佐野市白岩・御神楽・長谷場・作原・閑馬・山形・下彦間町の神社資料

宇都宮神社

[うつのみや神社]

栃木県佐野市・白岩町329

主祭神:大己貴命 境内社:稲荷神社,八坂神社,諸御神,魔多利神,天満宮,熊野神社,琴平神社,白山神社,秋葉神社,宝蔵神社 境外社:浅間神社,雷電神社,根本山神社,氷室山神社
社伝は『下野神社沿革誌』と同一の内容を記載。
寛政元年1789稲荷神社,八坂神社を,弘化二年1845諸御神を,嘉永元年1848魔多利神を,明治四年1871天満宮,熊野神社,琴平神社,白山神社,秋葉神社,宝蔵神社を合祀。
葛生バイパス293号線田沼から201号線を北上して野上小学校の先,右手に鎮座。
例祭:10月9日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 白岩大明神 上白岩 影山豊前
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-29丁
野上村大字白岩鎭座 村社 宇都宮神社 祭神大己貴命 祭日陰曆四月三日十月九日
建物 本社間口九尺奥行一間栃葺 幣殿間口九尺奥行一間 拜殿間口三間奥行二間 前殿間口六間奥行三間萱葺 鳥居一基 石燈籠二基 末社八社 氏子五十戸惣代龜山幸吉外三員 社掌影山志善仝村大字仝十九番地住
社傳に曰く往昔は宇都宮大明神と稱し天文元1532九月九日の創立にして元祿十五1702二月十九日を以て神祇管領長より正一位の宣旨を賜はり享保五1720九月本社修繕を加ひ其后安永七1778九月本社を改造し頗る壮麗を極む 寛政元年地頭彥坂民之助より米壹石金一兩御祈願料として寄附せられしより年々歳々崇敬を加へ常例として奉納あり 維新版籍奉還に際し止めらる 本社には卜部朝臣兼雄の眞筆及地頭彥坂氏源徳純の揮毫せし額面現在せり 明治五年社格改定に際し村社となる 神主は往古より影山家にて累代奉仕せり 社域千一坪にして社地は本大字中央小字白岩にあり 本社南向寒村に稀なる平旦の地にして田甫接續し民家所々に點綴す 境内の東北には銀色の巖山奇崖巍然として特立宛も⾭天に白雲の靉靆するか如きの觀を呈せり 昔人之を稱して白岩の村と云ふ 本社の周邊には老杉古樹森々蓊蔚として晝尚暗く就中神木と稱する杉は周園二丈に垂んとして雲表に聳ひ遥に望むも其社地たるを知る 西の側に接する村立尋常小學校あり其結構美觀を極む 東奇岩の下に醫師神社あり 後山の絶壁せる奇峭は風景絶佳にして山水の幽邃なる眞に仙境に入るの思あり
祭神:大己貴命
葛生バイパス293号線田沼から201号線を北上して野上小学校の先,右手に鎮座。
*『下野神社沿革誌』二巻-29丁(明治三十五年1902)
安蘇郡野上村大字白岩鎭座
村社宇都宮神社
祭神大己貴命 祭日陰暦四月三日十月九日
建物 本社間口九尺奥行一間栃葺 幣殿間口九尺奥行一間 拝殿間口三間奥行二間 前殿間口六間奥行三間萱葺 鳥居一基 石燈籠二基 末社八社 氏子五十戸總代龜山幸吉外三員 社掌影山志善仝村大字仝十九番地住
社傳に曰く往昔は宇都宮大明神と稱し天文元年1532九月九日の創立にして元祿十五年1702二月十九日を以て神祇管領長より正一位の宣旨を賜はり享保五年1720九月本社修繕を加ひ其后安永七年1778九月本社を改造し頗る壯麗を極む 寛政元年地頭彦坂民之助より米壹石金一兩御祈願料として寄附せられしより年々歳々崇敬を加へ常例として奉納あり 維新版籍奉還に際し止めらる 本社には卜部朝臣兼雄の眞筆及地頭彦坂氏源徳純の揮毫せし額面現在せり 明治五年社格改定に際し村社となる 神主は往古より影山家にて累代奉仕せり 社城千一坪にして社地は本大字中央小字白岩にあり 本社南向寒村に稀なる平旦の地にして田甫接續し民家所々に點綴す 境内の東北には銀色の巖山奇崖巍然として特立宛も青天に白雲の靉靆するか如きの觀を呈せり 昔人之を稱して白岩の村と云ふ 本社の周邊には老杉古樹森々蓊蔚として晝尚暗く就中神木と稱する杉は周園二丈に垂んとして雲表に聳ひ遥に望むも其社地たるを知る 西の側に接する村立尋常小學校あり其結構美観を極む 東奇岩の下に醫師神社あり 後山の絶壁せる奇峭は風景絶佳にして山水の幽邃なる眞に仙境に入るの思あり
 
   

宇都宮神社

[うつのみや神社]

栃木県佐野市・御神楽町807 みかぐら

【Rok JiiさんYouTube】

主祭神:大己貴命 境内社:山神社・産泰神社
創立年不詳ながら長元元年1028再建。正月七日に矢的祭。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 宇都宮大明神 御神楽 石田周防
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-29丁
野上村大字御神樂鎭座 村社 宇都宮神社 祭神大己貴命 祭日四月三日九月九日 氏子五十二戸總代五員 社掌石田盛吉仝村仝大字住
本社の由緒として記すべき程の事柄今に傳らざるは惜むべし 今少しく地誌上より之を觀察する時は本村は元と佐野庄に編し野上郷と稱して累世佐野家の所領たり 降て元和二年本田上野介代り領するや野上を割いて御神楽上下長谷塲白岩作原の五ヶ村となす 蓋だし御神樂とは例年九月九日の大祭に氏子一同にて神樂を奏せしにより其地をは自然斯く呼び習はせしより名つけしならん 元和二年1616より殆んど四十五年を經て萬治三年1660に到り本田氏に次て舘林宰相右馬頭之を領し翌寛文元年1661より天和元年1681迄恰も二十ーケ年に渉る 次て天和二年より水野内膳正知行所となり連綿として明治年間に到り日光縣の管轄を廃して栃木縣に移り爾來漸く村制實施の隆運に遭逢するを得たりしなり 故に本社も亦た土地に件ふて幾多の變遷を經來たりしには相違なきも之を詳に語るの史料なきを如何せん唯た舊記に傳らく後一條天皇の長元元年1028本社を再建せりと 今より指を屈すれば已でに八百六十九年の昔しに再建のことありたるなれば其勸請年號の如何に悠遠なるかは想像し能ふ所なるべし 維新前は三月十五日六月十五日九月九日を以て毎年大祭を行ひ小祭は毎月之を行ふことヽし祭式の如きも祭幣組九組ありて輪番に神事を補助監督し極めて荘重を旨とせしといふ 就中正月七日の矢的祭は其の重なるものなりき 又た御神樂の里は古より蓬山城の一の固めの塲なりと言ヘ傳ふて其名地方に著しかりき 地頭水野石見守の歌に「笛太鼓囃子の昔は聞へねど誰か言ひ初し御神樂の里」其后吉田殿學士⾭山筑前直虎歌に「神わざのいつこはあれど御神樂の里の御神樂とふとかりけり」云々 建物 本社間口八尺奥行九尺 拜殿間口三間奥行二間 境内地九百五十四坪位置は大字の中央に位し里俗宮山と叫ふる丘陵の半腹にあり 西向きの建設にして社前は潺湲たる蓬莱川の流れ一帶の白布を敷きたる如く一直線を畫して南に向ひて奔れり水面より龍頭迄高きこと殆んど三丈餘岩奇畳々碧苔滑なり 境内には松杉橿の老樹枝を接して自ら幽趣あり 眸を東北に放てば蜿々たる山岳其極まる所を知らず頗る鎖夏弄秋の境に適す

大鳥籠守神社

[おおとりこもり神社]

栃木県佐野市・長谷場町1101


主祭神:日本武尊・底筒男命  境内社:稲荷神社・大山祇神・秋葉神社・八坂神社
創立年不詳。両社大明神と称した。大鳥神社‏/籠守神社額。
例祭:10月第四日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 両社大明神 上長谷場 泉福寺
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-30丁
野上村大字長谷塲小字神長谷塲山鎭座 村社 大鳥籠守神社 祭神日本武命 底筒男命 祭日大祭陰曆三月十五日九月九日小祭一月一日六月廿四日 建物本社間口九尺奥行九尺銅葺 幣殿間口九尺奥行九尺 拜殿間口三間奥行二間瓦葺明治十七84再建 前殿間口五間奥行二間半萱葺 石燈籠二基 末社五社 木鳥居一基 社有財產御供田四畝拾歩 氏子百戸惣代四員 社掌日野織衛仝村大字仝三七番地住
社傳に曰く本村は往古野上郷なるが元和二年1616分村して作原白岩上下長谷塲御神樂の五ヶ村となる 其當時上下長谷塲の兩村鎭守兩社大明神と稱するは本社にして神長谷塲山の麓に鎭座す 創立年月遼遠にして詳かならすと雖も元祿十四年正月神祇官統領より正一位の宣旨を賜はり古老の口碑に往古佐野家に崇る事ありとか故に佐野左馬介重綱か本社を再建して本村古百性四拾八名か列席して正月一日同月七日の兩日には干柿生栗菓子根ふか鰹節昆布白赤の餅七品に神酒を備て祭典する例あり 又陰曆六月十五日には小麥のふかしを獻て祭る古例式あり 本社の大門前の馬塲は巾九尺にして百十五間あり 社域七百十七坪高燥の地にして境内には老杉周園一丈三尺餘と古橿又は梅榊の大木ありて蒼弯たり 北は山高く西に野上川の滾々たる音を聞く 前には田甫開けて風氣快爽なるを覺ゆ

宇都宮神社

[うつのみや神社]

栃木県佐野市・作原町961

主祭神:大己貴命・三穂津姫命 配神:天照皇大神・八坂大神 境内社:熊野神社・稲荷神社・疱瘡神社・白抜神社・白岩神社・秋葉神社
建武(南朝)二年1335宇都宮の二荒山神社より勧請して創建,獅子臼大明神と称した。ついで宇都宮神社,安永二年1773には宇都宮慈眼大明神と称した。
宇都宮慈現大明神の扁額が掛かっている。
葛生バイパス293号線田沼から201号線を北上して白岩の宇都宮神社を越えて左手に鎮座。
例祭:10月15日
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-31丁
野上村大字作原鎭座 村社 宇都宮神社 祭神大己貴命 三穂津姫命 祭日陰曆四月一日九月九日 建物 本社間口一間奥行一間半銅葺 幣殿間口二間奥行二間瓦葺 拜殿間口三間半奥行二間 前殿間口六間奥行二間半 鳥居一基 石燈籠二基 盥漱水石一基 末社五社 氏子百三十八戸總代小平彥一郎外七員 社掌影山志善仝村大字白岩十九番地住
社傳に曰く本社は往古獅子臼大明神と稱す 本村を御神村といふ 本社は従五位下安房守廣網佐野小太郎の勸請にして建武二年1335九月九日の創立なり 其後宇都宮神社と稱へたり 安永二年1773三月朔日神祇管領長より慈現の尊號賜はり宇都宮慈現大明神と改稱せり 其當時卜部朝臣兼雄公の揮毫せし扁額を下賜せられて今尚存せり 文化二年1805村民再ひ本殿を改造し其結構頗る壯觀を呈するに至れり 明治五年村社に定めらる 別當職は往古より眞言宗眞如院なりしも維新の際神職安蘇谷主馬の受持となり繼て安蘇谷束の兼務となり同十二年二月より同村陰山宇善の受持となり同十七年九月同志善の奉仕する處となる 社域五百八十六坪にして一等里道の左傍本大字中央字岡庭の平坦の地に鎭座し本社は東南向にあり西北は連山蜿々として蓬莱山の故城趾に連り東南は開豁民家所々に點綴し野上川は其間を環流して田畝に灌漑せり 春花の曙秋山の紅葉山野に滿つる時文人墨士蓬莱泉山の名勝古蹟を探訪するもの必す杖を本社に曳く 境内には古杉老樹欝蒼として蓊蔚たり就中神木と稱する古杉は周圍二丈餘傑然として⾭天を摩するか如くにして古色靄然たり 仰けば神威彌々尊く俯ては野上川の滾々たる聲を聞くへし
 
   

野上岩嶽神社

[のがみいわたけ神社]

栃木県佐野市・作原町261


主祭神:市杵嶋姫命 配神:磐長姫命
藤原秀郷が唐澤城内に創建した厳島神社を建武(南朝)二年1335佐野廣綱が作原に勧請。その後,伊豆国加茂郡の雲見嶽神社より磐長姫命を勧請。文禄四年1595再建,延宝六年1678改築。
周囲7.5mの杉があった。
例祭:10月10日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 岩嶽大明神 作原 村
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-32丁
野上村大字作原鎭座 無格社 野上岩嶽神社 祭紳市杵島姫命 磐長姫命祭日陰曆三月十五日九月九日 建物本社間口四尺二寸奥行三尺三寸銅葺 幣殿間口八尺七寸奥行七尺五寸板葺 拜殿間口三間奥行二間小羽葺 前殿間口五間奥行二間蘆葺 末社五社 鳥居一基 石燈籠二基 牝牡獅子二頭 氏子三十六戸總代亀山米藏黑田榮吉龜山岩吉横塚貞藏 社掌同上
社傳に曰く往昔本村は岩嶽村と稻し鎭守は本社にして鎭守府將軍藤原朝臣秀郷安藝國嚴島神社を唐澤の城内に遷座せしか濫觴にして后従五位下安房守佐野小太郎廣綱か建武二年九月九日を以て當地に勸請し后亦伊豆國加茂郡雲見嶽神社を遷座して合祀せり 爾來五十餘戸の鎭守となりぬ 文禄四95十二月一日宮殿を建再す 明曆三年十二月一日修繕を加へ延寶六年正月七日本社改築す 享保二年三月十五日神祇官統領神祗伯雅冬王より正一位の宣旨を賜はり同王の揮毫せし神號の扁額を下し賜りて今尚存す 其后氏子絶家して廿六戸となる 后氏子信徒擧て祠殿を彩色し其結構燦爛として輪奐たり 本社は往時より鎭守たるも明治五年社格改定に際し惜むらくは無格祉となる 故に氏子等の遣憾千歳と云ふ可し 本社往古より別當職は萬壽院にて奉仕維新の際より安蘇谷主馬の受持となり繼て安蘇谷束の兼務となり明治十二年より本村影山志善の兼務となり績て影山志善の奉仕たり 社域一千百五十八坪にして本郡田沼町より蓬莱山に通する街道にして字下作原の中央に位する丘陵にあり 大門迄七十餘間の馬塲あり 本社正南に向ひ街道は本社の右傍を通じ野上川の急流滔々として其西南を迸流す 東北は愛宕山の懸崖の絶壁直径百仭にして黑嶽山は巍然として屹立し北は矢嶽前澤の諸山連然蜿々として蓬山の故城趾に至り南面は田甫接續して民家所々に點綴す 本社の周りには老杉欝蒼として天日を洩さず晝尚暗く寂寥として識らず敬神の念を起さしむ 加るに神木と稱する古杉は周圍二丈五尺矗立雲表に聳ひ遠くより望むも其神社たるを知る 實に其神々たること仙境に入るが如くなるべし

蓬莱山神社

[ほうらいさん神社]

栃木県佐野市・作原町2267


主祭神:市杵嶋姫命
天慶三年940藤原秀郷が蓬莱城(忍山城)を築城した際に守護として安芸厳島より勧請して天慶五年942創建と伝わる。
蓬莱山は豊城入彦命の命名。東蓬莱山頂上に大山祇命の石祠,西蓬莱山頂上に市杵島姫命の石祠。
例祭:4月17日

上作原に200年以上前に近沢大明神が記録されたが現在社は分からない。近沢峠があるが。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 近沢大明神 上作原 本光院

示現神社

[じげん神社]

栃木県佐野市・閑馬町2108 かんま


主祭神:衣通姫命 配神:大己貴命・事代主命・豊城入彦命 境内社:稲荷神社・八坂神社・同神三社(龍鳥宮大神)・神明宮
弘安二年1279紀伊国和歌浦の玉津島明神より衣通姫命を勧請,総社玉津島明神と称した。その後慶長十五年1610に宇都宮二荒山神社の三神を勧請して示現神社と称す。旧郷社。
例祭:10月10日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 慈眼大明神 閑馬 村人
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-33丁
新合村大字閑馬字宮内鎭座 郷社 示現神社 祭神大己貴命 事代主命 豊城入彥命 建物間口一間奥行一間 拜殿間口三間奥行二間 幣殿二県四方 神樂殿間口五間奥行三間 華表一基 末社六社 氏子二百五十二戸 社司木村眞暁仝村仝大字住
本社勸請は慶長十五年1610にして當國二荒山神社を奉遷し示現神社と稱す 明治五年郷社に定めらる 社域千百五十八坪平坦の地にして老杉古樹蓊鬱として晝尚暗く四境田甫に接し郡内屈指の社境にして風致頗る幽邃なり 往古より神職は木村家にて代々奉仕怠たらすと云々

出雲神社

[いづも神社]

栃木県佐野市・閑馬町2239 かんま


平成14年建立の朱塗の鳥居。閑馬小学校の東向かい。

羽黒神社

[はぐろ神社]

栃木県佐野市・閑馬町2514-2

主祭神:倉稲魂命 境内社:湯殿大神・若宮八幡・八坂神社・大山祇大神
創立年不詳ながら川田丹後が出羽の羽黒山より勧請。閑馬上邑の小俣に祠を建て羽黒権現と称した。延宝六年1678神祇官領より大権現の稱號を許され,羽黒大権現と称した。宝永八年1711現在地に造営。明治六年1873の羽黒神社と改称。
例祭:10月10日に近い日曜日

八幡神社

[はちまん神社]

栃木県佐野市・閑馬町3003

主祭神:譽田別命 境内社:日光大神・秋葉大神・日本武神・若宮八幡宮・厳島神社・大己貴命・水神
永正七年1510山田某が山代の石清水八幡宮より勧請。元禄十四年1701社殿造営。
例祭:10月10日に近い日曜日

八坂神社

[やさか神社]

栃木県佐野市・閑馬町316

主祭神:健須佐之男命
寛永十年1633四月創建。小字春高に祠を建て津島天王健須佐之男命を勧請,疫病退散を祈願した。天保十年1839拝殿建立。明治五年1872牛頭天王から八坂神社と改称。
例祭:7月25日に近い日曜日

箕輪山神社

[みのわさん神社]

栃木県佐野市・閑馬町3520-1

主祭神:大山祇大神 境内社:出戸山神宮
安政五年1858五月創建。
例祭:5月3日

浅間神社

[あさま神社]

栃木県佐野市・閑馬町3857-1

主祭神:木花咲耶姫命 境内社:伊邪奈岐命‏/伊邪奈美命二柱大神・天照皇大神宮・大室神社
詳細不詳。昔は石宮だったが流造板葺の木製祠が建てられた。
例祭:4月20日に近い日曜日

宇都宮神社

[うつのみや神社]

佐野市・下彦間1048-1

主祭神:大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命 配神:高龗[たかおかみ]命・鳴雷命・速須佐之男命・大山咋命・木花咲耶姫命 境内社:駒形神社・織姫神社・八坂神社
元和三年1617に宇都宮本多上野介の支配下にあったときに,二荒山神社より御分霊を勧請して創建,宇都宮大明神と称した。下彦間鎮守。昔は境内にある駒形神社が鎮守であった。
江戸中期に慈眼大明神と改称し,明治三年再度宇都宮神社に改称。
例祭翌日の祇園祭で妖魔退散,五穀豊饒祈願の獅子舞「ささら舞」が奉納される。
戸奈良の鹿嶋神社からさらに6kmほど奥に行くと右手に鳥居が見える。
社号標は「邨社宇都宮神社」
左手に文字のない石塔が三基。杉林の奥に社殿が見える。
神楽殿付きの立派な神社。背後は山。
「安永三年甲午十二月吉日」1774手水石。
「大正三年八月一日」の旗杭。
拝殿右手に織姫神社(棚機姫命),駒形神社(宇気母智神),八坂神社(速須佐之男命)にあたる境内社3社。奥の石祠には「明治十一寅年九月一日再建」の文字。
「天保三辰年正月吉日」1832の石碑。
「享和二壬戌三月」1802の石塔。
「元禄十六癸巳年 奉造立石燈」1703これは古い。
本殿のレリーフも見事に残っている。
本殿:権現造銅版葺 幣殿:権現造銅版葺 拝殿:権現造銅版葺
例祭:8月1日に近い土曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 慈眼大明神 下彦間 小野加賀
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-33丁
同村大字下彥間字宮前鎭座 村社 宇都宮神社 祭神大已貴命 相殿田心姫命 豊城入彥命 祭日十月一日 建物本社間口三間奥行二間栃葺 幣殿間口一間四尺奥行二間 拜殿間口三間奥行二間銅葺 神饌所間口六間奥行三間 末社三社 華表一基 氏子二百三十四戸總代四員 社掌小野淸造同郡佐野町郷社朝日森神社社司
本社は元和三年1617の創立にして往古は宇都宮大明神と稱し當國二荒山神社の分靈を勸請せし社なり 中頃慈眼大明神と改稱し后明治三年宇都宮神社と復舊し同五年第九大區九小區の郷社に定められ衆庶尊敬の社なりしか同十年行政區劃の都合により村社に列せらる 社域二千三百廿六坪平坦の地にあり 社殿巨大美觀にして境内及ひ長馬塲凡三町餘には古杉老樹蔚然として生ひ繁り神寂ひて雅致あり 近年地方の有志者相議り同村岩下翁の事蹟を録したる一基の碑石を社傍に建つ 従一位久我建通公の篆額正七位葵川信近の撰文にして戸田少教正の書なり

八雲稲荷神社

[やくもいなり神社]

栃木県佐野市・下彦間町1048-1


主祭神:素盞嗚命・倉稲魂命または豊受姫命 境内社:天満宮・箱根神社(曽我十郎,五郎)・水天宮(水分神)
貞観十一年869創建。11世紀中ごろの前九年後三年役のとき源義家が戦勝祈願した。

八劍神社

[やつるぎ神社]

栃木県佐野市・梅園町607-1


主祭神:日本武尊 境内社:雷電神社・大己貴命・山神宮・産泰神社・厳島神社・八坂神社・為朝神社
天文二年1533創建。延喜式神名帳記載の愛智郡八剣神社すなわち熱田神宮別宮八剣宮から名をとって八劍神社と称した。
例祭:10月15日に近い日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 八剣大明神 梅園 岩上長門
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-34丁
同村大字梅園銀座 村社 八劍神社 祭神日本武命 建物 本社間口四尺奥行四尺 拜殿間口二間半奥行二間半 幣殿間口一間二尺奥行一間 神樂殿間口五間奥行二間半 氏子四十七戸 社掌岩上登
本社創立は天文年中本村信仰により尾張國熱田大神を奉遷して鎭守神と崇敬す 社域民有第二種にして百四十一坪を有す

人丸神社

[ひとまる神社]

栃木県佐野市・山形町1223


主祭神:柿本人丸朝臣命 境内社:稲荷神社・大海山竜命・雷電神社・神明宮・八幡宮・土神社・長等神社・疱瘡神社・大福津日神
創建不詳。「
正徳三年1713七月二十七日神祇管領兼教 文久二年1862壬戌三月二十一日遷宮」とある箱書が残っている。明治四十二年1909嘉永六年1853創建?山越加茂御分霊雷電神社,阿夫利神社,八坂神社を合祀。
例祭:10月第三日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
安蘇郡 正一位 人丸大明神 山形 本明院
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻ニ-34丁
同村大字山形鎭座 村社人丸神社 祭評柿本人麿璽 建物本社本社間口五尺奥行五尺 拜殿間口三間奥行二間 幣殿間口一間奥行一間半 末社七社 石燈籠一基 氏子百二十四戸 社掌藤掛數間
本社創立年月詳ならす 社域六百廿一坪を有す

茂木稲荷神社

[?いなり神社]

栃木県佐野市・山形町1623


主祭神:倉稲魂命
稲荷明神のイヌガヤが聳える。

▊野上村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-28丁
本村は白岩,御神樂,長谷塲及ひ作原の舊四ヶ村を合併して一の自治區をなせしものにして其面積約二千百三十町歩餘にして地形東西狭く南北に廷ひ野上川は殆と中央を貫流し北より南に向て流下し彥間川に合し旗川となりて渡良瀬川に注けり 東は氷室村に西は飛駒村に界し南は三好新合の兩村に接し土地高峻にして山脉全村に亘れり 村民は農耕及ひ木材薪炭業に従事し風俗朴直勤倹の風あり 交際親密にして敬神の志厚し
本村は山間の地方にして道路交通に至りては便なりと云ふ可からす只葛生街道の北方作原に通するものあるのみ 又里道に至ても稍々各所に通するを見るのみ 然れとも名勝なる蓬來山‏/‏唐澤山神社の部に詳説す/ありて春秋の候には遠近の士女來り遊ひ往來頻繁なり
古來の浩革に就ては各村往時は共に佐野氏の所領たり後又共に幕府代官の知行所となり更に相分れ各々領主を異にし次て明治維新に及ひ日光縣に屬し更に栃木縣の所轄となり次て町村制實施に當り相合して一村となし野上村と稱す 本村には村社四社及ひ有名の無格社一社ありて其氏子戸數三百四十餘戸人口二千五百七十餘人あり

▊新 合 村 *『下野神社沿革誌』明治三十五年1902五月十日發行 巻ニ-4丁
本村は閑馬,下彥間,梅園及ひ山形の舊四ヶ村を合し一の自治區となせしものにして地形東西に狭く南北に延ひ平行四角の形様をなし東は野上三好の兩村と境界相接し西は足利郡と郡界を交へ南は赤見村に北は飛駒村と隣し村内山陵岡丘起伏する者あり土地又自ら高きものあり 彥間川は源を飛駒村の山嶽の澗より發し南流して本村を南北に貫流し舊各村皆其沿岸にあり 支流叉村内を流れ沿岸土地自ら拓けるあり 又道路交通に至ては田沼を經て山形梅園閑馬下彥間の各地を連結し飛駒村に至るあり 其他里道數線ありて不便を訴ふる事なしと云ふ
古來の沿革に付ては往時藤原秀郷の領する所にして佐野氏相繼き後幕府代官の所領となり后又宇都宮氏に屬し更に井伊家の所領となり次て明治維新の際彥根藩の所轄となり次て栃木縣の管轄となり更に町村制實施に當り合併して一村となる 本村には郷社一社及ひ村社三社ありて其氏子戸數五百餘戸人口四千四百二十餘人の多きを有す

 

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