東護神社

[とうご神社]

栃木県塩谷郡塩谷町風見1262

主祭神:大己貴命 配神:味耜高彦根命・事代主命
境内社:稲荷神社・八幡宮・愛宕神社(軻遇突智命)・天神社 境外社:大杉神社
承和元年834小野篁が二荒山神社より御分霊を勧請し東国鎮護の神として奉祭し,創建した伝わる。塩谷では岩戸別神社についで県内屈指の古社。平安時代の公卿小野篁はそのころ遣唐副使なので下野には来ていないが,隠岐に流刑になっていた承和六年839ころに足利学校を創建したという説も残っていて,時空を超えている。
東護神社に奉納される「風見の神楽」は,現在は平地に鎮座する境外社の大杉神社で催される。
大杉神社からほぼ真西の方向の明神山登山口に明治二十九年1896建立の石鳥居が立っている。
石段を登り始めると左手に「嘉永元年申1848坂施石寄附」記念石祠。150年以上前の寄附芳名が刻んである。右は昭和55年1980改修竣工碑。
明治四十四年1911石鳥居。昭和十二年1937狛犬脇に「宝暦二壬申歳1752正一位東護大明神」石燈籠。拜殿右手の一基はほとんど読めないが拝殿を背にして斜めから見ると「元禄六癸酉天1693」と斜体細字が浮かんでくる。県内にはなかなかない貴重品。左手狛犬脇のもう一基は残念ながらほとんど読めないが,「元禄七甲戌天1694」。
沿革は『下野神社沿革誌』に詳細が掲載されている。そこには風見城は神社の西の要害と称する高峰にあったことが記されている。また社殿の特徴である「廊下」が記録されている。さらに文久二年1862に役人の横暴で社の周囲ばかりか馬場先両側に至るまで幹周り二丈=6mもあった老杉檜の山林を伐採してしまったことが書かれている。もし残っていたらさらに樹齢150年を加え,塩谷は日本有数の巨木観光地として栄えたに違いない。残念である。少し長いがここに全文を転記しておく。
例祭:4月第一日曜日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 正一位 東護大明神 風見 小島兵庫
*『下野掌覧』万延元年1860 塩谷郡之部
正一位 東護大明神 風見村鎮座 祭主小嶋氏ナリ
*『下野神社沿革誌』明治三十五年1902 巻七・25丁
鹽谷郡大宮村大字風見明神山鎭座 村社 東護神社 祭神 大己貴命 事代主命 味耜高彦根命 祭日六月十四日九月十四日
建物本社一間四方栃葺 雨覆間口三間奥行三間 廊下巾一間長三間 拜殿間口三間奥行二間栃葺 末社一社 木鳥居二基 石燈籠三基元禄六年1693/同七年/宝暦二年1752設立 御饌殿一棟 氏子四十一戸總代二員 社掌小島光永同村同大字十六番地住
本社は承和元年834の創立にして小野篁當国二荒山神社を遷座し東國鎭護として勸請し東護神社と稱し奉ると云云
後龜山天皇の御宇弘長三年1263領主風見十郎左衛門嗣胤崇敬して社殿再建す 文祿年間1592-96再ひ領主風見十郎左衛門修繕す 后安永六年1777の再築なり 享保十一年1726神位宗源宣旨正一位を賜はらる 往昔は風見山田泉大宮上平風見五ヶ村の鎭守たりしか今は風見の村社たり 神職は天文四年1535より小島氏奉仕し祖先和泉守紀より十二代連綿として襲職す 社域一千五百六十八坪本大字西方の高嶺にあり 馬塲三丁餘にして麓に一の華表あり 二十一階の石磴を登れは漸平坦にして叉三十三階を登り少の平地を歩めは五十一の石階あり 叉五階の石磴あり十九級の石階を躋りて鳥居を潜れは廣平たる境地にして清洒たり 其中央に本社拜殿の壯麗古色蒼然として掬すべし 殊に眺矚に富み遠くは那須の火山鹽原の高嶺崔嵬たり 西に黑髪白根信濃の淺間嶽を望む 南は毛野の長流滔々として麓を灌き羽黑の山に相對し散水の風韻甚佳なり 南麓には小島神官祖先代々の墳墓地小島河原等の舊跡あり 西に要害と稱する高嶺ありて寶徳より天文天正1532-92の頃風見領主か敵の防御に備ふる要地なりとか 叉本境は文久以前は古杉老檜/二丈より一丈五尺回りあり/鬱蒼として繁茂し晝尚暗くして物凄き境なりしも惜むらくは文久二年1862地頭役所に於て社地回馬塲先兩側をも伐採せしを以て今は其后植付たる若木のみなれとも森然として蓊蔚し神寂ひて雅致あり
明治二十九年1896一の鳥居 坂施石寄附芳名石祠
嘉永元年申1848
最後の石段 神楽殿 拜殿
明治四十四年1911二の鳥居
昭和十二年1937狛犬
左:元禄 右:宝暦 正一位東護大明神
拝殿格子から 拝殿内
石燈籠は三基ある
廊下 本殿 大きな本殿だ
拝殿内の絵-ピンボケ 境内社
社号不明 本殿右裏手
以前は風見の神楽がここで
下り
鳥居の先に大杉神社 大杉神社は持明院の森の手前 東護神社鎮座の明神山
大杉神社

大杉神社

[おおすぎ神社]

栃木県塩谷郡塩谷町風見744

主祭神:大山祇神
真西650mの明神山山頂に鎮座する「東護神社」の境外社である。4月第1日曜日の東護神社例祭に奉納される「風見の神楽」が,ここ大杉神社で行われる。次項参照。
拝殿内に歌人四名の画像と歌が書かれた大きな額が架けてある。右端から中納言家持「春の野に安さる雉子の妻恋に於のがあたりを人に知れつつ」。山部赤人「和歌のうらに汐みち来ればかたをなみ芦辺をさして田鶴鳴きわたる」。在原業平「世の中にたえて桜のなかりせば春のこころはのどけからまし」。僧正遍昭「たらちめはかかれとてしもむば玉の我がくろかみを撫でずやありけむ」
宝暦二壬申天1752石宮。本殿左手前に三峯神社の木製祠。
境内南の川のほとりに多数の石塔。民家には水車が回っている。
例祭:8月最終日曜日 神幸祭 神輿巡行
拝殿内 歌額 二社
宝暦二年1752石宮 三峯神社
惜しい 高原山が見える
多数の石塔
水車方向 水車
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神楽

風見の神楽

[神田流風見太々岩戸神楽 かざみ・だいだい・いわとかぐら]

栃木県塩谷郡塩谷町風見744 大杉神社

塩谷町の産業振興課の方におうかがいしたところ,親切にお応えいただきました。25年ほど前までは通称「風見の神楽」は明神山の東護神社で奉納されていましたが,現在は平地に鎮座する境外社の「大杉神社」で催されます。ネットでは開催場所が混乱していますのでご注意ください。
明神山頂上の東護神社は登ってみると分かりますが,神楽に必要な装置を運ぶのはとてもたいへんです。大杉神社は里宮の役割を果たすわけです。もちろん神事は東護神社で地元の方だけで厳粛に行われています。
大杉神社は東護神社一の鳥居から真東に見える持明院の森の手前に鎮座します。大杉神社の裏にまわると真西の山裾に東護神社の石鳥居が見えます。
開催日:毎年4月の第1日曜日 12時頃に開始され15時30分頃まで
場 所:大杉神社 塩谷町風見744
演 目:総礼の舞,翁の舞,住吉の舞,二神の舞,岩戸の舞,恵比寿の舞など36座。神田囃子の流れをくみ,36座異なる曲が演奏される。神話を題材にした太々神楽。
縁 起:元和二年1616に始まると伝わる。その後の中断期間は不明だが,文政七年1824に風見に悪疫が流行し,翌文政八年1825に悪疫退散,家内安全,国家安泰を祈願して東護神社に神楽を奉納した記録が残っていて,その後継続して明治十一年1878まで53年間催されたが,鼓笛部に人を得ず10年間の空白の後明治二十三年1890に復活し,現在に至っている。
異 説:典拠不明だが,慶長五年1600関ヶ原の合戦で東軍についた褒賞として東護神社は1500石の社領を賜る。返礼として中里神太夫・中里大和が東護神社に田楽を奉納したのが始まりと伝わる。1616年開始説と隔たりがある。大阪夏の陣が終わるのが慶長二十年1615なので,元和二年1616開始の伝承に合ってくる。口伝であって文書に記録されているわけではないので,実際は関ヶ原から夏の陣を経て,戦乱を終えた江戸時代初期に始まったということだろう。
元和二年1616に始まったと伝わるので2016年でちょうど400年になります。太々神楽の中では古い歴史と伝統を誇り,東護神社岩戸神楽保存会によって継承され,昭和32年に栃木県教育委員会より重要文化財に指定されています。
舞の開始にあたり,座長から簡単に内容が紹介されます。演目の区切りでも歴史や演者の紹介がなされます。エビス舞の前には河原石を渡る足運びを座長みずから演じて解説をしてくれました。
笛・太鼓に楽譜といったものはなにもなく,踊りとセリフに台本があるわけでもなく,見様見まねで延々と400年続いているわけで,これは驚くべき伝統芸能です。
舞には道化役のオカメ,ヒョットコが登場し,すぐ近くまで見に来ている子どもたちをひょうきんにおどしてみたり,頭を撫でたりして,一体感をつくりあげます。さすがに八岐大蛇におどされた女の子は泣き出してしまいましたが,これで病気にならないよとさとされて再び拜殿の石段まで近づいて行きました。
演目のヤマタノオロチでは口をぱくぱくさせるために面の裏側に細工された木板を,20分ほどでしたか,ずっと口にくわえたままでいるということで,たいへんな労力がかかるそうです。
演者の足もとに,おひねりを放り込むおばあさんもいらっしゃしました。
エビス舞では,釣糸の先に餅を餌にして御祝儀を釣り上げるという設定で,観客が釣糸に御祝儀を結ぶとエビス様と糸の引っ張りあいをして笑いを誘います。
最後には縁起物の餅などが撒かれてお開きとなります。
(大久保の星宮神社,玉生の親孝子神社,田所の星宮神社でも風見の神楽が招かれて奉納される。どの神社でいつ演じられたか,文政ころから記録されているらしい。)
参考:
「塩谷町のホームページ」
「日本の祭りと花の旅めぐり」
2016年4月3日撮影
演目の解説がされる 84の方が演じる足名稚神
オロチを酔わせる酒の準備
八岐大蛇
酔潰れたオロチ 須佐之男命
櫛名田比売
恵比寿さま
釣糸引きあい 大杉神社裏から見た東護神社の山
天満
天満宮

天満宮

[てんまんぐう]

栃木県塩谷郡塩谷町風見1146

主祭神:菅原道真公・火産霊命
持明院内「醫王殿」の右手裏に木製祠が二社祀られている。右側の祠に「天満宮」石版が立て掛けてある。
『鹿沼聞書・下野神名帳』にある「天神宮」がこれにあたるだろうか。すると左側が愛宕神社か。
寺の入口には湯殿山,月山など石塔多数。 上記大杉神社のすぐ東。
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
塩谷郡 天神宮愛宕大権現 風見 持明院
持明院入口 醫王殿
醫王殿右脇を入る 持明院石塔群 湯殿山,月山

 

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