星宮神社

[ほしのみや神社]

栃木県塩谷郡塩谷町佐貫255

祭神:磐裂命・根裂命・経津主命
境内社:稲荷神社(倉稲魂命・大宮女命)
佐貫の集落の北東の山裾に鎮座するので,下記琴平神社に伝わる丑寅の方角に総鎮守を祀った口碑に一致する。
覆屋は平成27年新築。先の台風で境内が打撃を受けたという。棟札に「星の宮覆い屋建設委員」とある。本殿周囲の敷石は寸分の狂いもない見事な加工。覆屋左右に朱色の祠。左は稲荷神社。右は不明。
境内社稲荷神社祭神の「大宮女命」は「大宮売神」のことで,祭神とする代表的な社に伏見稲荷大社がある。この神を独立させて右の社に祀ったのかもしれない。
延享四丁卯年1747石燈籠。弘化二稔1845石燈籠。明治二十四年1891狛犬。昭和三年1928手水石。
「奉納・惣○石疋」の石版記念碑が左手狛犬脇に建てられている。惣の次は金へんのようだ。奉納の右側が読めない。12名の名前が刻まれ「村中」で結ばれている。年号は確認できなかった。
さて『下野神社沿革誌』に本社南西の方向に向かって石燈籠が並列していると記されているが,100年後の現在は見ることができない。
例祭:12月第二日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七・30丁
鹽谷郡船生村大字佐貫鎭座 村社 星宮神社 祭神 磐裂命 建物本社間口二尺三寸奥行二尺五寸 氏子二十七戸
本社は字座禪ヶ入に在りて社域二千百四十八坪を有し本社坤方に向ひ石燈籠並列し境内には石の鳥居及ひ若杉蔚々として風色佳なり
風格があるが年代不明
本殿
本殿左手
本殿右手
明治二十四年1891狛犬
年代不明の記念碑 延享四年1747
弘化二稔1845 作業用建物 鳥居方向
くぐり屋にあたる建物がある ここで火を囲む
もう一基鳥居があった?
琴平神社

琴平神社

[ことひら神社]

栃木県塩谷郡塩谷町佐貫776

祭神:大物主命
佐貫村の表鬼門,丑寅の方角に上記星宮神社を創建したが,裏鬼門に社のないことを畏れ,鬼怒川の清流を見下ろす岩上に大物主命を奉祭して創建と伝わる。周辺に古代祭祀跡がある。
佐貫の観音に至る旧街道に架かっていた観音橋は2016現在半分ほど取り壊されて通行できない。現在は新しい二車線の観音橋ができたので,橋を渡ってすぐ左に石鳥居が見えるようになった。
鳥居柱に平成十九年の改修記念銘板。石段を登り始めると石段寄進碑。石段が途切れ,杉の根を利用した階段状の坂を上って行くと社殿が見えてくる。けっこう高いところに鎮座している。石垣も組まれ,杉に囲まれた山頂に境内がつくられている。右手に神楽殿。石垣下に「天保八酉年1837」手水石,大正四年1915石燈籠。最初の石燈籠は大正四年1915。小振りながら迫力のある狛犬。この面構えは佐貫255の星宮神社の狛犬と作者を同じくするかもしれない。石段上の石燈籠は天保五年1834と天保十四年1843,昭和十九年1944。
石垣左端に昭和22年1947「石垣竣工記念」碑。
例祭:7月第二日曜日
鬼怒川方向
登り口 石段が切れる 石段寄進碑
杉の根 想像以上に整った境内
神楽殿
年代不明
天保五年1834 天保十四年1843
本殿 本殿左手裏
三日月様
鬼怒川を見下ろす 木製祠もあった
佐貫の観音の岩 山頂から見た本社
石垣竣工記念 星宮神社方角 鬼怒川の橋から鎭座の山
水神宮

水神宮

[すいじんぐう]

栃木県塩谷郡塩谷町船生3399

主祭神:弥都波能売神[みつはのめのかみ]
佐貫の観音前を西に鬼怒川沿いに進むと左岸の小高い岩の上に石塔群が見える。枯れ草に覆われているが岩場である。 『日本書紀』に伊弉冉尊が火神軻遇突智を生んで焼かれて亡くななられるとき,土神埴山姫と「水神罔象女」をお生みになったとある。[みずのかみ・みつはのめ]と読まれる。『古事記』の表記は「弥都波能売神」
水をつかさどり,祈雨祈晴,水難除けの神として祀られる。丹生川上神社の中社がこの罔象女神を祭神とする。
鬼怒川は堤防が整備されるまでは大規模な洪水を幾度となく繰り返し,人々を悩ませた。地震などの崖崩れで五十里湖あたりに溜まった土砂が自然ダムを形成し,それが一気に崩壊して下流は小山市の先まで流域を襲い,津波にたとえて五十里海嘯と呼ばれて恐れられた。五十里ダムが完成したのは昭和31年であった。流域に祀られる神として最適の神。詳細不詳だが,江戸期の創建と思われる。看板にある慶応四年1868の文字は残念ながら見つからなかった
なお立看板は「水神様」であるが,自然石に「水神宮」と刻んであるので,社号はそれに従った。
▉2017年9月に県立博物館の「中世宇都宮氏」展で佐貫観音磨崖仏奥の院の明治十二年1879御開帳の際発見された銅板阿弥陀曼荼羅が展示された。裏面に「下野国氏家郡讃岐郷巌堀修造事勧進沙門満阿弥陀仏大檀那右兵衛尉橘公頼 建保五年丁丑1217二月彼岸第三日 金銅仏奉掘出畢」,橘公頼は宇都宮朝綱の子で氏家公頼と称した。公頼晩年に責任者として奥の院を修繕したときに奉納。
水神宮 枯草の下は岩
右手に鬼怒川
高いところに 解説板
旧観音橋 佐貫の観音の大岩 琴平神社は中央の山に

 

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