬城跡地に鎭座。
社殿左手の境内社覆屋に社号札が付いている。左から厳島神,八幡宮,天満宮,橿原,熊野,愛宕,大杉,八坂神社。となりの稲荷神社内手前の狛犬は年号撮影できないが昭和二十四年1949と確認。みっつの厨子は閉じられていて中は見えない。
境内左手に「小薬御城倉庫」
例祭:3月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 稲荷大明神 小薬 村民
二の鳥居 拝殿
額はない 本殿 正一位稲荷大明神額
境内社
社号が分かる 稲荷神社
手前の狛犬 厨子みっつ
奥の小型狛犬 昭和二十四年1949です
小薬御城倉庫 拝殿左手
史跡御城 入口 平成二十五年
一の鳥居 一の鳥居
二の鳥居 二の鳥居は朱色 付近のお宅
八幡神社

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県小山市小宅1289

主祭神:応神天皇 境内社:琴平神社・三峯神社
創建年不詳。再建は宝永六年1709。
下野国庁跡資料館のすぐ南,黒川右岸の田園地帯に鎮座。1276坪。
推定樹齢500年を超えるカヤの巨木があることで有名。高さ28m,目通り4m。看板を参照。
拝殿前に明治三十八年1905石燈籠,角柱は不明。昭和六十三年1988狛犬。
明治三十五年1902石鳥居寄付連名表。この鳥居は二の鳥居から150m南の石鳥居。
梵字の石塔,三文字は虚空蔵菩薩・阿弥陀如来・勢至菩薩を表すがはて?
天保十五年1844二十三夜塔。
裏手の朱色鳥居に昭和五十年1975建立の三峯神社と琴平神社。鳥居台座に2011年1月吉日奉納と西暦で。ところがもうひとつの台座に2030年4月3日とある。何かの目標願掛け?(2019/7/17現在)
昭和十二年1937社号標。
例祭:旧暦8月15日 1276坪
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 八幡宮 小宅 真如寺
*『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 4巻70丁
下都賀郡豊田村大字小宅鎭座 村社八幡神社 祭神應神天皇
建物本社間口三尺奥行一間四方 拜殿間口三間半奥行二間 末社二社 氏子八十八戸 本社再建は寶永六年1709九月なり 社域一千二百七十六坪を有し字八幡前に在り
明治四十年1907額
昭和十三年1938大阪の方が奉納 側面の奉納相撲之図
昭和六十三年1988狛犬
本殿右隣に大カヤ この案内板から更に50年 推定550年
右は石鳥居寄付連名表
明治三十五年1902建立
本殿
石敷 社殿左手 梵字の石塔
天保十五年1844二十三夜塔 本殿裏手
平成二十一年鞘堂 三猿が彫られている 境内社鳥居
三峯・琴平神社
謎の2030年 北東の石祠
手水舎 小宅上集落センター 二の鳥居
二の鳥居 幟が見える 一の鳥居方向
一の鳥居から二の鳥居 明治三十五年1902一の鳥居 八幡神社額
豊受神社

豊受神社

[とようけ神社]

栃木県小山市・小宅715

主祭神:豊受毘賣命
上記小宅八幡の南,思川堤防下に鎮座。
詳細不明。祭神は豊受姫命か。
覆屋に木製祠と神輿。立て掛けてある木片に反転で「辶の不明字+大神社」とあるが謎。
平成十五年石鳥居。同年御影石の旗杭。
境内に桶田公民館。
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻四-71丁
豊田村大字小宅鎭座 村社 豐受神社 祭神豐受毘賣命 建物本社間口二間奥行三間 氏子八十八戸
本社創建不詳 社域三十一坪字桶田に鎭す
本殿
神輿 大神社の反転文字
旗杭
桶田公民館 すぐ北の田に すぐ西に
東矢神社

東矢神社

[とうや神社]

栃木県小山市・大本1791 字岡

主祭神:天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神 配神:火莫速日神・武甕槌神・猿田彦神
延暦十四年795に当地で坂上田村麿の妾嬌姫が難産で苦しんだので,天三柱と配神記載の三神に祈願したところ無事出産したので六神を祀ったことに始まる。社伝どおりであれば創建1200年を超すたいへんな古社。
社号標に「安産守護」,鳥居額は「東矢大神」,拝殿内にも「東矢大神」額。となりに昭和三年1928「東矢神社々殿改築之記」
明治三十二年1899手水石。 例祭:旧暦3月3日 82坪
東矢大神額
拝殿額 本殿
東矢大神額 改築之記
修復された石宮 手水舎
杉が生えていた 社号標 安産守護
旗杭 飾り馬の里の看板
不明社

小宅の不明社

[?神社]

栃木県小山市小宅628-1

上記八幡神社の南,黒本の星宮神社手前の右手に鎮座。年代不明の庚申供養塔。すぐ東に豊受神社。真西に篠塚稲荷神社。
文字はなく内部も見えない構造。注連縄が張られていて現在も信仰されていることがわかる。詳細不明。
立派な注連縄
庚申供養塔 小宅下自治会
十二所神社

十二所神社

[じゅうにしょ神社]

栃木県小山市・立木122

主祭神:国之常立命 配神:伊弉諾命ほか11神
『鹿沼聞書』記載の道護大明神は「堂護」で,明治五年1872にこの堂護神社境内に下立木から遷宮した。864坪。
明治四十一年1908,愛宕神社,稲荷神社,熊野神社,天神社など6社を合祀。
例祭:旧暦9月9日 *『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 道護大明神 立木 満願寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻四-71丁
豊田村大字立木鎭座 村社 十二所神社 祭神 国之常立尊 國狭槌神 泥土煑尊 沙土煑尊 伊弉諾命・伊弉冊命 大戸邉尊 大戸道尊 面足尊 惶根尊 豊斟渟尊 天照大神
建物本社間口九尺奥行二間 末社三社 氏子四十九戸
本社創立不詳 社域八百五十一坪を有し宇堂の宮に在り
糺神社

糺神社

[ただす神社]

栃木県小山市・渋井93

主祭神:大雷命 配神:火産霊神
下鴨神社から勧請したので糺の森からとって糺大明神と称した。栃木県ではいまのところここ一社のみしか見つからない珍しい社号。387坪。
大正八年1919愛宕神社を合祀。
『下野神社沿革誌』に槻とあるのはケヤキの別名で,古木が境内に聳えている。
例祭:11月19日 *『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 糺大明神 渋井 明光院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻四-
豊田村大字澁井鎭座 村社 糺神社 祭神大雷神 建物本社二間四方 拜殿間口二間半奥行二間 華表一基 氏子二十四戸 社掌澁谷光山仝村仝大字住
本社は山城國下加茂神社の御分靈を勸請せし社なりと古老の口碑に存して往古より靈瞼灼しく衆庶崇敬の社なり 往時別當は澁谷家にて代々奉仕せしか明治維新に際し澁谷氏復飾して奉仕せり 社域三百八十八坪平坦の地に鎭して本社東に向ひ社殿壯麗にして境内には槻の古木亭々と高く聳ひ幽邃にして雅致あり
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県小山市・上初田171

主祭神:磐裂神・根裂神 境内社:八幡神社・稲荷神社・厳島神社
創建年不詳。八幡神社の鳥居は寛文二年1662建立,享保十七年1732建て替え。本社の鳥居は享保二十一年辰1736二月造立。享保八年1723宗源宣旨に「正一位星宮大権現」とある。昭和四年1929改築。371坪。
祭神は香々脊男命から磐裂神・根裂神となり,現在は磐裂神一神としているらしい。
初田は寛永六年1629に上下に分かれ,明治二十二年1889上初田は豊田村の,下初田は中村の大字となった。
『角川地名大辞典』には字宮原と字東に星宮神社があると書かれているが,一社しか見つからない。当社は東。
例祭:10月19日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 星宮大権現 上初田 鏡光院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻四-71丁
豊田村大字上初田鎭座 村社 星宮神社 祭神香々脊男命 建物本社間口九尺奥行二間 拜殿間口二間奥行一丈 氏子五十七戸
本社は字東に鎭し社域二百七十四坪を有せり
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

栃木県小山市・上初田1007

主祭神:火産霊神 配神:伊弉冊命 境内社:天満宮・大杉神社・三峯神社
元禄十五年1702創建。寛政七年1795改築。平成九年改築。1263坪。
例祭:11月3日 *『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 愛宕大権現 上初田 清竜院
三宮神社

三宮神社

[さんのみや神社]

栃木県小山市・卒島767

主祭神:磐裂神・根裂神・経津主命 境内社:愛宕神社・大杉神社
創建年不詳。字三宮に鎮座したが,宝暦十年1760字新郭の愛宕神社境内に社殿を造営して遷宮。山王大権現と称した。211坪。
明治四十三年1910,八幡宮,八龍神社,塔神社,道祖神社を合祀。
昭和六十年1985修繕,翌年神楽殿を新築。
例祭:10月19日 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻四-71丁
豊田村大字卒島鎭座 村社 三宮神社 祭神磐裂命 根裂命 経津主命 建物本社間口六尺奥行五尺 拜殿間口五間奥行二間 末社二社 氏子百四十四戸
本社創立不詳にして社域二百三十三坪字新郭に在り
上初田に記録された別当清竜院の下記は現在社不明。別当宝泉寺だったので,卒島の当社ではないようだ。参考までに。上初田は卒島の隣村で,上初田の星宮から三宮まで1.2キロ程度。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 正一位 三宮大権現 上初田 清竜院
熊野神社

熊野神社

[くまの神社]

栃木県小山市・今里310

主祭神:伊弉冊命 境内社:三峯神社・愛宕神社・大杉神社
文安年間1444~49に小峰家の守護社として創建。慶長年間1596~1615にそ村の鎮守とした。568坪。
例祭:10月13日に近い日曜日
つぎの『鹿沼聞書』は下高島で記載されているので大平あたりを探したが該当なく,小林若狭が下初田生駒の神主なので,現在社としてここにあげておく。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 熊野大権現 下高島 小林若狭
*『下野掌覧』万延元年1860 都賀郡之部
正一位 熊野神社 高島村鎮座 祭主小林氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻四-71丁
豊田村大字今里鎭座 村社 熊野神社 祭神伊非冊命 建物本社一間半四方 拜殿間口二間四尺奥行一間四尺 末社二社 氏子三十五戸
本社は本社開墾草分小峰某兄弟の創祀にして慶長年間まては兩家の氏神なりしを後ち卒島村の内遼北坪の鎭守神とす 社域五百十六坪を有し字宮前に在り
星宮神社

星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県小山市・島田650

主祭神:磐裂命 配神:根裂命ほか6神 境内社:稲荷神社(豊受姫命)・川入神社(罔象女神)・浅間神社
創建年不詳。弘化元年1844黒川の氾濫で参道は埋れて明神沼になってしまったので,少し西に参道を造営。701坪。
大正四年1915,愛宕神社など五社を合祀。大正五年1916風災で大破,翌年再建。
例祭:11月23日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡 星宮大明神 島田 金剛院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻四-71丁
豊田村大字島田鎭座 村社 星宮神社 祭神磐裂命 根裂命 水速女神 建物本社間口三間奥行二間 拜殿間口四間奥行二間 末社二社 氏子七十六戸
本社勘請年月詳かならす 社域六百九十八坪宇神明に在り
八坂神社

八坂神社

[やさか神社]

栃木県小山市・島田1570

主祭神:素盞嗚命
詳しいことは分からない。
獅子神社

獅子神社

[しし神社]

栃木県小山市・井岡448

主祭神:菟道稚郎子命
創建年不詳。明治四十一年1908,石尊神社に星宮神社,獅子神社,愛宕神社を合祀して,獅子神社と改称。野木七郷巡りの一社。252坪。
例祭:12月3日
白山神社

白山神社

[はくさん神社]

栃木県小山市・押切343

主祭神:菊理姫命か
詳しいことは分からない。
愛宕神社

愛宕神社

[あたご神社]

小山市・松沼133-2

主祭神:火産霊命
昭和三十年1955焼失。5年後の昭和三十五年1960に土地改良事業もあって西に500mほどの換地に新築して遷宮。
例祭:11月24日


豊田村 *『下野神社沿革誌』明治三十六年1902 4巻70丁
本村は卒島,松沼,荒川,立木,澁井,今里,上初田,大本,小宅,黑本,島田,小薬の十二村を合併して一の自治村をなせしものにて其幅員東西凡一里十八町南北凡二里あり 卒島松田澁井立木は御山街道に沿ふて農家東西に列し今泉上初田は其南に群居し大本黑本島田小薬は其北に聚落をなし相距ること遠からす 地勢平衍にして思川は小宅黑本立木澁井を經流し風俗温和にして農耕に従事し動勉の風あり
舊各村古來の沿革を尋ぬるに各々其領主を異にせり 維新後第三大區ー小區となり後又一戸長役塲の所轄に属し以て今の自治一村に至れり
本村には村社十一社其氏子戸數八百三十餘戸人口五千八百六十余人を有す

 

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