金井神社

[かない神社]

栃木県下野市・小金井1-26-16

旧地名:下都賀郡・国分寺町大字小金井字仲町
祭神:磐裂神・根裂神 配神:火産霊・譽田別命・倉稲魂命・猿田彦命・木花咲耶姫命・菅原道真公・神倭磐余彦命・伊耶那岐命・伊耶那美命・国之常立命 境内社:八坂神社・雷電神社・天満宮
虚空蔵宮と称し字余又に鎮座していたが宝暦四年1754現在地に遷宮,北辰社と改称した。『鹿沼聞書』によれば星宮大明神を名乗っていた可能性が高い。別当であった慈眼寺は当社に隣接している。明治五年1872金井神社と改称。昭和十七年1942社殿改築。
左甚五郎が日光から江戸に戻る途次,金井宿に立ち寄り,当社に参詣,芳賀郡田野村の彫刻家吉兵衛を招いて歓談した。吉兵衛奮起し三年余の年月をかけて本殿に精緻な彫刻を施した。
南隣りに『鹿沼聞書』に記録された慈眼寺が現存。4号線沿いに平成17年石鳥居。
境内右手に「稲荷神社」「雷電神社・天満宮・交通安全神社」
例祭:2月28日/7月24日/11月18日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡  星宮大明神 小金井 慈眼寺
*『下野神社沿革誌』巻4-29丁(明治三十六年1903)
下都賀郡國分寺村大字小金井鎭座 村社 金井神社 祭神 磐裂命 根裂命  建物本社四尺四方 拜殿間口三間半奥行二間 雨覆間口二間半奥行三間半 玉垣間口四間奥行五間 末社三社 氏子二百戸
本社創立詳ならすと雖も往古は字余又に鎭座ありしか宝暦四年1754字仲町の今の社地に移遷す 明治二年1869九月再建し社殿壯麗なり 社域二百十七坪平坦の地に在り
拝殿内 本殿が遠くに見える 本殿解説
稲荷神社
稲荷神社 右:雷電など三社
明治二十四年1891盥漱盤 嘉永六年1853?
昭和十八年1943改築紀年手水石
八龍はすぐ西に鎮座 国道4号を挟んで
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八龍神社

八龍神社

[はちりゅう神社]

栃木県下野市・小金井2-8-1

旧地名:下都賀郡・国分寺町大字小金井
祭神:高龗神・闇龗神・八龍神
小金井神社の裏手の川沿いの公園に鎮座。 鳥居の東の「八龍神社本殿跡地」碑の裏に「ここ八龍神社は江戸時代の頃より村民を天災病魔から御加護下された守護神なり その境内が都市区画整理事業により整備されこの地から現在地に御本殿が移設されたもの也 昭和六十二年1987九月 氏子中」
その隣りは「八龍神彰徳之碑」で裏に由緒が刻まれている。簡単に読めるかに見えたが,7割しか読めない,建立の年月すら読めない,しかし祭神は祈雨祈晴の「高龗神・闇龗神」,小金井宿の災厄防止の「八龍神」の文字が見える。石碑写真に黄色点を付けておいた。権限のある方がタワシでこすればまだ全文読めそうだ。
昭和三十九年1964立木伐▢の日▢境内には杉と欅ととり交ぜて晝尚暗き▢に樹齢三百年八尺に▢及ぶ大木が新田を覆ってゐた 伐採された翌年昭和四十年1965七月十六日▢▢八龍神の社殿…倒壊或は破損の災厄を蒙るこの災害に神殿も影を止めず敷石の白く残るのみ…」
半世紀ほど前までは大木が林立し鬱蒼たる境内だったが,落雷か火災か,社殿も消滅し敷石だけになってしまった。氏子の努力で再建されたところまで刻んであるようだ。
「八龍神」社号標に「昭和四十五年1970三月八日建之」とあるのが再建年か。その後昭和末期にお上のお達しで区画整理の憂き目に遭い短い距離ではあるが本殿を移設して,幸いにも少しは樹木の残る明るい神社に生まれ変わった。朱色も鮮やかに,とても頑丈そうな本殿だ。移設の際に奉納された石燈籠に「昭和六十二年1987十一月吉日」とある。
国分寺町長若林英二氏が昭和五十四年1979に刊行なさった『国分寺の四季』所載の「八龍神物語」には,国の神社愚策によって昭和三十九年1964八龍神境内の千古の杉欅を泣く泣く伐採せざるを得ず,その祟りで翌年7月16日には大ひょう害,昭和四十四年1969には20戸の家屋を破壊した竜巻,昭和五十年1975には,かんぴょうなどの農作物を全滅させるほどのヒョウ害に見舞われ,昭和五十一年1976三月に八龍神に祭壇を設けサクラとケヤキを植樹して厄災鎮静を祈願したことが7頁にわたって書かれている。これが石碑に刻まれている内容だ。
同書には姿川の雷橋付近に稲荷神社の小祠があることが書かれているが2022現在まだ発見できない。
例祭:金井神社と共同の春祭2月28日
朱色も鮮やかな本殿
八龍神社本殿跡地 八龍神社本殿跡地碑裏
八龍神彰徳之碑 由緒 「八龍神」社号標
昭和六十二年1987
目立つ本殿
樹勢も旺盛
西から 道路から 桜の古樹
鎮座の杜 西の墓地脇から 南に川
稲荷神社

稲荷神社

[いなり神社]

栃木県下野市・笹原177

旧地名:下都賀郡・国分寺町大字笹原
祭神:倉稲魂命 配神:倉稲魂命・大山祇命・伊弉那岐命・伊弉那美命 境内社:神明宮・天満宮・稲荷神社・大杉神社・厳島神社・日本武神社・児子神社
「笹原稲荷大明神縁起」が伝わる。万治二年1659大越氏が発起人となり稲葉之介が笹原新田を開いて居住した。それ以前から稲荷殿林なる聖地があったところに慈眼寺に伺いを立て氏神を祀る。安永1772~81頃に「寺久保稲荷大明神」と称した。安政年間1854~60に嫡男勘兵衛,嫡子伊左衛門が「藤森稲荷大明神」額を頂戴して再建。
例祭:2月初午/11月15日
*『鹿沼聞書・下野神名帳』1800年頃
都賀郡  稲荷五社大明神 笹原 水谷主殿
*『下野神社沿革誌』巻4-29丁(明治三十六年1903)
下都賀郡國分寺村大字笹原新田鎭座 村社 稻荷神社 祭神 稻倉魂命
建物本社間口三尺四方 拜殿間口三間奥行二間 末社七社 氏子三十三戸 本社は字稲荷回に在りて社域一千三百五十一坪を有す
正一位寺久保稲荷大明神
拝殿内の額 一の鳥居
由緒 拝殿左下 旧鳥居
少し高くなった所に本殿
本殿裏
本殿右手裏 本殿右手
御神木 御神木
社務所兼公民館
参道と廖に天満宮 昇格記念
昇格記念 笹原改称紀年
大山神社

大山神社

[おおやま神社]

栃木県下野市・小金井1168

旧地名:下都賀郡・国分寺町大字小金井
祭神:大山祇神
鳥居脇の「山の神大山神社」社号標裏に「大山祇神一九八一年八百年紀年」とある。つまり創建元久元年1204ということだろう。すぐ北に鎮座する熊野神社と同年である。付近の河越大越神社と熊野神社もこの地の開拓者大越氏の祖先が創建したものだろう。
少し南の墓地には「おきん桜」「胞衣埋納所」「開運大胞衣門」がある。
2
付近のお宅の神社 付近のお宅の神社 胞衣埋納所
石宮があった
発起人に大越さんが
大越神社

河越大越神社

[かわごえおおこし神社]

栃木県下野市・小金井1346

旧地名:下都賀郡・国分寺町大字小金井
京姫は河越重頼の娘で源義経に嫁いだ郷御前のことで,平泉で義経と最期を共にした。重房はその弟で頼朝によって16歳で父と共に誅殺される。文治元年1185に重房が隠れた「きつねのほら穴」跡に「河越狐の神社」をつくって稲荷大明神とした。
奥にある石宮には「川越太郎▢?」木札。
社号は朱鳥居前左手の社号標のとおりに掲載した。
祭神と刻まれた右端の行は,八百年紀年なんとか,二行目は小太郎重房なんとか,三行目は京姫義経夫人なんとかで,残念ながらよく読めない。
奥のお宮 川越なんとか
7
稲荷神社 狐洞穴なんとか
 
河越狐の神社 祭神
権現稲荷

熊野神社/権現稲荷神社

[くまの・ごんげんいなり神社]

栃木県下野市・小金井1346

旧地名:下都賀郡・国分寺町大字小金井
鳥居左手社号標に「熊野神社紀州/権現稲荷大明神」,背面に「八百年紀年/熊野権現 元久元年1204七八十前/稲荷大明神 嘉永三年1850百三十前/熊野神社 昭和五十六年1981」1981を起点に約780年前,130年前とあり,右端に創建から約800年と刻んである。
すぐ南の大山神社と同年の建久元年1190に紀州熊野より御分霊を勧請して「熊野権現」を創建,江戸末期に「稲荷大明神」を創建または合祀したと推測する。「権現稲荷」の呼称は熊野権現の権現と稲荷を合わせたものかもしれない。
金井村ごん現堂三百七十前 熊野神社紀州/権現稲荷大明神
かめや
橘神社

橘神社

[たちばな神社]

栃木県下野市・小金井1691

旧地名:下都賀郡・国分寺町大字小金井字
「名所小金井八景橘神社/赤見堂/元禄年間1688~1704五代将軍徳川綱吉公之時設定二百九十前」と刻まれているので元禄年間の創建。社号は鳥居額にならった。
橘神社 五重の塔
設定二百九十前
本殿
 
磐裂根裂神社

磐裂根裂神社

[いわさくねさく神社]

栃木県下野市・箕輪339

旧地名:下都賀郡・石橋町大字橋本字箕輪
祭神:磐裂命・根裂命
寛正三年1462壬生胤業が壬生城の支城として築いた箕輪城跡に鎮座。延元(南朝)四年1339以前の小山氏築城説が有力。
平成24年2012石鳥居。弘化三年1846石燈籠。昭和60年1985改築記念碑。
2005年頃はまだ「虚空蔵神社」で記録なさる方がいらっしゃる。江戸期には虚空蔵宮で下野市では維新に際しほとんどが星宮神社と改称する。栃木県では虚空蔵から磐裂神社・根裂神社に,また磐裂神社と星宮が入れ替わる例が見つかる。箕輪では二神を合わせて「磐裂根裂神社」と改称した。
箕輪城址は栃木の城址を260以上調査なさっている方の【栃木の城+α】をご覧ください。
縄張図はmasakiさんの【栃木県の中世城郭】をご覧ください。
拝殿額 本殿
改築記念碑
覆屋内 中は空
弘化三年1846 入口を見下ろす
箕輪城址標識 石段を上る
産王神社

日枝神社・産王神社

[ひえ・さんのう神社]

栃木県下野市・箕輪383

旧地名:下都賀郡・石橋町大字箕輪
主祭神:大山咋神 通常,配神は国之常立神・伊弉冊神・足仲彦尊
産王神社古墳(箕輪上谷田)に鎮座。平成14年2002石鳥居額は「日枝神社」だが石宮に架かってる平成29年2007奉納旗に「産王神社」。[ひえさんのう]なのでどちらでもいいのだろう。地元では「産王様」と呼ばれ,嫁いだ自分の子が身ごもると実の母親は,お日待ちに煎餅や饅頭を奉納し,お産が近づくと毎日米を供えて安産を祈った。写真の白い旗はサラシで安産を祈願して奉納,現在もこの風習が続いている。
昭和38年1963棟札。明治二十年代の馬力神。
鷲宮神社の正面参道南端に当たる。
産王神社 古墳頂上
昭和38年1963
馬力神

 

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