佐野市赤見町の神社資料
沼鉾神社
[ぬまほこ神社]
栃木県佐野市・赤見町3009
主祭神:伊弉諾命・伊弉冊命 境内社:宇都宮神社・春日神社・浅間神社・八幡宮[境外社]稲荷神社・二福神社(大国主命,事代主命)・機姫神社
文武二年698創建と伝わる古社。仏教盛んな頃に「聖天宮」を合祀した。維新の神仏分離で聖天宮の仏像は西光院に移され,伊弉諾命・伊弉冊命二神を祀り沼鉾神社と改称する。
文久二年1862燈籠。樹齢800年の柊。
例祭:10月17日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 聖天宮 赤見 斎藤摂津
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-40丁
赤見村大字赤見字宮原鎭座 村社 沼鉾神社 祭神伊弉諾命・伊弉冊命 祭日四月十月十九日 氏子五百三十一戸 社掌北野▢同村大字同一八三番地住斎藤盛忠同村大字同一四四番地住 建物 本社間口五尺奥行五尺栃葺 幣社間口二間奥行一間 拜殿間口四間奥行二間三尺 神樂殿間口二間奥行三間 末社六社
社傳に曰く人皇四十三代文武天皇御宇文武二年698六月十五日勸請す 后宮殿悉く破壊せり 藤原秀郷崇敬を加へ天慶九年946本社拜殿とも再建せり 又正治二年1200本社拜殿修補す 夫より佛法日に月に隆盛の世となり故に建仁三年1203の春源義國武藏國新永井の庄より聖天宮を本社に遷し合祀せり 其時今の社地東西百間南北百三十間の社地を改め附し赤見郷の鎭守神とす 延文年中1356-61佐野家より聖天宮御供料として涌釜郷/涌釜郷とは今赤見村大字出流原なり/の内にて田畠拾町歩を賜はる應永年間1394-1428古河公方成氏より聖天宮浴油料として毎歳米五十俵宛賜はる 天文十年*(天文十五年1546が正)八月古河晴氏武州河越に於て伊勢新九郎平長氏と戰争に及び晴氏敗戰をとり古河野渡の御所落城す依て聖天宮の社地及な浴油料等北條の牧むる所となる 爾來氏子の負擔により社殿保存せり 明治維新に際し神佛分離の令出るや依て同二年聖天宮の佛像は同村西光院境内に遷し諾冊二尊を以て沼鉾神社と改稱して舊觀に復す 同五年村社に列せらる 社寶には延賓六年中佐竹大膳太夫より二尺亘の神鏡并に久永源兵衛崇敬ありて御寶物等奉納あり 社域八百九十坪平坦の地にして石の華表/伊豆の花崗岩/石の燈籠左右に並列し東南田甫を控ひ西北は人家に接す 境内には老杉蓊蔚として風氣快爽なるを覺ゆ
天満宮
[てんまんぐう]
栃木県佐野市・赤見町3260
主祭神:菅原道真公 境内社:眠現神社(?慈眼+示現)・阿夫利神社
正慶元年1332創建,詳細不詳。
例祭:8月1日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-41丁
赤見村大字赤見鎭座 無格社 天満宮 祭神菅原道眞朝臣 祭日三月二十五日 信徒百三十戸總代三員 社掌北野貢同村大字同百八十三番地住
本社は正慶元1332壬申三月二十五日赤見刑部源義久京都北野天満宮より遷座せるなりと云 然れども別當家燐失に罹り詳なる事蹟は傳らず 建物本社間口四尺奥行四尺小羽葺 拜殿間口三間奥行二間瓦葺 鳥居一基 境内地四百十四坪 寶物神鏡一面 菅公神像一軀
本社は南向きにして四方に人家を控へたり 境内には若杉翠を染めて薫風自ら生ず 暁煙晩霞實に心胸を洗ふの處たり 又た其頃の別當職北野宗賢先生を誦ずるの碑あり子弟五百餘名の建設に係るものなり
愛宕神社
[あたご神社]
栃木県佐野市・赤見町2601
主祭神:軻遇突智命 配神:大山祇命
詳細不詳。昭和四十五年1970山頂から山裾に遷宮。弘化二年1845石燈籠,明治二年1869石鳥居。
例祭:4月第二日曜日
神明宮
[しんめいぐう]
栃木県佐野市・赤見町5688
主祭神:大日孁貴命 境内社:琴平神社・八坂神社
詳細不詳。
例祭:10月15日
八幡宮
[はちまんぐう]
栃木県佐野市・赤見町5272
主祭神:譽田別命
正中二年1325赤見城主・荒川修理之亮・源氏重が創建。上野国華高石清水八幡より勧請と伝わるが高崎市寺尾村に見つからなかった。高崎の今宮神社のことか。
金毘羅神社のすぐ北。
例祭:4月15日
星宮神社
[ほしのみや神社]
栃木県佐野市・赤見町1160
主祭神:磐裂神・根裂神 境内社:八坂神社
安元二年1176赤見城築城の際に用いた供物を埋めて清明塚をつくり現大蔵町の星宮神社七ツ塚より御分霊を勧請して星宮を創立。文永七年1270瓜棚に遷座,元禄元年1688元の清明塚に戻る。
175号線沿いに石鳥居があり,その先左手に塚が保存されている。
これとは別に神明宮の北,赤見町4169に石鳥居があり社号標に「清明塚皇大神宮」と刻まれ,石宮が祀られている。瓜棚がここだろうか。
例祭:10月第二日曜日
清明塚皇大神宮
[せいめいづかこうたいじんぐう]
栃木県佐野市・赤見町4169
主祭神:天照皇大神 境内社:浅間神社
国道293号線沿いにある円墳の清明塚古墳上に鎮座。
八坂神社
[やさか神社]
栃木県佐野市・赤見町479
主祭神:須佐之男命
文久元年1861石燈籠。
明治四十二年1909神明宮,愛宕神社,石倉山神社(大山祇命)を合祀。
例祭:7月第三日曜日
金毘羅神社
[こんぴら神社]
栃木県佐野市・赤見町4776
例祭:月日
鳩峰神社
[はとみね神社]
栃木県佐野市・赤見町4957
佐野ゴルフクラブ内。
青龍神社/御嶽神社
[せいりゅう/おんたけ神社]
栃木県佐野市・赤見町600
蓮沼神社
[はすぬま神社]
栃木県佐野市・赤見町1845
十二天塚古墳頂上に鎭座。
満願弁才天
[まんがんべんざいてん]
栃木県佐野市・赤見町3224
▊赤 見 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-39丁
本村は赤見,出流原,寺久保,及び石塚の舊四村を合せて一の自治區をなせしものにして其面積二千五十餘町歩に及ひ地勢西は山脉連々として足利郡と郡界をなし東は田沼堀米の兩町と耕地相接し北は佐野町の一端及ひ旗川村と境界を交ゆ 彥間村→川は南流して東方を流れ旗川となり渡良瀬川に合流す支流又村内を貫流せり 村民概して敦厚にして多くは農工に従事し勤倹の風あり 各村交通の便に至ては一條の縣道田沼町より來りて出流原赤見を連結し足利町に逹す 其他里道開通し交通甚た便なり
古來の沿革に付ては往時は均しく藤原秀郷の領する所にして子孫相
承け佐野氏に及ひ▢て赤見は幾多の領主代りし后諸家の間に分割せられ石塚は山内遠江守より數代之を領し出流原は彥根井伊家の領地となり寺久保は阿部志摩守より八代の間子孫相繼き之を領す 明治維新に及ひ共に日光縣に屬し次て栃木縣の所轄となり同一戸長役塲の支配する慮となり町村制實施に及ひ合併して一村となし赤見村と稱し村社四社及ひ有名の磯山無格社人丸神社外一社ありて其氏子戸數一千百三十餘戸人口七千百九十餘人あり